田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌歴史散歩 11 中央区・創成川・鴨々川地区(2)

2017-11-21 16:59:29 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 「鴨々川」は、幌平橋付近の豊平川から分流して流れる創成川の上流ススキノの南7条までの約2.5kmの流路が蛇行している部分を指しているということだが、歓楽街ススキノや中島公園を通っているため歴史的にも興味ある流れだった。 

                    

 最初に掲載した古地図は1881(明治14)年に作成されたものだが、右側に見える豊平川の太い流れから、分流して蛇行しながら直線路の創成川に繋がっている様子が分かる図である。
 その鴨々川を跨ぐように楕円形に描かれているのは、中島遊園地(現 中島公園)にあった競馬場を表している。(古地図中央下部)

 創成川の直線路を遡ってきた川は、「南6条橋」を過ぎると、折れ曲がって住宅街の方へ折れ曲がった。

               
               ※ 「南6条橋」まで真っすぐに伸びてきた創成川は、写真右の南6条橋を過ぎると写真上のほうへ折れ曲がっていた。

 ⑩街区に合わせてできた河道 

               
               ※ いかにも人工川といった趣きの鴨々川は写真の上で直角に左に折れています。
 かつて豊平川から分流して自然に流れていた鴨々川だったが、街として整備するために川は街区に合わせて整備された。その結果、川は鉤十字のように直角に折れ曲がりながら流れるようになったようだ。そのように河道が変えられたのは大正14年頃といわれている。

 ⑪水路の形を残す千両小路 

               
               ※ 「千両小路」の入り口ですが、突き当りから左へ路が曲がっています。

               
               ※ 路を折れ曲がると、今も営業を続ける割烹「川喜」の立派゛な建物がありました。
 南7~8条の西3丁目付近にあるこの小さな小路は、札幌には珍しい“鉤の手”の形に折れ曲がっている。かつてはこの通りに沿って水路が流れていたそうだ。その界隈には水辺を借景として「千両」という割烹をはじめとしてたくさんの店が軒を並べていたそうだ。
 今回、私が訪れた時も由緒ありそうな割烹が営業していた。

 ⑫コイの越冬地 
 
               
 昭和55年頃から鴨々川に架かる「南8条橋」付近の流れの中に錦鯉が放流されるようになったようだ。平成18年に川底を一部掘り下げて「越冬池」を造成したことにより、毎冬に行っていたコイの引っ越しをしなくてもよくなったという。

 ⑬水天宮 

               

               
 私はこれまでこのお宮の存在を知らなかった。それもそのはず、中島公園と鴨々川を挟んで目立たないところに建っている小さな佇まいの神社である。
 この神社は、明治10年、渡道した旧久留米藩士によって、九州久留米水天宮本宮から分霊されたそうだ。1885(明治18)年鴨々川に祀られ、その後現在地に社殿が建立されたとある。
 この神社はその名の通り、「水」に関する神社で、水のパワースポットとして知られているそうだ。

 ⑭水天宮裏の道

               
               ※ 写真の中の車が左方向へ進もうとしているのがお分かりと思います。
 この道は札幌市内では珍しくゆるやかに湾曲した細い道である。昔の川の流れに沿って造られた道のようだ。そのことは明治時代の古地図にも描かれており、札幌の中心街へと通じていたそうだ。

 ⑮中島橋 

               

               
               ※ 「不老松」の横に立っていた副碑と石灯篭です。
 現在では鴨々川に架かる橋は多数あるが、明治時代(明治22年)の古地図を見ると、この中島橋が唯一の橋だったようだ。当時は中島遊園地への正面入り口だったという。
 木製の橋であるところに由緒ある橋の面影を残している。

 ⑯豊平館

                
 こちらは私が語るまでもない札幌の代表的歴史的建造物である。
 中島公園の一角に建つウルトラマリーンブルーが印象的な洋館である。開拓使の“洋造旅館”として1880(明治13)年に創成川沿いの大通西1丁目に建てられたが、1958(昭和33)年に現在地に移築されたそうだ。建物は国の重要文化財に指定されている。

 ⑰不老松 

                    

                    
 中島橋から鴨々川沿いに通っている道路を遡っていくと、一本の大きなクロマツが立っている。かつてこの辺りには料亭「鴨川」と池泉回遊式庭園があったそうだ。その庭園のシンボリックな松だったこともあり「不老松」と命名されたのではと推測される。

 ⑱鴨々川の吐口工 

               
       ※ 鴨々川の「吐口工」は創成川のものと違い水平に置かれていました。この季節は流量が少ないと見え「吐口工」から水は吐き出されていませんでした。
 不老松を過ぎると、鴨々川は中島公園内へと入っていく。そしてちょうど現在の札幌コンサートホール「キタラ」の近くのところに鴨々川の「吐口工」が見える。創成川に設けられていたものと同じ目的で、中島公園内を流れる鴨々川の流れを親水公園とするために流量の調節ができるようにした施設である。

 ⑲競馬場の仮橋跡 

               
 その「吐口工」の近くにある橋が「競馬場の仮橋跡」である。中島遊園地内に競馬場を造成するにあたって、鴨々川の流れの上にコースを造成しなくてはならなくなって、仮橋を造ったということだろう。その痕跡(例えば案内板など)が残っていないかと探したが、残念ながら発見することはできなかった。なお、現在の橋は「白鶴橋」と称され、1996(平成8)年に完成したものだという。

 ⑳ひっそりたたずむ祠

                
 中島公園を離れ、中島庭球場の横を通り、ベーカリーレストランとカフェの駐車場の奥に札幌軟石で造られた小さな祠がある。伏見稲荷の分祠だそうだ。
 この辺り一帯は豊平川の氾濫原を物語るように起伏に富んだ地形がみられる。

 ㉑鴨々川の分水施設

               
               ※ ちょっと見にくいですが、右側の柵のところから水が取り込まれるようです。 
 地下鉄「幌平橋」の近く、豊平川沿いに建つマンションを横目に200mほど進むとこの施設が目に入る。
 先の「吐口工」まで分水して導水管で導き、鴨々川の流量を調節する分水施設である。
 
 ㉒創成川樋門 

               
 分水施設のすぐ近く、豊平川の堤防に建つ樋門である。
 豊平川から取り込んだ水を創成川(鴨々川)へ流すための施設の一つであると説明されている。位置としては鴨々川の最上流部にあり、増水のときはゲートを閉めて水害を防ぐ役目をするという。

 以上、二日間にわたって創成川、鴨々川の歴史的な史跡と現代の施設が混合するルートをレポしてきたが、札幌市の中心部にこのような興味ある散歩道が存在することが嬉しい。
 今回私は創成川から鴨々川の上流部へと遡るコースを取ったが、反対に地下鉄「幌平橋」で降り立ち、川の流れに沿って創成川に下り地下鉄「大通駅」から帰路に就く、というコースもある。

 これまで11回にわたり「札幌歴史散歩」と題してレポしてきたが、その目的は第一義的には私自身が楽しむことであった。しかし、もう一つの目的は「もし、高齢者を案内するとした場合、はたして体力的に無理はないだろうか?」という観点からの下見的要素もあった。そうした意味では収穫の多い「札幌歴史散歩」だった。
 札幌もとうとう雪が降り、冬の季節が到来した。「札幌歴史散歩」は一時お休みし、季節が良くなった再開したいなぁ、と思っている。

 
※ 昨日の投稿は何らかの原因でうまく投稿できなかったようです。本日再投稿しましたので、興味ある方は開いていただけたらと思います。