天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

映画『幕末太陽傳』ような妓楼の跡地にある某劇場で貰った某踊り子嬢の客へのコメントはまるで現代の起請文

2011-07-13 21:20:02 | 日記
今日の日記は、映画『幕末太陽傳』(1957年製作 川島雄三監督 フランキー堺 金子信雄 山岡久乃 左幸子 南田洋子 石原裕次郎主演)の舞台になった品川宿旅籠遊郭『相模屋』のような”お上公認の男の遊び場”のことです。
映画の主人公・佐平次が去って6年後明治になると、この旅籠遊郭は、貸し座敷の『妓楼・相模楼』になり、そのまま同じような男の遊び場を続けました。でも、戦後は木造モルタルに改造されて普通の宿泊施設『さがみホテル』に職種変換し、1982年まで同じ場所で営業しています。また、映画の撮影当時には、映画の冒頭シーンでその『さがみホテル』が登場しています。
そして、平成の世の現在では、この場所はコンビニ店付きマンションになってしまい、撮影当時の昔の面影がまったく残っていません。都内ではそのような”お上公認の男の遊び場”だった面影を残す建物はもうまったく存在しないです。
でも、すぐ隣の某県某市のある一角には、そのような”お上公認の男の遊び場”の面影を残す場所があります。添付した写真は、戦前の1928年に主要街道沿いに散在していた遊郭をこの場所に集めて、戦後はその種の風俗を扱う特殊地帯になった某市「○○新地」の現在の姿です。
この写真の後方に写っている某ストリップ劇場に、私は出演したさまざまな踊り子嬢の応援の為、約7年前の2004年5月30日(日)からちょうど3年前の2008年7月13日(日)まで、合計13回ほど通いました。この劇場の廻りはもう住宅地になっていますが、戦前はそのような特殊な場所だったから、この劇場もここに立地することができたのです。
そして、今私は、ちょうど3年前にその最後の観劇で応援した某踊り子嬢から貰ったサイン入り写真に書かれたコメント『○○○ッチへ LOVE LOVE また一緒にとろーネ ありがとうございます』を今、懐かしく当時を振り返って自室で読んでいます。
そうしたら、この彼女の書いたコメントが、まるで映画『幕末太陽傳』で登場した偽起請文みたいな感じが私はしてきました。映画では「三枚起請」でありその犠牲者は3人でしたが、某踊り子嬢はそれ以上の起請文を書いて、多くの劇場犠牲者を生んでいるのでしょう。
ちなみに、私はこの劇場の無料招待券(期限なし)一枚を未だに所有しています。だから、私は14回目の観劇に、その無料招待券を是非使いたいです。
でも、それを実現できる日は何時になるか?私にはまったく判りません。その実現できる前に、この劇場が閉館しないことを、私は祈るばかりです。


コメント
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