天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

石の上にも3年の私は孔子の”天命を知る”とは希望を断たれ敗北・挫折した事実を受け止める事と今強く得心

2013-01-01 15:45:33 | 日記
新年あけまして、おめでとうございます。今年も私の拙いブログを閲覧して頂き、ありがとうございます。
今日の日記は、3年前同じように元旦投稿した当時から私自身が大きく変わった、とても悲しい己の心境変遷のことです。
前回の2010年元旦投稿(注:2011・12年の元旦は、私はその時海外旅行中でその書き込み不可能であった)で、私を劇場から理不尽な排除を行った某ストリップ劇場の応援客に対して、とても明るく希望に満ちた書き込みを、臆面もなく私はしていました。以下に、その書き込みの一部を引用します。
『20世紀中国の小説家・魯迅は「希望とは、もともとあるものだとも言えないし、ないものだととも言えない。それは、地上の道のようなものである。地上にはもともと道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」と言っています。』
このように、3年前の私は、時を経て、きっと多くの賛同支持者を得て(歩く人が多くなって)、大きな希望の星が生まれる(道につながる)と、何らの絶望・敗北感を抱かず、前向きな心境で居られました。
しかし、今その3年間を振り返ってみて、某ストリップ劇場や某踊り子嬢・その応援客らに、変化や改善の兆候が何ら見られません。全く昔のままです。
逆に、私のほうがもう完全に諦めてしまったような心境です。私は以前、「『塩の人』でなくなったら、劇場での応援観劇を復活する!」と言及しましたが、今年はその節目の年です。でも、その『塩の人』状態があと1年間延長になり、その約束を果たすこともできなくなりました。そして、その1年間の猶予期間に対して、私は今、無念の思いや焦燥感を何ら抱いていません。
”石の上にも3年”と言う格言がありますが、私は3年間絶望しながらも、微かな期待を抱き続け、良くなる兆候をじっと待っていました。しかし、私はもう限度です。だから、孔子の言う”天命を知る”とは、「その抱いた希望を断たれ、敗北・挫折した事実を真摯に受け止める事」と今、私は強く得心しています。
コメント
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