エピローグの最後は、このプロジェクトに費やした32日間を総体的に振り返り、私の記録として記憶に残したい。
【冬の石狩川河岸を遡る 全体像】
◇実施期間 2014年1月 ~ 2019年2月 通算6年間、32日間を要した
◇宿泊回数 13泊
◇距 離 233km(石狩川河口⇒大雪ダム 直線距離)
◇交通手段 石狩川河口 ⇒ 愛別橋(公共交通機関 JR・バスなど)
愛別橋 ⇒ 大雪ダム(自家用車・公共交通機関の併用)
プロジェクト 1年目
◆2014
◇第1日 ‘14/01/22 石狩川河口 ⇒ 石狩河口橋
◇第2日 ‘14/01/30 石狩河口橋 ⇒ 札幌大橋
◇第3日 ‘14/02/09 札幌大橋 ⇒ 新石狩大橋
※ '14/01/22 プロジェクトの初日です。右岸を歩いているのだから右手に川が見えていたのに、左手にこのような流れを見てビックリ!私は川の上を歩いていたのでした。
プロジェクト 2年目
◆2015
◇第4日 ‘15/01/29 新石狩大橋 ⇒ 美原大橋
◇第5日 ‘15/02/05 美原大橋 ⇒ 川下集落
◇第6日 ‘15/03/01 たっぷ大橋 ⇒ 月形大橋
◇第7日 ‘15/03/13 川下集落 ⇒ たっぷ大橋
※ '15/03/01 朝焼けに映える石狩川と「たっぷ大橋」です。
プロジェクト 3年目
◆2016
◇第 8日 ‘16/01/22 月形大橋 ⇒ 札比内
◇第 9日 ‘16/01/28 札比内 ⇒ 美浦大橋
◇第10日 ‘16/02/19 美浦大橋 ⇒ 奈井江大橋
◇第11日 ‘16/03/06 奈井江大橋 ⇒ 於札内
◎ 浦臼休養林センター泊
◇第12日 ‘16/03/07 札比内 ⇒ 砂川大橋
◇第13日 ‘16/12/16 砂川大橋 ⇒ 徳富川河口
◇第14日 ‘16/12/28 徳富川河口 ⇒ 尾白利加川河口
◎ たびびとやど「ゆき・ふる・さと」泊
◇第15日 ‘16/12/29 尾白利加川河口 ⇒ 江竜橋
◎ たびびとやど「ゆき・ふる・さと」泊
◇第16日 ‘16/12/30 江竜橋 ⇒ 石狩川第一橋梁(鉄橋)
※ '16/02/19 浦臼町付近の石狩川の流れです。
プロジェクト 4年目
◆2017
◇第17日 ‘17/01/03 石狩川第一橋梁 ⇒ 向陽橋
◇第18日 ‘17/01/23 向陽橋 ⇒ 深川橋
◎ くつろぎの里 旅荘「イルム館」泊 深川
◇第19日 ‘17/01/24 深川橋 ⇒ 納内橋
◎ くつろぎの里 旅荘「イルム館」泊 深川
◇第20日 ‘17/01/25 納内橋 ⇒ 神納橋
◇第21日 ‘17/02/14 神納橋 ⇒ 観魚橋
◎ 東横イン「旭川駅前一条通」泊
◇第22日 ‘17/02/15 観魚橋 ⇒ 旭橋
※ '17/02/15 旭川市の中央部に架かるアーチ型の「旭橋」と石狩川です。
プロジェクト 5年目
◆2018
◇第23日 ‘18/01/03 旭橋 ⇒ 永山橋
◎ 東横イン「旭川駅前一条通」泊
◇第24日 ‘18/01/04 永山橋 ⇒ 麻布橋
◎ 東横イン「旭川駅前一条通」泊
◇第25日 ‘18/01/05 麻布橋 ⇒ 愛別橋
◇第26日 ‘18/01/23 愛別橋 ⇒ 中愛別駅周辺
◎ 上川町 ミニホテル 「くうねるたにぐち」泊
◇第27日 ‘18/01/24 中愛別駅周辺 ⇒ 愛山渓入口
◎ 上川町 ミニホテル 「くうねるたにぐち」泊
◇第28日 ‘18/01/25 愛山渓入口 ⇒ 留辺志部橋
※ '18/01/05 愛別町付近を流れる石狩川です。
プロジェクト 6年目
◆2019
◇第29日 ‘19/02/06 留辺志部橋 ⇒ 白雲橋(白川)
◎ 上川町 ミニホテル 「くうねるたにぐち」泊
◇第30日 ‘19/02/07 白雲橋 ⇒ 層雲峡オートキャンプ場
◎ 上川町 ミニホテル 「くうねるたにぐち」泊
◇第31日 ‘19/02/08 オートキャンプ場 ⇒ 層雲峡温泉
◎ 上川町 ミニホテル 「くうねるたにぐち」泊
◇第32日 ‘19/02/09 大函 ⇒ 大雪ダム
※ 銀河トンネル部分危険のためパス
※ '19/02/07 上川町上流の石狩川の流れです。
全体を振り返ってみて、前日のゴールが翌日のスタートとなって繋がっている。ところが、2015の第5日と第6日が繋がっていない。第5日のゴールは「川下集落」なのに、第6日のスタートが「たっぷ大橋」になっている。本来は「川下集落」から「たっぷ大橋」を目指すべきなのだが、実施した3月1日が日曜日だった。すると周辺を走るコミュニティバスが日曜休便のために「たっぷ大橋」から戻ることができなかったために、交通の便がある「たっぷ大橋」⇒「月形大橋」間を先に実施し、「川下集落」⇒「たっぷ大橋」間を後日の3月13日に実施した。
もう1カ所、今回実施の第31日目のゴールと第32日目のスタート地点が繋がっていない。このことについては、ライブレポでも再三触れたが「銀河トンネル」の部分の河岸は非常に危険な区間と考えられ、私のような素人が近寄るのは危険と判断し、パスした区間である。この区間のパスはかえすがえすも残念であるが、層雲峡のネーチャーセンターが時にはガイドツアーを実施しているとも聞いた。「いつか…」という思いを残しながら、6年間にわたった厳しくも楽しかった日々のプロジェクトを終了することにした。
私はこのプロジェクトに挑むにあたり、二つのことを自分に課した。一つは、①できるだけ石狩川を視界に入れながら進むこと。そしてもう一つは、②けっして川の上を歩かないこと。の二つだった。①については、掘割や石狩川に入り込む川のために度々石狩川から遠ざけられることはあったが、それ以外はできるだけ石狩川が視界に入るところを歩くように努めた。②については、実はこのプロジェクトの第一日目(‘14/01/22)に知らず知らずに石狩川の中を歩いていることに気づかされ肝を冷やしたことがあったが、それ以外はけっして川面に下りることはなかった。
少し長くなったエピローグ Ⅲを閉じねばならない。今振り返って、私は石狩川河岸を遡ることで、何か学術的な調査をしたわけではない。また、何かの自然を観察したわけでもない。さりとて他に何かの報償を目的としたわけでもなかった。
私はただただ厳寒の中、石狩川の上流を目指しただけだった。それは他人から見ると、風車に向かって突進したあのドン・キホーテを見るような可笑しさだったかもしれない。なぜ私がそんなことに取り憑かれたのか?私の中に明確な答えなど存在しない。
敢えて言えば、それは……… “男のロマン” を追い求めた行為だったのかもしれない…。