俳優界の大御所とも称された森繁久彌さんが11月10日に逝去されました。
96歳での大往生ということです。
テレビでは森繁さんの追悼番組が何本も放送されていました。
その一つを見ながら、私は遠い日のことを思い出していました。
物持ちの良くない私が「あるかなぁ・・・」と大して期待もしないで本棚を探してみたところ、出てきたのです!!! 表紙には「Fiddler on the Roof」とあり、下段に「IMPERIAL THEATRE」と金箔(?)で刻字されたガイドブックが!!!
1982年(昭和57)年10月、私は東京上野の森にある研修施設で1ヶ月間の研修に入っていました。
本来の研修である昼間の研修もしっかり務めていましたが、それと同時にこの機会に少しでも東京を知りたいと情報誌「ぴあ」を片手に東京のさまざまなところに出没し、さまざまな催しを訪ね歩いていました。
その「ぴあ」の中に帝国劇場で森繁久彌主演の「屋根の上のヴァイオリン弾き」が公演中であることが載っていました。そして、「公演日に若干の当日券の販売がある」という記述を見つけました。
当日の朝、帝国劇場のチケット売場に行きチケットを入手しました。その席は階段席といわれるいわゆる通路です。つまり会場の最後尾の階段に腰を下ろして観る席だったのです。
私はステージから最も遠い階段席で森繁さんの代表作「屋根の上のヴァイオリン弾き」を観劇しました。
今から25年も前のことですから、舞台の記憶はほとんど残ってはおりません。
おぼろげながら記憶に留めていることは、森繁久彌さんの力みのない自然体の演技と、フィナーレで出演者全員で歌う「サンライズ・サンセット」の響きが微かな記憶となっています。
森繁久彌さん主演の「屋根の上のヴァイオリン弾き」の舞台は1967~1986年まで合計900回も演じられたと聞きます。
そうすると、私が観たのは何回目だったのだろうか・・・。計算するとその時、森繁さんはすでに69歳だったということになります。
森繁さんのご冥福を祈りたいと思います。(合掌)
96歳での大往生ということです。
テレビでは森繁さんの追悼番組が何本も放送されていました。
その一つを見ながら、私は遠い日のことを思い出していました。
物持ちの良くない私が「あるかなぁ・・・」と大して期待もしないで本棚を探してみたところ、出てきたのです!!! 表紙には「Fiddler on the Roof」とあり、下段に「IMPERIAL THEATRE」と金箔(?)で刻字されたガイドブックが!!!
1982年(昭和57)年10月、私は東京上野の森にある研修施設で1ヶ月間の研修に入っていました。
本来の研修である昼間の研修もしっかり務めていましたが、それと同時にこの機会に少しでも東京を知りたいと情報誌「ぴあ」を片手に東京のさまざまなところに出没し、さまざまな催しを訪ね歩いていました。
その「ぴあ」の中に帝国劇場で森繁久彌主演の「屋根の上のヴァイオリン弾き」が公演中であることが載っていました。そして、「公演日に若干の当日券の販売がある」という記述を見つけました。
当日の朝、帝国劇場のチケット売場に行きチケットを入手しました。その席は階段席といわれるいわゆる通路です。つまり会場の最後尾の階段に腰を下ろして観る席だったのです。
私はステージから最も遠い階段席で森繁さんの代表作「屋根の上のヴァイオリン弾き」を観劇しました。
今から25年も前のことですから、舞台の記憶はほとんど残ってはおりません。
おぼろげながら記憶に留めていることは、森繁久彌さんの力みのない自然体の演技と、フィナーレで出演者全員で歌う「サンライズ・サンセット」の響きが微かな記憶となっています。
森繁久彌さん主演の「屋根の上のヴァイオリン弾き」の舞台は1967~1986年まで合計900回も演じられたと聞きます。
そうすると、私が観たのは何回目だったのだろうか・・・。計算するとその時、森繁さんはすでに69歳だったということになります。
森繁さんのご冥福を祈りたいと思います。(合掌)