田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌麺紀行 1 北の讃岐うどん店「ふう」

2008-02-19 18:15:29 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 勤務先の事務所からちょっと離れたところに、気になるうどん店がありました。
 そこには大きな「北の讃岐うどん」というのれんが下がり、入り口ドアの上部には“ふう”という店名が記されています。
     

 「いつか訪れてみたい」と思っていましたが、某日思い切って45分間の昼食時間に行ってみることにしました。
 場所は北1条西10丁目で、ちょうどロイトンホテルの道路向かいにあります。
 事務所からは4ブロックくらい、机を離れて店に着くまでちょうど10分かかりました。

 店は都心にある飲食店らしく小ぎれいな内装で、讃岐うどん店らしいセルフサービスとなっていました。
 私はやはり讃岐うどんの代表である「ぶっかけ」(温)の大盛り(400円)を注文しました。
 てんぷらを二種トッピングして〆て560円でした。
     

 本場の讃岐うどんを食したことのない私には、北の讃岐うどんが本場と比べてどうなのか分かりませんが、コシの強さは十分感ずることができました。
 特徴的だったのは、レモンが添えられていたことでした。このレモンの風味が意外に強く思われましたが、好みは人によってさまざまなのではと思われます。
 ちなみに私にはレモンの風味がスープのダシの良さを消してしまっていないだろうか、と思いました。
(それならレモンを絞らねばよいのですが・・・)

 それにしてもこの店は11時に開店して、15時30分には閉店してしまいます。
 私が行ったときにはそれほど繁盛している様子には見えませんでしたが、わずか4時間半程度の商いでペイするんでしょうかね?
 いらぬおせっかいかもしれませんが・・・。

 ちなみに店名「ふう」は、うがった見方をする某氏によると讃岐風(ふう)の「ふう」を意味していて、けっして本場物を謳っているわけではないというのですが、果たして真実は???
 今度、直接店主に伺ってみようかな?

北の讃岐「ふう」
札幌市中央区北1条西10丁目1-11(地図)
電話番号  011-272-1154
営業時間  11:00~15:30
定休日   日曜日・祝日
駐車場   無
座 席   30席(カウンター・テーブル)
入店日   ’08/02/14                           

蝦夷音楽祭 後編

2008-02-18 22:54:20 | ステージ & エンターテイメント
 蝦夷音楽祭4日間に出演した18組の個人、グループのラインナップを紹介すると・・・

 【2/5 火】      【2/6 水】
  ◇石崎 薫        ◇シャイポール久保田
  ◇児玉梨奈        ◇福寿草
  ◇ヌルマユ永井      ◇NⅡ
  ◇ZERO        ◇モーリー
  ◇廣澤 健&石田 誠   ◇しらはた隆一
 【2/7 木】      【2/8 金】
  ◇池庄          ◇高橋真樹
  ◇キッコリーズ      ◇浜田隆史
  ◇ストーヴ        ◇浅井のぶ&武部悟&小松崎健
  ◇ABO(荒井)誠&yasuko ◇ハードトゥファインド

 いずれも札幌圏を中心に道内で活躍するミュージシャンですから、ネームとしてはマイナーですが、いずれ劣らぬ実力者が揃った音楽祭でした。

 18組のミュージシャンの横顔を知りたいと思う方は、蝦夷音楽祭をクリックして、さらにミュージシャンの名前をクリックすると簡単な紹介が出てきます。

 私が聞くことができた2月5、7、8日に出演した13組ですが、その中で私が注目したのは、キッコリーズのミュジカルソウを操りボーカルを担当するカボウという女性シンガーと、ラグタイムミュージックを中心にアコースティクギターを奏でる浜田隆史の二人です。
 両者とも独自の音楽観を確立し、個性を全面に出した確かな演奏スタイルは十分に魅せる音楽として確立しているように思われました。
     
     ※ ラグタイムミュージックを奏でる浜田隆史です。 

 また個人的な好みでいえば、ブルーグラスバンドのストーヴと、ケルト音楽のハードツゥファインドを挙げたいと思います。
 この両者もやはり、それぞれのスタイルを確立して確かな音楽を創り出しています。特にハードツゥファィンドは、中世ヨーロッパの楽器「ハンマーダルシマー」を中心として、ケルト音楽という特異なジャンルの音楽を見事に自分たちのものとしていました。

 そのほかの方々も、それぞれオリジナリティー豊かに自分の音を奏でていたように思います。
 今から次回の音楽祭が楽しみです。

無念なり!恵庭クロカン

2008-02-17 17:44:51 | スポーツ & スポーツ観戦
 第20回記念 恵庭クロスカントリースキー大会
 15Km 一般男子B ゼッケン№657
 出走ならず む~無念!

 2月17日(日)は今シーズンのクロカンのラストランとしていた恵庭クロカンの日でした。
 しかし、あろうことか、この土・日私は風邪で寝込んでしまうという体たらくを演じてしまいました。
 参加料3,000円は納付済みでしたが、とても出場できるコンディションではなく、断念しました。
 今シーズンの最後の大会と思い、それなりに準備もしていたのですが・・・。

 それでもクロカンに取り組むことによって、市内外のいろいろなコースを体験することができました。
 まだまだ出場してみたい大会もありますから、来シーズンはもっと準備をしっかり行なって、いろんな大会にチャレンジしてみたいと思います。

蝦夷音楽祭 前編

2008-02-16 19:10:01 | ステージ & エンターテイメント
 多彩なミュージシャンが活躍していることを知りました。
 多くの実力あるグループが道内に存在していることを知りました。
 私は至福の3日間を過ごすことができました。

 話は少し旧聞に属するのですが、さっぽろ雪まつりに並行する形で、2月5日~8日までの4日間、時計台ホール(中央区北1西2)を会場にして蝦夷音楽祭なるものが開催され、私は3日間通い詰めました。
(2月6日はサッカーWCアジア予選のTV観戦の誘惑に負けました)

 私は無料の音楽祭と聞いて、「若手のアマチュアミュージシャンに発表の場を提供する音楽祭だろう。だとすると、“北のコブクロ”のような若手が見つかるといいなぁ・・・」くらいの気持ちで会場に向かったのです。
 ところがどうして、どうして、演奏するミュージシャンはセミプロやプロばかり・・・。実力十分の面々が次々と登場しました。
     
     ※ 出演したミュージシャンの一つ、キッコリーズのステージです。

 この音楽祭は、蝦夷音楽企画という北海道のミュージシャンを応援するボランティアグループが開催したものです。
 したがって、出演したミュージシャンもノーギャラでの出演ということでした。

 出演したミュージシャンは18組の個人、グループです。(私はそのうち13組を聴くことができました)
 出演時間はそれぞれ20~30分間と短く、彼らの音楽のダイジェスト版的なものでしたが、それぞれの個性を十分に感じ取ることができました。

 個々についての感想は次回に投稿することにします。

私の北極物語 和泉雅子トークショー

2008-02-15 19:34:18 | 講演・講義・フォーラム等
 「なぁ~んで北極に行ったのかって?」
 「それが大した理由なんかないのよ~」
 「以前に南極に行ったときに、向こうまでツーッと突き抜けた風景を見て感激したのよ~。で、そんな風景が北極でも見られると思い、北極に行ってみようと思ったわけなのよ~。アハハハハハ・・・」

 どこかのおばさんが世間話か、漫談でもするように和泉雅子さんのトークショーは始まりました。
 飾り気のない人柄であるあることは以前から知っていましたが、60代を迎えてますます磨きがかかったという感じでした。

 某日、毎日新聞社主催でかでる2・7を会場に開催されたトークショーに参加してきました。
 演題は、「私の北極物語 ~ 北極から考える地球の温暖化」となっていましたが、時間のほとんどは彼女が1989年に日本女性として初めて北極点に立った冒険旅行の話に費やされました。
 彼女の人を飽きさせないしゃべりはエンターティナーそのもの、和泉さんは参加者の心を鷲掴みにし、笑いを誘いながら一気にしゃべりまくりました。
 
 そして彼女は北極点に立つことは自分の希望であり、夢だったと語り、さらに続けた。
 誰もが私だけの北極点(夢・希望)をもって毎日を暮らしてほしい、と・・・。

 そして、最後に・・・
 その後も何とか極地地帯を旅するのだが、行く度に極地の変化を実感している。
 地球が大病になる兆しが極点付近により顕著に出ているような気がする。
 地球を大病から救う術を私は分からないが、ぜめて自分自身は清く正しく地球に優しいことを実践していきたいと思っていると・・・。

 私たちの世代の青春スター和泉雅子は、いつの時代も清く正しく生きているのです。

小樽雪あかりの路

2008-02-14 19:38:02 | 道内の旅

 川面に浮かぶガラス玉の輝き・・・
 雪の隙間を通して私に届くキャンドルの揺らめき・・・
 派手さはけっしてないけれど、優しい灯りが人々を癒す・・・
     
          
 いゃ~、「小樽雪あかりの路」はすごい人の混み具合でした。
 狭い通路をまるでラッシュアワーのように見物客が行き交います。
 シャッターチャンスを求めて、立ち止まる人が多いため人混みがなかなか動きません。
 メイン会場の小樽運河会場は大変な人混みでした。

 今年のテーマは「地上ノホシゾラ」とか・・・。
 確かに運河に浮かべられた浮き玉キャンドルは、夜空に光る星たちのようだった・・・。
     

 無意味な音が無かったのが良かった。
 聞こえるのは、人々の歓声とため息だけ・・・。
 人が多すぎて、静かな灯りの中に浸るというわけにはいかなかったが・・・。

 私たちは小樽の中心街会場である運河会場、手宮線会場、それにあかりの路会場と称されるメルヘン交差点・堺町通りと、特に観光客が集まるところを歩いてしまった。
 後から案内マップを見ると、小樽市内のあらゆるところが会場になっていることが分かった。
 きっと、そうしたところでは人もそれほど多くなく、静かに灯りを楽しむ人たちがいたのではないだろうか。

 次回は、そうしたところも歩いてみたい・・・。


まつりのあと・・・

2008-02-13 20:48:23 | 札幌(圏)探訪
 祭りのあとの淋しさが…
 いやでもやってくるのなら
 祭りのあとの淋しさは・・・♪

 ご存知、吉田拓郎が唄う「祭りのあと」の一節です。

 さっぽろ雪まつりが終わった翌日、勤務を終えた私は大通公園に足を運びました。
 そこは吉田拓郎の世界そのままでした。
 勇壮さを誇ったスフィンクスやラムセスⅡ世像も、緻密な彫刻を見るようだった犬山城も、すべて雪の塊となっていました。
     
     ※ before エジプトの遺跡

     
     ※ after エジプトの遺跡

 一方で、関係者の休憩室や売店に使われたプレハブ小屋も業者の手によって取り壊し作業が進んでいました。

 拓郎は「淋しさ」と唄いましたが、そこには同時に「儚さ」や「空しさ」も同居しているようでした。
 まつりが華やかであればあるほど、その後に来るこのような空気は避けがたいものかもしれません。

 しかし、まつりを泡沫(うたかた)の夢として記憶の彼方に追いやってしまってよいのでしょうか。 
 まつりの質としてはまったく異質ですが、私は現職時代に次のようなことを述べたことがあります。
 それは学校にとってはある種“まつり”とも呼べる公開研究会を催した後に述べたものです。(公開研究会とは、学校にとって自校の職員研修の成果を授業と共に広く外部に公開する大切な催しです)

 (前略)
 さて、“まつり”は終わった。
 私たちがなすべきことは何でしょうか・・・。
 私たちは“まつり”を迎えるために注いだエネルギーに劣らぬエネルギーを注いで“まつり”を振り返ることが必要なのだと思います。
 私たちは“まつり”を“まつり”で終わらせてしまってはいけないのです。
 気分が高揚した非日常的な中で実現した“まつり”の姿を、私たちは日常的なレベルで現実に根付かせ、さらに発展させなければなりません。
 そのためには、しっかり振り返り、“まつり”で得たこと、学んだことを分析・整理し、次への課題を見出すことが求められているのです。
 (後略)

 学校という小さな空間の出来事と、さっぽろ雪まつりを同列に論ずることなど無謀なことですが、どこかに通ずるものがありそうだなぁ~と思うところがあり、昔の文章を引っ張り出してみました・・・。

さっぽろ雪まつり さとらんど会場

2008-02-12 16:40:29 | 札幌(圏)探訪
 クロカンの練習のためモエレ沼公園コースで練習をした帰り、さっぽろ雪まつりのもう一つの会場、さとらんど会場を覗いてみました。
 さとらんどは、市民が農業体験などを楽しむ広い場所ですが、それでも駐車場は足りないらしく、モエレ沼公園の駐車場から無料のシャトルバスで出ていて、それを利用して会場に向かいました。

 こちらもやはり大都市のおまつり会場ですね。たくさんの人で溢れていました。
     
     ※ ちょっと遠景過ぎて、人の込み具合が分かりませんねぇ・・・

 さとらんど会場は、大通会場が見物することが主眼なのに対して、雪と遊ぶ、雪と戯れる体験をしてもらうことを主眼とした会場だそうです。
 チューブすべり台、雪の大迷路、スノーバナナ、スノーラフト、などなど・・・。
 どの遊びもたくさんの人が群がっており、順番待ちをしていました。報道によると中には3時間待ちなどというアトラクションもあったようです。(よくそんなに辛抱強く待てますねぇ。田舎人にはとても無理な話です)

 とても微笑ましい取り組みもありました。
 「ラヴだるま」と称して、来場した人が小さな雪だるまを作ったのをたくさ~ん並べてありました。小さなかわいい雪だるまがたくさん並んでいるのを見ると、微笑ましくなるものですね。
     

 大通会場、さとらんど会場に共通して「どうなのかなぁ?」と思ったことがあります。
 それは、会場の中央部に位置するようなところに食べ物屋さんのたくさんの屋台が並んでいることです。
 周辺は売り子たちが宣伝する大きな声が飛び交い、まつりの雰囲気を一変させてしまうような感じです。
 外国人もたくさん訪れているさっぽろ雪まつりですが、彼らはこうした光景をどのように眺め、どのような感想をもつのでしょうか?

 楽しいまつりには食の楽しみも当然ありますから、食べ物屋さんが出店することは結構だと思うのですが、その配置に考慮する点はないのでしょうか?
 

夜のさっぽろ雪まつり

2008-02-11 20:02:54 | 札幌(圏)探訪
 昼間とは違った表情を見せるであろう、夜の雪像を見てみようと出かけました。

 ライトアップされた雪像は趣きを異にして、一段と夜空に映えていました。
 写真には撮れませんでしたが、中には色彩豊かにライトアップされたものもあり、会場全体が華やいで感じられました。
          

 最初に目に入ってきたのは雪像ではありませんが、大通13丁目にある札幌資料館がライトアップされた姿でした。資料館の前庭にはたくさんのスノーキャンドルが灯されていて、夜のさっぽろ雪まつりのプロローグ的(反対方向に歩いてきた人にはエピローグ的)役割を果たしていました。
     

 続いて、12丁目広場には市民雪像が広場を取り囲むように多数展示されていましたが、けっして全てが上出来とは言えないまでも、それぞれが懸命に取り組んだことをしのばせる作品群でした。
 驚いたのは11丁目の国際雪像コンクールの作品群です。各国で予選か何かを経て派遣されてきた人たちなのでしょうか。どの作品も精巧であり、見応え十分の雪像ばかりだったのには驚きました。

 8丁目広場には高さ30メートルを超えるような大きなジャンプ台が設営されていて、そこではスキーのフリースタイルの選手たちが空中でさまざまな回転技や宙返り技を繰り出し多くの観衆を湧かせていました。
     
      ※ちょっと高さが実感できない写真ですね。

 その他も、それぞれの広場で各種のイベントが繰り広げられていましたが、南大通が交通止めとなっていて、その路上にイベント用のトラックを持ち込んでダンスパフォーマンス大会(ヒップホップって言うのかな?)が行なわれていました。
     

 違った意味で盛り上がっていたのは、6丁目の食の広場(フードパーク)でした。
 寒い中での見物ですから、みなさん中から温めようというのでしょうか。
 いろんな食材を焼いたり、温めたりする匂いが辺りを充満していました。

 さて、私は札幌新参組ですから今回は何度も会場に足を運びましたが、生粋の札幌っ子はあの大群衆の中にどれくらいいたのでしょうか?
 その割合は意外と少ないとも聞きましたが、果たしてどうなのでしょうか???
     
 

運搬排雪見学会

2008-02-10 22:36:50 | 札幌(圏)探訪
 北海道で生まれ、北海道で暮らしてきた私にとって、道路の排雪風景は特に珍しいものではありません。
 しかし、年間に6メートル以上の降雪があるという大都市札幌の排雪の様子を見ておくことも後学のためと思い、札幌市の主催する見学会に参加しました。

 時間は夜の8時、会場は大通公園の11丁目。
 札幌市民に混じって観光客の顔もちらほらあり、見学者数は3~40名くらいだったでしょうか。(主催者としてはもう少し多くの見学者を期待していたかも?)

 排雪作業には、ロータリー除雪車、ダンプトラック、除雪ドーザー、融雪剤散布車など、札幌市や道開発建設部が有する除雪機器を次々と披露してくれました。
 私にとってはどれも見慣れているものばかりでしたが、ロータリー除雪車はこれまで見たことのあるものよりはかなり大きく、効率の良いものだったようです。(写真の車)あっという間にダンプの荷台は雪で一杯になってしまいました。

 改めて感じたことがあります。
 それは排雪作業というのは、雪を運搬するダンプトラックが相当数必要だということです。すぐにダンプの荷台が一杯になるので、係員に尋ねました。
 「100メートルを排雪するのにダンプ何台くらい必要なのですか?」と、そうすると「雪の嵩にもよりますが、100メートルでおよそ6~7台が必要です」とのことでした。
 ということは、札幌市内の主要道を排雪するだけでも莫大なダンプの数が必要になってきます。

  190万都市札幌の冬の交通をスムーズにさせるためには、相当のコストが必要なのだということを改めて認識させられた運搬排雪見学会でした。