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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 10 「地球交響曲 ~ガイア シンフォニー」~ Part Ⅳ(瀧村仁講演)

2009-11-11 22:39:37 | 映画観賞・感想

 映画「地球交響曲~ガイア シンフォニー~」の監督瀧村仁はなかなか魅力的な人でした。彼の話は映画の理念を語るのではなく、映画を作り続けることの苦心を語るという意外なものでした。
 
 登壇した瀧村仁氏は当年とって69歳とは思えぬ若々しさで、言葉も飾らず精力的に語り始めました。
 私は瀧村氏が映画を創るにいたった動機とか、映画を通じて世に問いたいことなどを語るのではと期待していたのですが、期待は見事に裏切られました。そうしたことは全て映画の中に込められているとでもいうように・・・。
 そして彼が語ったのは、こうした硬質の映画を作り続ける資金的な難しさについてでした。

 第一番は1989~1991年にかけて制作しましたが、公開まで一年を要したそうです。それは資金回収の目途が立たなかったために、映画館側の協力が得られなかったからです。
 瀧村氏の奔走の結果、第一番はセゾングループのオーナーの堤清二氏の支援を受けて公開することができました。セゾングループの業績不振から、第二番~三番は京セラの稲森和夫氏の理解を得て支援を受けました。

 公開できないという辛い場面、困難な状況の中で、そのことをどう受け止め、どう対処するかが大切ではないかと瀧村氏は語ります。そして、そうした状況は変化し、進化する可能性を秘めた機会でもあると・・・。
 事実、彼は辛い場面を乗り越え三度も理想とする映画を創り、公開できたことに自信を得て、第四番からは市民に浄財を募る方式に切り替え、制作費を回収しながら現在第七番まで制作をしているのです。
 そうした方式を彼は「共に聴くシンフォニーから、共に奏でるシンフォニーへ」と標榜しています。

 素の言葉で気軽に語っているように見える瀧村氏ですが、ガイドブックではしっかりとメッセージは発しています。そのメッセージを伝えつつ、このシリーズを閉じることにします。

「火より孵化る」

 “火よりしでぃる”と読みます。沖縄の格言で、“業火に焼かれる苦しみを経て、新しく生まれ変わる”という意味だそうです。 2001年8月、21世紀最初の『地球交響曲 第四番』が完成した日、出演者の名嘉睦稔から贈られたTシャツに描かれていた言葉です。睦稔の予言どおり、第四番の完成直後にあの9・11テロ事件が起こり、それ以後、今日まで、アフガン戦争、イラク戦争とまさに業火に焼かれるような日々が続いています。日々、新聞やテレビで報じられる悲惨なできごとを見ていると、世界は、地球交響曲の願いとは正反対の方向に突き進んでいるようにも見えます。しかし、そうではない、いや、そうさせてはならない。(中略)
 『地球交響曲 第五番』は、20世紀末に受胎した地球交響曲の魂が、母の子宮の中で「第一番」~「第四番」と順調に成長し、21世紀初頭の陣痛の苦しみを経て、今まさに新しい世界に生まれ出ようとする映画です。 

【エピローグ】
 恥ずかしながら『地球交響曲』を見たのはこの「第五番」が初めてでした。このような良質の映画に遅まきながら出会えたことを感謝しています。こうなったからには「第一番」~「第四番」、そして「第六番」もぜひとも見たいと思います。今その方策をいろいろと講じているところですが・・・。