田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌歴史散歩 6 東区・元町地区

2017-11-06 21:02:20 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 東区の元町地区一帯は、明治のころには「札幌村」と称され、札幌発祥の地と言われている。「札幌村郷土記念館」がある地下鉄「東環状通東駅」周辺の史跡を巡った。 

 札幌開拓の祖は島義勇判官とされているが、島が明治政府から開拓判官を命ぜられ、札幌の地に入ったのは1869(明治2)年である。それより遡ること3年、1866(慶応2)年に、大友亀太郎は江戸幕府から蝦夷地開墾掛を命ぜられて、石狩に入って原野を調査し、「石狩御手作場」を現在の元町周辺に開き、そこを「元村」と名付けたのが札幌の始まりとされている。

               
               ※ 「札幌村郷土記念館」の全体像です。入り口横には「大友亀太郎着任151年」の文字が。

 大友の業績については、史跡を巡る中で触れていくことにするが、その大友亀太郎役宅跡に建てられたのが「札幌村郷土記念館」である。記念館には、地下鉄「環状通東駅」4番出口からおよそ200m、徒歩3分の近さにある。

 ① 「大友亀太郎」像 

               

                    
 「札幌村郷土記念館」に向かうと、記念館の敷地に入るとまず目に入るのが、右手にある「大友亀太郎」像である。この像は、1986(昭和61)年に大友の遺徳をたたえ、彫刻家・松田与一によって制作され、設置されたとなっているが、同じものが創成川公園にも建てられている。
 また、像の隣には「大友亀太郎役宅跡」という石碑も建てられている。

 ② 札幌玉葱記念碑

                
 敷地内には、「大友亀太郎」像の向かいに立派な石碑が建っているが、「札幌玉葱記念碑」である。碑には「我が国の玉葱栽培はこの地に始まる」と刻まれている。
 また、台座の説明板には「日本の玉葱は、明治4年開拓使が米国から種子を輸入して札幌官園で試作した後、数々の改良が加えられ明治30年代には札幌村に始まった玉葱は次第に近村に広がり、札幌特産として全国に出荷されるばかりでなく、広く外国にも輸出されてその名声が一段と高まった」と記されている。
 石碑は1978(昭和53)年に建立されている。

 ③ 札幌村郷土記念館

               
               ※ 館外には玉葱生産に使われる農機具が展示されていました。

               
               ※ 館内の展示でも地域の特産である玉葱に関する展示が目立ちました。

                
               ※ 大友亀太郎に関する展示ももちろん充実していました。
 文字どおり現在の東区・元町地区の歴史を語り継ぐ記念館である。
 展示室は1・2階に分かれ、慶応2年に開削された大友掘の資料や札幌市文化財に指定された札幌村開拓の資料、日本初の玉葱栽培の資料など豊富に展示されている。

 ④ 大友公園               

               
               ※ 大友公園の中心に位置する「地図の広場」です。大友堀の様子がよくわかります。

                
               ※ 大友堀を再現した小さな流れが公園内に設けられていました。
 大友亀太郎は僅かな期間(4年弱)で、開拓のため、御手作場(模範農場)、用水路(大友堀)、道路や橋などを造り札幌村の礎を築いた。なかでも「大友掘」は後の島判官によって札幌の都づくりの東西の基準線にもなり、今もその一部が創成川となって残っており、札幌付近開拓に大きな役割を果たした。そのことを記念し、「札幌村郷土記念館」の裏手にあたるところに「大友公園」が造られている。
 大友公園は小さな公園であるが、その中に「地図の広場」というものがあり、大友堀の全体像が分かるようになっている。また、公園内には「地図の広場」に繋がるように、大友堀を再現した小さな流れが造られている。私が行ったときは、すでに秋ということもあり水は流れていなかった。

 ⑤ 本龍寺の妙見堂

                
 妙見堂は、慶応4年に大友亀太郎が石狩御手作場を開設した際に役宅敷地内に鎮守として創設したものだそうだ。村人の精神的よりどころとして、また村の鎮守として、妙見菩薩が安置されたそうだ。
 その後、明治14年に現在の本龍寺に移築されたという。

 ⑥ 札幌村創建百年碑

                     
 この碑は本龍寺の境内にあるとガイドブックで記されていたので、本龍寺の若い住職(だと思われる)の方に聞いたところ、その存在をよく知らなかったようだ。それでも、「境内を出たところに石碑らしきものがある」と教えてくれたので、そちらに向かった。
 すると、塀に囲まれて本龍寺のお墓が並ぶ中に、塀の一部が切りとられ、そこから歩道側に向かって一つの石碑が建っていた。それが「札幌村創建百年碑」だった。
 設立の経緯などについて調べたが、詳しくは分からなかった。碑が建てられたのは昭和41年ということで、大友亀太郎が着任した慶応2年を開基としている。

 以上、札幌村ができた発祥の地を示す史跡が、地下鉄「環状通東駅」の周辺にコンパクトにまとめられていて、見学をするには都合が良い。

 ⑦ 元村街道 

 なお、私は現地まで自転車で行ったので、帰路やはり大友亀太郎が開削したという「元村街道」を通って帰った。「元村街道」は碁盤の目のように走る札幌市の道路を斜めに横断するように走っている。当時は元村と札幌市中心部を結ぶ唯一の道路だったという。

               
               ※ 元村街道の一部です。先に行って道が曲がっているのが分かると思います。
                                              (2017/10/28)