天命を知る齢に成りながらその命を果たせなかった男の人生懺悔録

人生のターミナルに近づきながら、己の信念を貫けなかった弱い男が、その生き様を回想し懺悔告白します

都築政昭著「黒澤明と『赤ひげ』ドキュメント人間愛の集大成」黒澤は内藤に山本周五郎著「日本婦道記」与う

2011-07-06 21:47:41 | 日記
今日の日記は、映画『赤ひげ』(1965年製作 黒澤明監督 井手雅人・小国英雄・菊島隆三・黒澤明脚色 三船敏郎 加山雄三主演)で映画デビューした内藤洋子(1950年5月28日~映画製作時14歳)のことです。
私が今読んでいる都築政昭著「黒澤明と『赤ひげ』―ドキュメント・人間愛の集大成」(2000年朝日ソノラマ刊)に主人公の登と結婚するまさえ役の女優・内藤洋子のとても興味深いエピソードが書かれています。以下に、この著書からその記述を引用・掲載します。
『まさえ役の女優を探すのに、約一年を費やした。登と夫婦を契る女性だけに、黒澤は「若く明るく、初々しく、しかも品のある」女性を探せと注文をつけた。女性の理想の美点をすべて備えていなければならない。助監督たちを中心に数手に分かれて高校や女子大学の門前で登下校時の女子学生に目を凝らした。・・次々に候補者に面接したが、黒澤は顔を縦に振らない。・・探し出して一年後の八月(昭和三十九年)、やっと数名の有力候補に絞られ、扮装させて本読みのテストを重ねた。その結果、八月十九日に内藤洋子が決まった。有力候補に酒井和歌子もいたという。挙動や喋り方も自然で落ち着いていて、素直な十四歳の少女。黒澤はその初々しさを買い、テストをして素質を保証する。黒澤は内藤に、まさえの役づくりの参考にと山本周五郎の「日本婦道記」を与えた。』
私もこの映画が公開された時、劇場で見た内藤洋子のとても新鮮で若々しい魅力に胸を躍らせたものでした。なぜなら、この小石川養生所は病んだ男たちとその世話や賄いをする中年女性(七尾伶子・野村昭子の演技が印象的)ばかりが登場して、若い女性はおとよ役の三木てるみ以外ほとんど登場しないからです。その中で一輪の清楚な花が内藤洋子だったのです。
添付した写真は、登とまさえの祝言のシーンです。左側から登の父(笠智衆)、媒酌人の医師・新出去定(三船敏郎)、まさえ(内藤洋子)、まさえの父(三津田健)、まさえの母(風見章子)です。私はこの花嫁姿を見た時、黒澤監督が保証した内藤洋子の素質が、映画で見事に開花されたと思いました。そして、数年後NETテレビで放映したTVドラマ『氷点』で演じた陽子役で、彼女はさらに大きく飛躍しました。
さらに、黒澤監督はまさえを演じる内藤洋子に、私も読んでよく内容を知っている山本周五郎著『日本婦道記』(戦前に出版された名著)を読むように指示しています。46年前の当時の映画界は、現在とは違い、このような古風で地に足が着いた着実な映画製作者がいたのです。
でも、とても残念なことですが、今の芸能界には、このような女性は存在しないから、一年かけて探し出してもそれに相応しい女優を見つけることはまったくできないでしょう。
この私にとって冷徹な現実は、とても悲しい時代の流れ・悪しき趨勢が生んだもので、今私はそれを強く歎いています。
コメント
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