映画が終わった瞬間、期せずして観客から拍手が起こった。私も深い感動に包まれながらそれに和したが、その感動を直ぐには文章にできないほど深く、重い感動でした。
北海道大学のサステナビリティ・ウィーク2009の関連行事の一環としてクラーク会館で行われた映画「地球交響曲(ガイヤ シンフォニー)第五番」を観賞してきました。
映画といってもストーリー性のある映画ではなく、哲学者や芸術家などが発するメッセージを主体としたドキュメンタリー映画です。そのメッセージを私が咀嚼するには少し時間が必要です。今日のものとはなりません。映画そのものについての感想には今少し時間をいただきたいと思います。
さて、その映画「地球交響曲(ガイア シンフォニー)」とは、イギリスの生物物理学者ジェームズ・ラブロック博士の唱えるガイヤ理論、「地球はそれ自体がひとつの生命体である」という考え方に基づき、龍村仁監督によって制作されたオムニバスのドキュメンタリー映画で、私が観賞したのはその第五作なのです。
※ 映画の最後の画面を写しましたがブレてしまいましたね。
第五番は、染織作家の石垣昭子、哲学者・未来学者のアーヴィン・ラズローの二人のメッセージがメインとなっていますが、第一番から第四番までに登場した方々も再登場してメッセージを発しています。
それらの一つ一つが深く、重いのです。
今日の私は映画の感想を自分の言葉で述べることができません。そこで、今日はガイドに掲載されている次の言葉を紹介してお茶を濁すことにします。
かつて人が、花や樹や鳥たちと
本当に話ができた時代がありました。
その頃、人は、自分たちの命
宇宙の大きな命の一部分であることを誰もが知っていました。
太陽を敬い月を崇め風に問ね(たずね)火に祈り水に癒され
土と共に笑うことが本当にいきいきとできたのです。
ところが最近の科学技術のめまぐるしい進歩と共に
人は、いつの間にか「自分が地球の主人であり、自然は
自分たちのために利用するもの」と考えるようになってきました。
その頃から人は花や樹や鳥たちと話す言葉を
急速に忘れ始めたのです。
人はこのまま自然と語り合う言葉を
永遠に忘れてしまうのでしょうか。
それとも科学の進歩と調和しながら
もう一度、その言葉を思い出すことができるのでしょうか。
この言葉が映画「地球交響曲 ~ガイヤ シンフォニー~」を雄弁に語っているように思います。