万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

2月の法語

2013年02月02日 | Weblog
                   


 毎日の寒さに気を取られておりましたら、もう二月、来週の月曜日4日は立春となります。慌ててカレンダーをめくりました。


    人間とは その知恵ゆえに
      まことに
    深い闇(やみ)を生きている
               史明
                1932~ 

 今月の法語は 史明(コウ、サミヨン)さんの厳しくご自分を見つめられている言葉が掲載されています。実にズッシッと心

底に来るお言葉です。

 人間の特性は考えるところにあると云えます。太古以来人間は考え、思惟し様々な分野を発展させ、いろんな物を創造して来た

特異な存在と云えます。

 ですが、私と云う人間存在の最もやっかいな点は「わし我!わし我!」と言い続け、思い続ける「我執」によって自縛され続け

ているところにあります。自縛し自己を厚い壁に塗り込め、本当の自由、そのままにあるがままに見て思い考えることが出来ない

ようにしているのは外ならぬ私自身なのです。

 史明さんはそのことを「深い闇を生きている」と自己存在を自白されたのです。自己を同じ人間の尺度、人間の知恵に当て、

比較しての「深い闇」の自覚ではなく、如来さまのやるせない仏智、大悲にいだかれ照らされた自己の自覚からのおことばである

ことは云うまでもないと思います。

 史明さんは山口県に生まれられた韓国系の方です。若い頃から文筆での作家として生きてこられた方なのですが、昭和50年の

夏、中学1年生であった愛児真史さんが自死して行かれたのでした。「ぼくは12才」と題した詩集が出版された程の文学少年だ

った真史さんの死は史明さんの生涯背負う重い苦悶となりました。その苦悶が親鸞聖人が開顕して下さったお念仏への尊いご縁と

なられていることがご著書から知られます。『一粒の涙を抱きて ーー歎異抄との出会いーー』(昭和52年毎日新聞社刊)

  
コメント
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