まりっぺのお気楽読書

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フランス王ルイ15世王女 ソフィー

2012-06-09 09:18:34 | フランス王妃・王女
万事控えめな王女
ルイ15世王女 ソフィー・ド・フランス


1734~1782

王妃マリー・レクザンスカがまたまた王女を出産しました。
ルイ15世は「もう王女はうんざり!!」というわけで
六女ソフィーは姉のヴィクトワール同様フォントブローの修道院に送られます。

          
ソフィーは一応 “ 未婚シスターズ ” を構成していた王女ではありますけれども
アデライードやヴィクトワールたちほどエピソードがありません。

あまり美しくなくて魅力がない王女と言われています。
そのせいか極度な恥ずかしがりやで、性格は内気で、大声恐怖症でした。

ルイ15世はソフィーをグラーユ(カラス)と呼んでいました。
ちなみにヴィクトワールはコッシュ(雌豚)、アデライードはロック(ボロきれ)
末娘ルイーズ・マリーはシッフ(ボロ布)だったそうです。 口が悪いわね…

教育を終えてヴェルサイユへ戻ったものの、宮廷ではなんの影響力ももたらさず
アデライードの言いなりで、二人の姉たちにくっついて行動していました。

姉たちがマリー・アントワネットにいろいろ吹き込んでいる時にも
後方で頷き、「そうよ、そうよ」と相づちを打つような役柄だったのでしょうね。

ソフィーは幸か不幸かフランス革命の7年前に亡くなりまして
姉たちのような苦労はしないですんだようです。

でもこの王女様、根っからの金魚のフン体質だったような気もするので
革命後まで生き延びていても「お姉様にくっついてれば大丈夫!」ってな感じで
あんまり不安は感じずに呑気に過ごしてたかもしれないね。

ソフィーの下には七女テレーズ・ド・フランス(1736~1744)がいます。
やはりルイ15世に疎まれて2歳でフォントブローに送られました。
テレーズは病気がちでした。
家庭教師はフォントブローの環境が合っていないのではないかと思っていたようです。
しかしヴェルサイユに呼び戻されることはなく、二度と両親に会うことも無く
8歳で亡くなりました。
王女様だというのに、儚く可哀想な人生でしたね。

ルイ15世はともかく、母親であるマリー・レクザンスカはなんとかできなかったんですかね?
愛妾にうつつを抜かす夫の言いなりなんて…
国事はさておき、せめて家事で主導権を握れなかったのかしら?
娘を呼び戻すことぐらいは、ルイ15世に逆らってでもしていただきたかった気がします。

ルイ15世の王女終わり! と思うでしょ?
いえいえ、もう一人いらっしゃいます。
てなわけで、つづく・・・

(参考文献 アラン・ドゥコー『フランス女性の歴史2』 Wikipedia英語版)

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2 コメント

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日本外交 (アンドリュース)
2012-06-14 19:22:17
日本外交は一般市民? 初めから日本は外交を行う気持ちが無いかも知れませんね… ありがとう御座いました。氷川丸は横浜で政治氷河で凍結してますよ…!
返信する
こんばんわ (まりっぺ)
2012-06-18 01:00:23
アンドリュースさま

コメントありがとうございます、と言いたいところですが、もしかして、コメントを書く相手を間違えられてないでしょうかしら?
外交のことを書かれましてもお返事のしようがございません。

どうぞ宜しくお確かめ下さい。
返信する

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