まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

スペイン女王 イサベル2世

2009-05-26 01:20:38 | スペイン王妃・王女
偉大な名を持つ愚王
スペイン女王 イサベル2世


1830~1904/在位 1833~1868

フェルナンド7世の死によって3歳で即位したイサベル2世ですが
ちびっ子ですので政治は摂政である母マリア・クリスティネが仕切っていました。
しかし、それでなくても女王&母親摂政という権力を確立するには弱いパターンなのに
身分違いの結婚をしたマリア・クリスティネへの風当たりは強くなるし
王弟ドン・カルロスとの継承戦争もあって、スペイン宮廷は伏魔殿となってしまいました。

7年続いたカルリスタ戦争はイサベル2世が勝利し、マリア・クリスティネは国を去り
名将エスパルテロが摂政になって国政は落ち着いたように見えましたが
議会はすでに立憲君主制に向けて動き始めていました。

     

イサベル2世は16歳の時に甥にあたるカディス公フランシスコ・デ・アシスと結婚。

実は、カディス公は同性愛者として名高かったみたいで
きっと子供ができないんじゃなかろうか?
そうすると王位は妹ルイサにまわってくる、ってことで、各国ざわめきます。
フランス王ルイ・フィリプ1世は、息子のアントワーヌとルイサを結婚させました。

ところがイサベル2世はそんな他人の思いをよそに子供を12人も生んだんですよね。
これについてはカディス公の子じゃないと各方面から非難があがりましたが
そんなことは知るかいな! 王太子アルフォンソ(後の12世)という嫡子も得ました。

さてさて、女王としてのイサベル2世ですが、わがままで気紛れで
手に負えない君主だったようです。
先祖にはイサベル1世という名高い女王がいますし、英名にすればエリザベスという
これまた女王として一時代を築いた君主の名を持ちながら、あまり評判がよくないですね。

議会は各派が目まぐるしく主導権争いをしていましたが
女王は保守派の軍人や政治家など自分のお気に入りばかりを引き立てていました。
絶えず不正を働き不埒な行いを繰り返す取り巻きたちは女王の評判を落としていきます。

その上イサベル2世は自分の存在感をアピールしようと議会を無視して
フランスとイギリスが押し進めるメキシコ皇帝擁立に加担することにしました。
ハプスブルク家のメキシコ皇帝が処刑されたこの事件は
フランスのナポレオン3世夫妻の立場を危うくしたのですが
イサベル2世も人ごとではありませんでした。

加えてアメリカ大陸での不毛な戦争、モロッコでの戦争などがかさなり
1868年、とうとうクーデターがおこります。
パリの母親の元へ身を寄せたイサベルは1870年に正式に息子に王位を譲りました。
(実際の即位は4年後)

ところで旦那様は?
カディス公とイサベルはとっくに別居だか離婚だかして一緒にはいませんでした。
でもパリに渡ってからは親交を深め良き友人となったらしいです。

             
                そして晩年のイサベル2世
                   いやはや…亡命中とは思えない貫禄


息子アルフォンソ12世の即位後もスペインへは数回訪れただけで
フランスで余生を過ごし1904年に73歳で亡くなりました。
死後はスペインに葬られています。

世が世ならどんな王様でもたいして文句は出ないもんなんですけどね
タイミングが悪かったんだと思います。

(参考文献 Wikipedia英語版)

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ルーブル展は期待はずれ…で、... | トップ | スペイン王アマデオ妃 マリ... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Hope)
2012-07-08 15:19:05
このイサベル2世、名前もそうですが血統的にはイサベル1世の他にあのマリア・テレジア女帝の血も引いているんですよね(母方の高祖母)。
なので偉大な先祖=優秀な子孫とは限らないという典型的パターンな気がします…。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

スペイン王妃・王女」カテゴリの最新記事