白雲橋 ⇒ 層雲峡オートキャンプ場 トレッキング期日‘19/02/07
この日(2月7日)も、一日中深雪との格闘だった。前日の疲れを感じていたが、ある意味あきらめの気持ちもあったのだろうか?淡々と歩を進めたことで意外に距離を稼げたと思った。トレッキングを終えたとき、翌日に層雲峡温泉に到達できる見通しが出てきた。
前日(2月6日)ホテルに帰り、計画通り進むことができなかったことから私はすっかり弱気になっていた。あるいは層雲峡温泉に到達するには4日間を要するのではないかと…。
二日目の朝、疲れは感じていたが5時30分に起床し、準備を整え6時30分にはホテルを出て、昨日のゴールの「白雲橋」に向かった。ところがライブレポで「ちょっとしたアクシデント」と記したが、大切なものを忘れてホテルへ舞い戻ったために、結局スタートは前日より遅く、7時50分近くとなってしまった。
※ この日のスタート地点となった「白雲橋」です。
※ この日もまた、こうした河岸の灌木地帯を往くトレッキングでした。
この日はさっそく掘割が私の前進を阻んだ。昨日同様、渡ることのできそうな立木が横たわっているところをモデル歩き(という言い方があるのかな?)で通過した。
※ スタートして間もなく現れた大きな掘割です。
※ その掘割に横たわっていた木が橋の役割をしてくれます。
※ 私が渡った跡です。もちろん向こう側からこちらへ渡りました。跡が細いのが分かりますか?
そこを通過してしばらく行くと、これまでの灌木地帯とは全く様相の異なった地帯に足を踏み入れた。それは明らかに人の手で植林されたと思われるエゾマツの人工林だった。なんで河岸にそうした植林を施したのか素人の私には想像できかねるが、あるいは河岸も有効な木材の産地とする試験地としているのだろうか?それにしてもそのエゾマツ林は密生しすぎではないだろうか?私はその間を通過するのに苦労するほどエゾマツは密生していた。
※ この木の立っている様子は明らかに人工林でしょう。
エゾマツの人工林をようやく通過すると(エゾマツ林は4~500mあったろうか?)、なにやら小さな石標が目に入った。近づいてみると「マクンベツ十九線官設渡船場(跡)」(“跡”の字は確認できなかったが)とあった。周りを見回してみると、なるほど渡船場の台座跡のようなものがあった。川向いにもそれらしき跡を認めることができた。
※ 雪の中にひっそりと立っていた石標です。
※ 石標の傍には渡船場の台座跡と思われる造営物が残っていました。
問題はその後だった。右岸は川面のところからいきなりせり上がり、とてもそこを行くことは不可能だった。私はそこを回避して崖の上に上ることにした。その崖を上がるのが一苦労だった。ようやく上がったところは、国道の除雪された雪が積み重なったところだった。
※ 渡船場跡の先は、写真で見るように右の川面とそこから屹立する崖に前進を止められました。
※ 左は国道、右は激しく落ちているため、私は除雪した雪が堆積している頂点を往きました。
川面に灌木を繁る地帯が戻ってきたのを確かめ、国道のところから戻ることにしたときだった。あまりに急角度だったこともあり、私は滑り落ちてしまった。雪の中にもんどりうった私は立ち上がるのに苦労してしまった。
※ その国道から河岸に戻るとき、あまりにも急斜面のため滑り落ち転んでしまった跡です。
再び石狩川の河岸を往く私だったが、ここで私には似合わない迷文句が思い浮かんだ。それがライブレポに投稿したものだ。曰く「周りは白い雪と木肌の灰色、時おり顔を出す石狩川の黒い流れと、完全なモノトーンの世界です。聞こえるのはスノーシューが雪を踏みしめる音だけ。歩みを止めると石狩川の流れがかすかに聞こえてきます。誰もいない、何も聴こえない。雪原の中、孤独を楽しんでいます」と…。
※ 石狩川と対岸の様子です。
行動開始後2時間を経過したころだった。遠くに人口の造営物が目に入ってきた。「真勲別発電所」である。傍にはその発電所に通ずる橋も石狩川を跨いでいた。
※ 灌木の向こうに建物が見えています。
真勲別発電所のところを通過して、再び石狩川沿いに近づくと対岸は川面から激しく切り立っていた。木が斜面にかろうじてしがみついている様子だった。さらには、夏は滝となって流れ落ちているであろう青氷の塊が見えた。
※ 対岸も激しく切り立っています。
※ 私が見た唯一の青氷です。
この日の特徴の一つはエゾシカに3度出会ったことだ。いずれも一頭ずつだったが、カメラを向ける前に逃げられてしまい一枚もモノにできなかった。そのエゾシカは素晴らしい跳躍力を誇るのだが、足跡を辿ると雪が深いため腹を雪面にこすりながら移動していた。
私はそのエゾシカの跡と進行方向が同じ場合は、少しでもスノーシューの沈み込みを避けるためにその跡を辿りながら前へ進むのだった。(エゾシカに遭遇したのはこの日だけだった)
※ この跡は私のものではありません。エゾシカが腹をこすりながら進んだ跡です。
石狩川に目をやると、川底が浅くなったからだろうか?川底から顔を題した岩石の上に雪が載って、その情景はなんだかほっこりした思いを抱かせる童話の世界のようだった。
※ 単調な光景が続く中で、とても気に入った一枚です。
河岸の灌木地帯を歩いているとまた大きな掘割に遭遇した。仕方がないのでそれを避けようと国道の方へ向かうと、国道ではないのに橋状のものが目に入った。近づくとその橋には「ウグイス橋」と名が付けられていた。その名前を見て、私はピーンときた。以前、旭川から延びていたサイクリングロードの橋には野鳥の名前が付けられていたのだ。この橋は層雲峡温泉に延びるサイクリングロードだった。
※ 層雲峡までのサイクリングロードは、専用路と国道を走るところと混在しているようです。
その橋を渡り終えたとき、「そうだ!橋の下を昼食ポイントにしよう!」と思い立った。雪が降っていたこともあり、さらにはある程度風も避けることができる。しかも、腰を下ろすこともできる絶好の昼食ポイントと考えた。
※ これは雪を被った「ウグイス橋」です。
※ その「ウグイス橋」の橋下が絶好の休憩場所となりました。
昨日同様、カップスープを飲み、さらにはインスタントの味噌汁まで作った。さらにはこれも昨日同様調理パンを頬張った。腰を下ろすことはできたが、寒さのために長居はできない。休んだのは15分くらいだったのではないだろうか?
昼食を終えた後、しばらくはサイクリングロード上を歩いた。しかし、やはり面白みがない。直ぐに河岸に戻って前進を続けた。河岸には真っすぐ進むのが困難なところも次々と現れたが、そこをどのように避けて進むのか考えながら進むのも自然を対象としたスノーシューの楽しみである。
※ 時にはこうした風倒木が私の前進を阻止しました。
※ この写真も私がちょっと気に入っている一枚です。
そうしているうちに、灌木の中に高い塔が目に入った。その塔は「大雪ダム」が放流した際に注意を促す警報を鳴らす警報塔だということだ。
※ ダムの放流の際に警報を発する警報塔です。
警報塔に続いて橋が目に入った。「層雲峡オートキャンプ場」に通ずる橋だった。時に14時50分、スノーシューを脱ぐ時間だった。
※ 層雲峡オートキャンプ場(青少年旅行村)は、対岸の左岸に造成されているようです。
そこにはきっとバス停があるだろうと予想していたが、案の定「陸万」というドライブインなどがあるちょっとした集落だった。バス時間まで約30分待ち、車を駐車した「白雲橋」まで乗り、車をピックアップしてホテルに戻った。
「層雲峡オートキャンプ場」まで至ることができたということは、層雲峡温泉まで 国道の直線距離にして6~7キロである。翌日中に到達できる見通しが立ったことで少し元気が出てきた。
※ この日の歩数 24,840歩 距離 17.5km
※ ライブレポでは「層雲峡青少年旅行村」と表現していたが、それは手持ちの地形図に表示されていたからだが、現地では「層雲峡オートキャンプ場」の方が大きく表示されていた。おそらく両者は近接してあると思われるが、ここでは現地の表示を採用することにした。