田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 66 マイウェイ

2012-01-21 20:32:29 | 映画観賞・感想

 非常に上質なエンターテイメント映画だった。エンドロールが始まっても立ち上がろうとする気持ちにはなれなかった。それほど私は感動した。韓国人映画監督カン・ジェギュの力によるところが大きい映画だと思った…。

          
          ※ 映画「マイウェイ」の魅力に一つは、圧倒的スケールで迫る戦闘シーンである。

 トゥルーストーリーと称するそうである。
 それは一つの真実を基にして、ストーリーを膨らませて映画化するものを指すようである。この映画は、第2次世界大戦末期のノルマンディー上陸作戦後にドイツ軍捕虜の中に1人の東洋人が発見され、彼の口から語られた数奇な運命を基にしたものである。

 彼の口から語られた数奇な運命とは…。
 彼は第二次世界大戦時、日本統治下にあった朝鮮半島に出兵し、ソ連、ドイツの3ヶ国の軍服を着て戦い、敗戦に次ぐ敗戦で何度も捕虜になりながらも1万2000キロを生き抜いて、最後に連合軍に発見されたのだ。

 その日本兵に日本の俳優オダギリジョーが、朝鮮人として日本軍に理不尽に徴用され彼と一緒にやはり三つの国の軍服を着て戦う役に韓国の人気俳優チャン・ドンゴンが配されている。
 二人は占領国民と被占領国民という出自の違いからいがみ合い、罵り合うが、生き延びるにしたがい心を通わせるようになる。しかし、そのチャン・ドンゴンもノルマンディーの戦いで息絶えてしまう。

          
          ※ 数々の困難を潜り抜けてきた二人だが、ノルマンディーの戦いでチャン・ヂンゴンはオダギリジョーの腕の中で息絶える。

 相次ぐ戦闘シーン、オダギリジョーとチャン・ドンゴンの激しい相克etc.etc.…。息をつかせぬほど次から次へと場面は激しく展開し、観る者をスクリーンに惹き付ける。
 これほど魅力ある映画に完成させたのは、一にも二にも監督カン・ジェギュの力量だろう。彼がこれまで撮った「シュリ」、「ブラザーフッド」も観たが、どちらも素晴らしい出来だった。

          
          ※ 才能溢れる監督カン・ジェギュのポートレート。まだまだ若い監督である。

 トゥルーストーリーといいながら、その大部分はカン・ジェギュたちによる創造の賜物だろう。ストーリーの初めの部分は日本軍の醜さが描かれ、反日映画ではとの思いも抱くが、カン・ジェギュたちがそうしたことを描こうと意図したことでないことは直ぐに解る。
 極限の中で二人の間に芽生えた友情こそが彼が描きたかったことだったと思う。
 その二人、オダギリジョー、チャン・ドンゴンの熱演も映画を成功に導いた重要な要素だろう。

 戦争映画について云々する向きもあるかと思うが、私は純粋にエンターテイメントとしてこの映画を楽しんだ。
 それでいいじゃないかと私は思う。
 久しぶりに心にドスン!と響いた映画だった…。


U型テレビ『道民の壺』録画風景

2012-01-20 17:36:20 | その他

 昨日、映画を観終わった帰り、札幌駅からの地下歩行空間を歩いているとUHBテレビの録画撮りをしているところに出会いました。『U型テレビ』という番組の中の「道民の壺」というコーナーです。その録画撮りの様子をウオッチングしました。 

 昨日、地下歩行空間を歩いていると見慣れた壺が見えました。「おっと、録画撮りだな」と思い、観ているとカメラマンが退屈そうです。そこで近寄って「これは今日放映するのですか?」と訊いたところ「明日の放送です」ということだった。
 「ひとつお願いできませんか?」とディレクター氏が誘ってきたのですが、丁重にお断りしました。しかし、これは格好のブログの話題になると思い、録画風景を見物することにしました。

           
           ※ 地下歩行空間にこうした壺を置き、左側のデレクター氏がフリップをもって協力する人を募っていました。

 「道民の壺」とは、決められたテーマに関して日頃思っていることを壺に向かって思いのたけを吐き出す(語る)というものです。
 この日は「今年やってしまいました」というテーマでした。
 地下歩行空間を通る人たちのほとんどは関心を示さず通り過ぎていきます。
 時々、ディレクター氏が通りすがりの人に声をかけるのですが、なかなか誘いに乗る人がいません。
 若い夫妻と子ども連れの人たちが足を止めディレクター氏の説明を聞いていました。すると壺に向かって語ることはせず、インタビューを受けるような形で何か話をしているようでした。
 これでは『道民の壺』の絵にはなりません。次の人を待つことにしました。

          
          ※ この親子連れは壺に向かわず、直接インタビューを受けていました。

 しかし、ディレクター氏の誘いに乗る人はなかなか現れません。
 20分くらい経過したころだったでしょうか、自ら立ち止まった初老の男性が趣旨を聞いて了承し、壺に向かって何かを言い始めました。恰好のシャッターチャンスを逃さず、しっかりとカメラに収めました。
 しかし、遠くから撮影したため、初老氏が何を語ったのかは分かりませんでした。

          
          ※ 初老氏が壺に向かって何かを吐き出しています。

 そして今日(20日)その初老氏がテレビに映ったところを再びカメラに収めました。すると初老氏は、元日に北海道神宮に初詣に行ったところ、入口で滑って転んだそうで
す。そこで初詣では奮発して千円札をお賽銭として投入したのに、お御籤の結果が「凶」
だった、という話でした。

          
          ※ テレビ画面を撮りました。お顔を拝見すると初老というよりはかなりお歳をめした方でしたね。

 今日のテレビを見ていると、ずいぶんたくさんの人が壺に向かっていました。私が見ていたときは録画撮りを承諾する人がいなくて苦労していたようですが、その後次々と協力する人が現れたということでしょうか?

 テレビの街頭インタビューなどは簡単に録画しているのかなあ、と思っていたけれど、けっこう慎重に辛抱強く協力してくれる人を待っているんだなあ、ということを垣間見た思いでした。
 


ダルビッシュ有

2012-01-19 18:20:32 | その他

 今夕のニュースで、ダルビッシュ投手がテキサスレインジャーズへの入団が決定したことを伝えています。実はダルビッシュ投手に関することで長い間禁句にしていたことがあります。もう時間も経過し、アメリカに渡ることになったのを期して本日解禁することにしました。 

 今日は素晴らしい映画(マイウェイ)を観てきたのですが、そのレポートは後日にして、今日の話題はやっぱりダルビッシュでしょう。ということでダルビッシュ関連の話題を…。
 
 2~3年前の話です。
 タクシーに乗って我がマンション名を告げると、タクシーの運転手さんが「あれっ?このマンションに日ハムのダルビッシュ投手が入っていませんか?」と尋ねられることが度々ありました。

             

 ダルビッシュが現在離婚調停中の沙栄子さんと新婚時代に札幌に居を構えていましたが、それが我がマンションだったのです。
 マンション内でダルビッシュ夫妻に何度か出会うことがありましたが、沙栄子さんはとてもフレンドリーで出会うと気軽に挨拶を交わしてくれました。対してダルビッシュの方は性格がシャイなのか、はたまたあまり関わり合いを持ちたくないと思っていたのか、帽子を目深にかぶり目を合わせないようにしていたのが印象的でした。

 マンションにはダルビッシュの両親も札幌で試合のあるときには顔を見せていたようですし、沙栄子さんは愛車のベンツで札幌ドームまでのダルビッシュの送迎を担っていたようです。
 残念ながら夫妻に次男が誕生したあたりから、夫妻の間に隙間風が吹き始め、一昨年暮れにはマンションを退去していきました。

          

 マンション内でダルビッシュが入居していることは誰もが知っている公然の秘密でしたが、そのことを声高に云う人はおらず、そっと見守りましょうという雰囲気でした。
 私もまた、親しい人にはそっと耳打ちしましたが、公に云うことは今日まで控えてきました。

 しかし、もういいでしょう。
 今、スポーツ界で最も注目されているプロ選手が一時的にでも同じマンションに住んでいたということは、私にとっては忘れ難い思い出になると思っています。
 そんな関わりを持てたダルビッシュ投手がアメリカ大リーグで大活躍することを祈ってやみません。


新年会が続きま~す

2012-01-18 22:41:57 | その他

 すでにリタイアしてからウン(?)年、この種の年中行事には関わりがなくなったと思っていたのですが、なんとなんと公私あわせて今月中に4件も予定があります。今日2つ目を終えて帰宅したところです。 

 新年会というのは日本独特の風習なのでしょうか?
 いや、姿かたちは違えても、新年を祝ったり、新年を期して新たなスタートを、といったパーティーはきっと諸外国にも存在するのではと思われます。
 リタイアしていろいろなしがらみから離れたはずの私でしたが、リタイア後に新たに団体やサークルに加わったことでこうした会合も付属的に付いてくるということでしょうか。

          
          ※ リタイア組の新年会です。会場の外はまだまだ昼間の様相です。

 昨17日(火)は某団体の新年会で、こちらは会を主管する部局に属しているため、総合司会を務めたり、会をスムーズに進行させるために裏方で汗をかいたりしました。
 本日18日(水)は前日とは別団体の会議と新年会が行われました。こちらは私より先輩の方々が多く、やや緊張しながらの会でしたが、楽しく歓談させてもらいました。
 来週23日(月)はこのブログでも時折その様子をレポートしている「オヤジの仲間づくり21の会」の1月例会を兼ねた新年会が予定されています。
 そして25日(水)は、夫婦で仲良くお付き合いをさせてもらっている某夫妻と4人だけのごくごくプライベートな新年会を予定しています。

          
          ※ 時間が経つにつれ、会場も夜のとばりに包まれました。

 私は新年会に限らず、お酒を介したこうした会がけっして嫌いではありません。
 というのも、お酒を介することで参会者同士の垣根が低くなり、会議や活動だけでは伺えなかった違った側面や本音の部分を垣間見られることにより、その方々との距離が近くなるように思うからです。
 今日も団体の重鎮の方とお話することができ、その方が沖縄産の泡盛のファンであることが分かり、機会があれば私が買い置いている与那国産の泡盛「どなん」で乾杯しましょう!ということになりました。

 年齢を増すにつれて飲酒の量には気をつけながら、こうした会も大切にしていきたいと考える今日このころです。
 おっと、そういえば個人的なお付き合いのある某氏との新年会も企画しなければ…。


札幌麺紀行 92 ラーメン山頭火 札幌宮の森店

2012-01-17 14:50:57 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 麺好きを認ずる私ですが、何を隠そう今最も通い続けているのがラーメン「山頭火」の宮の森店です。いろいろ食べ歩いていますが、食べ終わった後に最も満足感を与えてくれるのが今のところ「山頭火」のラーメンです。 

 今年初の札幌麺紀行です。
 札幌麺紀行のレポートを一度終えた(2009年3月)後、私がよく行く麺店は、うどん店では「カレーうどん 椿」、そしてラーメン店ではこの「山頭火」でした。

          

 山頭火で私が注文するのは「醤油ラーメン」(790円)に決めています。いつも一緒に行く妻は「塩ラーメン」(790円)です。山頭火の一押しは「塩ラーメン」のようです。

          

 「山頭火」宮の森店によく行く理由は、ラーメンそのものに満足していることが第一ですが、私のところから比較的近く、駐車場も完備していることもよく訪れる理由です。
 山頭火は旭川を発祥の地として、今や全国はおろか海外にまで出店していることは良く知られています。
 山頭火のラーメンはトンコツ系ですが、九州ラーメンのそれとは違い、トンコツの良さと旭川ラーメンの良さをミックスさせたところに特徴があるように思われます。ややこってり系ではありますが、時間をおくとまた食したくなる魅力ある味です。
        
 俗にいうところのラーメン通といわれる人たちはチェーン店を敬遠する向きもあるようですが、多店舗展開するということはそれだけ多くの人から支持されているということだと思います。数あるラーメンチェーンの中でも、私は山頭火のラーメンは私の好みの一つです。

          

 さらに私が山頭火を支持する理由は、他のラーメン店と比べて厨房(キッチン)がとても清潔だということです。オーナーの厳しい指導が行き渡っているように感じられます。
 今年もラーメンを食したくなった時には、山頭火を訪れることが多くなるような気がします。

 今回はレジのところに置いてあった「まかない飯」(醤油味)を購入してみました。さっそく翌日に食してみました。なるほど面白い味なのですが、基本的にラーメン味なので、どうしてもラーメンを思い出してしまいます。ラーメン味はやはりラーメンとの相性が一番なのではと思いました。

           
 
【ラーメン山頭火 札幌宮の森店 データー】
札幌市西区二十四軒1条7丁目1-5
電話    011-621-1177
営業時間  11:00~翌 2:00
定休日   無休
駐車場   有(共用)
座席    15席
入店日   ‘12/1/14


スノーシュー in 藻岩山

2012-01-16 20:57:49 | スノーシュートレック & スノーハイク
 藻岩山ロープウェイの年間パスを利用して、山頂からスノーシューで降ってみようと思い立った。藻岩山のパラフィンスノーはスノーシューを付けてもなかなか困難だった。藻岩山の山中で雪と戯れた2時間でした。 

 先日、藻岩山ロープウェイに乗ったとき、下を見てみると雪の上を人が歩いた跡が見えた。「あゝ、物好きな人は自分の足で降りてくるんだ」と新たな発見をした思いだった。それを見て、私も「物好きな人になってやろう」と思い立ちました。
 
 今日、岩見沢市は大雪だったようですが、札幌市はきれいに晴れ上がっていました。
 山麓駅11時発のロープウェイは観光客で満員状態でしたが、その中、一人だけ異質の恰好でロープウェイに乗っている姿はちょっと恥ずかしかったのですが…。

          
          ※ 誰も足を踏み入れないような木々の間を縫い、雪面を進みます。

 11時20分、山頂に立ちスノーシューを着け、まずは山頂付近の新雪を求めてあちこちと歩き回りました。
 その時、一つ発見をしました。初め北斜面に入ったのですが、北斜面の雪は北海道特有のサラサラ雪(パラフィンスノー)でスノーシューを着けていても深く潜り込み歩きにくいことこのうえありません。バランスを崩して何度も何度も転んでしまいました。
 それに対して南斜面は表面が一度融けて、それが固まっており、スノーシューもそれほど埋まらず歩きやすかったです。

          
          ※ 木々の間から札幌の街が覗きます。正面の山は円山だと思われます。

 ところが!!私が降るのは北斜面です!!
 30分ほど山頂付近を徘徊した後、藻岩山を降ることにしました。サラサラ雪の上、斜度がきつく、とても真っ直ぐには降りられません。斜行を繰り返すような形で降りはじめました。
 サラサラ雪に足を捕られます。何度も何度も雪の中に転倒しました。

          
          ※ 斜度が急で私が滑り落ちてしまった跡です。

 その転倒の影響でしょうか、ポケットに入れていたデジカメが動かなくなってしまいました。(結局、帰宅してからも動かず大損害です)
 また、雪中での悪戦苦闘で背中の方は汗をかいているのに、足先が冷たいのです。後で分かったことですが、転倒の度に長靴に雪が入り、それが靴の中で融けたため靴下が濡れてしまい冷たかったようです。

          
          ※ 頭上をロープウェイが静かに登っていきます。

 そんな中、山中で家から持って行った熱いコーヒーがことのほか美味しかった…。
 夏にはけっして踏み入ることができない世界に踏み入り、藻岩山に住むというエゾリスとの遭遇を楽しみにしていましたが、残念ながらその思いはかないませんでした。
 また、木々の芽はまだまだ固いものの、来るべき春を目ざしてその準備に怠りないといった感じでした。

          
          ※ ザックを小枝に引っ掛けて、ちょっとコーヒーブレイクです。

 結局、13時30分頃、なんとかロープウェイ山麓駅のところに着くことができました。
 ふだん運動不足の私にとってはかなりハードなものでした。
 スノーシューには滑り止めのための爪はついていますが、急な斜面の上り下りには不向きなようです。特にサラサラ雪には…。
 もう一度やりますか?と問われたら、「遠慮しときます」と答えるでしょうね。
 今度はもっとイージーなスノーシューイングを楽しみたいと思います。


冴えわたる池上節を聴く

2012-01-15 23:00:05 | 講演・講義・フォーラム等
 世の中の時事問題を分かり易く解説することで一躍テレビ界で引っ張りだことなっている池上彰氏が札幌に登場しました。池上氏はテレビと同じく歯切れの良い語り口で私たちを魅了しました。 

          

 1月13日(金)、札幌市民ホール(中央区北1西1)で国際プラザ主催の「中東を知るセミナー」の講師としてデレビ界でお馴染みの池上彰氏が登場しました。
 氏は「イスラム世界の基礎の基礎」と題して約90分間話されました。

 イスラム世界というと、宗教です。
 池上氏は、根が同じでありながら複雑に対立しあっているユダヤ教、キリスト教、イスラム教の関係について明解に語った。それでも私には難しかったのだが…。
 唯一理解できたことが経典についてです。ユダヤ教が旧約聖書、キリスト教はそれを改めた新約聖書、イスラム教はそれをさらに改めたコーランだということです。

          

 イスラムというと自爆テロなど国際テロがどうしても頭をよぎります。
 こうしたテロを繰り返すのはイスラム原理主義というイスラム教の中の一派だということで、イスラム世界の復興を信じて活動を激化させているということですが、キリスト教世界(欧米)とイスラム世界(中東)の対立は人類にとっても悩ましい問題です。

 その他、池上氏は世界各国が発行しているさまざまな地図を持参して、国によって同じ世界地図でも違った表示の仕方をしていることを示し、世界は広いということを語りました。
 また、池上氏はNHKの出身であることは知られていますが、アナウンサーではなく報道記者出身だったことを強調されました。しかし、氏の語り口は非常に歯切れが良いのが特徴です。おそらく番組(「週刊こどもニュース」)に出演する際に、相当訓練した成果ではないかと私は思っています。

 中東セミナーはプロローグとして札響のヴァイオリン奏者の大平まゆみさんの演奏があったほか、池上氏の後に外務省の国際情報官である高橋博史氏の講演もあり、盛りだくさんの内容でした。

          

散々だったフィギアスケート初体験

2012-01-14 19:23:27 | スポーツ & スポーツ観戦
 右ひじと臀部を嫌!っていうほど氷面に叩きつけられました。少なからず自信のあったスケートですが、ことフィギアスケートは勝手が違い、まったく思うように滑ることができませんでした。 

          
          ※ 煙突塔に五輪マークが描かれいるところがオリンピック会場だったことをうかがせてくれる美香保体育館です。

 ブログを読んでくれている方には少々嫌味に聞こえるかもしれませんが、自慢話をさせてもらいます。
 私は高校時代(田舎の高校ですが)体育の成績が3学期になると決まって5の評価になりました。(3年間ともそうでした)その原因は私の高校が3学期の体育にスケートを採用しているからでした。
 私は比較的早くからスピードスケートに親しんでいたため、同級生と比べてスケート技術に大きな開きがあり、速さも技術も他を圧していたからでした。

          
          ※ 私が最初に借りたハーフスピード用のスケートです。

 しかし、私はその後スケートにはあまり親しみませんでした。それはスピードスケートがレクリェーションスポーツとしては適していないと思ったからです。
 長野オリンピックの際、当時の長野県知事がスピードスケートのことを「水すましのようで、見ていてつまらないね。」と発言して顰蹙を買いましたが、しかし私は言いえて妙とも思ったものでした。
 観るスポーツとしても、自らするスポーツとしても魅力に乏しいスポーツ、というのが私の率直なスピードスケートに対する見方です。(スピードスケートの選手はアスリートとして記録に挑戦するのですから次元が違いますよ)

          
          ※ ハーフスピードに飽き足らず、次に借りたのが写真のフィギア用のスケートでした。

 そんな私が、13日(金)に突然「スケートに行ってみよう!」と思い立ちました。思い立って直ぐにできる近さにさまざまな施設が揃っているのが札幌の良さです。
 今回はカーリング事情の取材を兼ねて美香保体育館(東区北22条東5丁目)を訪れました。美香保体育館は札幌オリンピックの際、フィギアスケート会場になった屋内スケート場です。

 入館料(シニア料金)140円を払って入館します。
 入館すると貸スケートのカウンターでスケートを借ります。スケートは、ハーフスピード用、アイスホッケー用、フィギア用と揃っています。
 どれにしようか迷った私は係員に相談したところ「ハーフスピードが良い」と言われ、素直に従うことにしました。2時間利用で300円(1時間利用は250円)を払ってハーフスピード用スケートを借りました。

          
          ※ 体育館内に設けられ貸スケートのカウンターです。

 スケートリンクはフィギア用だから60m×30mと狭い中に、冬休み中の小学生や中学生がたくさん楽しんでいました。
 かつて知ったるスピードスケート(ハーフスピード)は体が憶えています。危なげなく、スムーズに滑ることができました。しかし、それだけです。
 狭いスケート場をぐるぐると周回するだけでは直ぐに飽きがきてしまいました。15分が限度でした。スケートを変えることにしました。

          
          ※ 狭いスケートリンクは小中学生でとても混み合っていました。

 改めて1時間利用の250円を払いフィギア用のスケートを借りました。
 フィギアは初めての経験ですが、多少はできるだろうと思っていました。
 しかし、これが大違いでした! 前方向に進むのは何の問題もありません。両足を氷面につけたままでの回転もできました。
 ところが、周りでフィギアを練習している女の子たちが後方向へスムーズに進むのを見て真似しようとしたのですが、これが難しい!いくらトライしてもできないのです。おまけに不安定このうえないのです。そのときでした。後ろに重心がかかったかと思うと、思いっきり氷面に叩きつけられました。強打した右肘と臀部のダメージはかなりのものでした。

          
          ※ 途中でリンクに製氷機が入り、荒れた氷をならしました。

 立ち上がって、なんとかコツを掴もうと努力するのですが、その私の姿は初心者そのもの、後ろ向きではなんともなりません。そうしているうちに1時間が経過し、私は失望感に打ちひしがれたままスケートを脱ぐことになってしまいました。
 同じスケートでもこれほどの違いがあるとは…。
 散々な思いをしたフィギアスケートの初体験でしたが、コツを教えてくるような奇特な方がいらっしゃったらもう一度やってもいいかな?などと思ったりしています。

 カーリングについてはリンクの片隅にカーリングのストーンが見えましたが、初心者教室のようなことは計画されていないようでした。

          
          ※ リンクの外にこうしてカーリングのストーンがありましたが、初心者教室のようなことはやっていないようでした。


レゴ ブロックワールド SAPPORO

2012-01-13 23:05:01 | 札幌(圏)探訪
 いや~、いろんな世界があるんですねぇ~。私はもちろんのこと、息子にも買い与えた記憶がないレゴ ブロックですが、どんなものかと興味半分に会場を訪れてみました。そこには私にとって異空間が広がっていました…。 

          
          ※ 「レゴ ブロックワールド SAPPORO」の会場入り口のデコレーションです。右側のレゴのマークはもちろんレゴで作られていました。

 UHB(北海道文化放送)が開局40周年の記念行事として1/6~1/15まで北翔クロテック月寒ドーム(豊平区月寒東3条11丁目)で「レゴ ブロックワールド SAPPORO」が開催されています。
 特におもちゃに興味があるわけでなく、私の孫もまだ小さくて対象年齢とはいえない中で「いったい、どんなもんかいな?」という思いだけで昨日12日に月寒まで行ってきました。

 平日でしたが冬休み中とあってか、けっこうな人数が詰めかけていました。
 会場はさまざまのテーマ別にレゴで組み立てたものが陳列されていました。ヒストリーワールド、海底ワールド、テクニックワールド、ニンジャワールド、等々…。さらにはレゴを用いてのゲームが会場内のいたるところで行われていました。

          
          ※ 会場全体を俯瞰してみたところです。真ん中部分の白いところはホワイトワールドです。

 最初に私の目を奪ったのは旧北海道庁のレンガ庁舎の建物でした。その他テレビ塔など北海道に関するいろいろなものがレゴで組み立てられています。表示を見ると、どうやら北海道内のレゴマニアの集団が作成したもののようでした。


          ※ 北海道のレゴマニアの集団が作成した北海道にかかわる作品です。
          

          

          

 続いては、このイベントの呼び物の一つ、「ジンベイザメ」です。全長4メートルという巨大なレゴの造りものは使用したレゴが100,000ピース、制作時間が1,440時間と表示されていました。(一睡もしないでやっても60日もかかる大作やぁ~!)

          
          ※ 全長4メートルの堂々たる巨大ジンベイザメです。

 そして最大の呼び物は会場の中心を飾る「ホワイトワールド」です。白いピースのみを使用して大きな建物群が陳列されています。その周りに来場者が作る建物の作品が並べられ、どんどん白い世界が大きくなっています。その完成形が14~15日に披露されるそうです。

          
          ※ ホワイトワールドの中心部分は主催者が作成した高い建物です。

          
          ※ その高い建物の周りに来場者が作成したたくさんの白い建物が並べられています。

 「へえ~、なるほど…」といった感じで、何かに興味をそそられたというわけでもないため、円形の会場を一周するのにそれほど時間はかかりませんでした。片道小1時間もかけて会場に着き、しかも入場料800円(前売券)のチケットを購入してわずか20分で会場を後にするわけにもいかないと思い、もう一周することにしました。
 ゲームに熱中する子、ホワイトワールドの組み立てに取り組む親子、レゴの商品を物色する親、等々。しかし、私は一人そんな様子をぼんやりと眺めていました。私とは完全にミスマッチだったようです。

          
          ※ 会場の一角では幼児たちがレゴの海の中で戯れていました。

 こうした催しが札幌で10日間も開催されて盛況だということをどうとらえれば良いのだろう? しかしも札幌市内では同日程で同種の「トミカ博 in SAPPORO」も開催されている。(アクセスサッポロ)
 このような教育玩具の展示イベントに若い親たちが子どもと一緒に来場するということは、親たちの教育熱心さの表れだと思いたい。それにしても私から見ると、平和な光景だなぁ…、と思いつつ異空間を眺めていました。 

映画 65 エンディングノート

2012-01-12 23:13:40 | 映画観賞・感想

 末期ガンを宣告された主人公の父親が素晴らしい! 最後までユーモアを失わず、人生の終末を自らデザインし後顧のないように整理する姿を描きます。一人の人生の終末を淡々と描くドキュメンタリーは観る者の中にじわっと迫ってきます。 

 “エンディングノート”とは、高齢者が人生の終末期に自身に生じる万一のことに備えて自身の希望を書き留めておくノートと辞典にあった。
 映画は主人公である砂田知昭が長年勤めた会社生活を終えてホッとしたのも束の間、余命半年という末期ガンの告知を受けてしまう。

          
          ※ 砂田の会社人生最後の頃、まだまだ生き生きとしていた砂田の表情です。

 何事にも前向きな砂田は自分の死を前にしても動ずることなく(少なくともカメラの前では)受けとめ、妻や家族に心配かけたくないと自分の最後のときまで自らデザインしていくのである。葬儀の式場の手配、母親や妻との最後の旅行、長男への引き継ぎ、などなど…。
 その最後のときまでカメラを回し続けたのは監督であり、ナレーターも務めた砂田の次女で映像作家の砂田麻美だった。

 1月11日(水)、この映画を上映しているシアターキノ(中央区狸小路6丁目)に向かった。平日であるにもかかわらずかなりの数の観客がいた。やはり私と同年代の人たちが多いようだった。
 自らの死を前にしてもカメラを意識することなく前向きに、ユーモアを忘れることなく振る舞う砂田の姿だけでも映画は十分に成り立っていたが、より効果的だったのは砂田の会社人生の終わりの部分も撮影されていて、それが効果的に織り込まれてきたことだった。
 いかにもモーレツ社員然とした活力ある砂田の姿…。対してガンが進行しすっかり痩せてしまった砂田の姿…。変わらないのはどんなときにも前向きで、ユーモアを忘れない砂田の姿…。

          
          ※ 辛い身体に鞭打って孫たちと海辺で遊ぶ砂田です。

 ガン宣告からおよそ半年後の2009年の年末、病状は一段と進み病院で最後のときを迎えることになった四日間もカメラは回り続けた。
 さすがの砂田も「もう少し生きて孫たちと遊びたかった」と弱々しく語る姿に館内からすすり泣きが聞こえたかと思うと、そうした状況でも茶目っ気たっぷりの砂田の言葉が館内に笑いを誘ったりするのだ。

 こうしたドキュメンタリーは砂田と次女である砂田麻美の間に絶大な信頼関係がったからこそ実現できた映画なのだろう。
 砂田知昭は人生の最後まで自分でデザインし、その通りに生きたカッコイイ男だった…。

          
          ※ 監督であり、カメラマンでもあった次女の砂田麻美です。