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まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
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神聖ローマ皇帝レオポルト1世皇女 マリア・アントニア

2011-05-12 22:21:35 | ハプスブルク帝国の妃・皇女
スペインは誰のもの?
レオポルト1世皇女 マリア・アントニア・フォン・エスターライヒ
バイエルン選帝侯マクシミリアン2世妃


1669~1692

レオポルト1世と一人目で最愛の妃マルガリータ・テレジアの間には二男二女が生まれました。
マリア・アントニアは長女です。
兄、弟と妹は生まれてすぐに亡くなりました。

家系図は省略しましたが、マリア・アントニアの父は、母の母方の叔父で
父方の従兄弟にあたります。
母方の祖父スペイン王フェリペ4世と祖母マリアナも伯父と姪の関係になります。
何言ってるかわからなくなってきたでしょ? 私も書いててわからなくなってきました。
とにかく、血が濃い~ってことでございます。

    

マリア・アントニアは生まれた時から母方の叔父(とは言っても8歳違い)にあたる
スペイン王カルロス2世と結婚させようと考えられていましたが
政治的な状況でかないませんでした。

サルディーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ2世のお妃候補にもなりましたが
成立しませんでした。

なにしろ優柔不断なレオポルト1世、子供たちの結婚でも英断ができなかったか?

結局1685年に、バイエルン選帝侯マクシミリアン2世と結婚しました。
エピソードが無いんだけど、幸せな結婚生活ではなかったらしいです。

1692年に23歳の若さで亡くなりました。
3人目の子、ヨーゼフ・フェルディナントが生まれて2ヶ月目に亡くなっているので
出産が問題だったのかもしれませんね。

ハプスブルク家最後のスペイン王カルロス2世はマリア・ルイサ・デ・オルレアンス
マリアナ・デ・ネオブルゴの二人の妃を迎えていますが
結局嫡子を遺さないまま1700年に亡くなります。
もともと虚弱体質な王で、亡くなる前から各王国の目は「だ、誰が後を継ぐのかっ?」と
スペインに注がれていました。

母のマルガリータがスペイン王フェリペ4世の王女ですので
その娘のマリア・アントニアには継承権がありました。
ですので、その息子ヨーゼフ・フェルディナントにも当然継承権があり
(長男と次男は産後すぐに亡くなっていました)
幼い王子に各国の注目が集まりました。

しかし、ヨーゼフ・フェルディナントはカルロス2世が亡くなる1年前に
7歳で亡くなってしまいました。

ヨーゼフ・フェルディナントが生きていたら、スペイン王家はブルボン家ではなくて
ヴィッテルスバハ家に渡っていたかもしれません。

この時代はどんな政治的手腕や知性より、長生き&子づくり能力が大切だったんだなぁ…
もう、それだけでいい! とさえ言えるかも…と、あらためて思いましたとさ。

(参考文献 江村洋氏『ハプスブルク家』 Wikipedia英語版)

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5 コメント

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う~ん・・・ (エリア55)
2011-05-14 18:40:07
ヴィッテルスバハ家にですか・・・
もしそうなっていたら、かなり歴史は変わってきたのかもしれませんね~
歴史に「もし」は無いって言いますが
もしって考えるの楽しいですよね~^m^
返信する
Unknown (Hope)
2011-05-14 19:24:46
あとこのマリア・アントニアの夫のバイエルン選帝侯マクシミリアン2世って方、息子ヨーゼフの夭逝の結果彼女の異母弟カール6世らとすったもんだの末にスペイン王となったブルボン家のアンジュー公フィリップ(のちのフェリペ5世)の叔父さんでもあるんですよねえ(姉の息子)。
そういった点からいってこの御亭主のように結婚政策の結果、ひとたび事が起きた時何らかの形で非常に微妙な立場に立たされる事になった場合、いろいろな意味で大変だったろうなあ…とも思います。
返信する
こんばんわ (まりっぺ)
2011-05-14 23:17:32
エリア55さま、こんばんわ

眠り姫(王子?)ダヤンさんはお元気ですか?
本当に眠っている姿は可愛くて、昼間の悪戯や粗相など許せちゃいますよね?
わが家には猫がいないのですけど、よそで眠っている猫を見ると天使みたい!

歴史上の「もしも」を考えるのはものすごく好きです。
特に昔の権力集中時代には、たった一人の生死でどれだけで大きく歴史が変わっていたのかと思うとどきどきしますよね。


Hopeさま、こんばんわ
カルロス2世はフェリペ5世のまた従兄弟になるってことで、狡猾なルイ14世が継承権にサインさせちゃったわけですが、当時の王家の入り乱れ方はすごいですよね!
ハプスブルク家とブルボン家は宿敵なはずなのに、この入り組み方…
それにローマ教皇とイングランドも絡んでますから…複雑ですよね。
下手したら今より外交が(お家事情まで考えなきゃいけなくて)面倒くさかったんじゃないかとさえ思えます。
返信する
Unknown (Hope)
2011-05-19 03:30:29
先日中野京子作「怖い絵2」「怖い絵3」を読んだのですが、「2」のマリア・アントニアの叔父カルロス2世、「3」のもう一人の叔父フェリペ・プロスペロ王子(母マルガリータの同母弟でカルロス2世の兄)それぞれの章でも当時のハプスブルク家がいかに凄まじい近親結婚を行っていたかが記されてまして、その近親という観点からみると、何代にもわたるいとこ婚&おじ・姪婚の末生まれたマルガリータと叔父であるレオポルト1世との子であるマリア・アントニアとその兄弟姉妹、そして(父方の)またいとこ同士の彼女とその夫の子供たちは、何重もの近親婚の弊害の象徴ともいえるカルロス2世より“血の濃さ”はさらに上昇していることになるわけで、その点からみると彼女やそのきょうだいたち、そして子供たちが短命だったのもむべなるかなと改めて考えてしまった次第であります。
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こんばんわ (まりっぺ)
2011-05-20 22:36:37
Hopeさん、こんばんわ

ハプスブルク家の血族結婚は多くの文献で問題視されていますが、家系図を作っていると(ハプスブルク家は突出してる気もしますけど)どこの家も似たり寄ったり…という気がしないでもありません。
特に旧教国と新教国が形成されてからは結婚相手の選択肢が狭まってますからなおさらな感じです。
丈夫な子供が生まれて来るかどうかというのは、賭けに近い部分があったかもしれないえすね。
返信する

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