11/5に『親鸞と道元』と題した作家の五木寛之さんと立松和平さんとの対談集が発行されました。立松和平さんは本年2月
に急逝され驚いたことでした。昨年までに両氏の対談は何回にもわたり今後もエンドレスに行われる予定であられたようですが、
和平さんの急逝で終わってしまい今回発行のタイトルに編集して単行本となったようです。
鎌倉時代と云う日本の地盤が大きく変革した時代に個の救いについて厳しく求め続けられた両巨人についてグローバルな考えと
思いを熱っぽく語られて、内容は生々しくて各所に両氏の血涙が滲んでいるように感じられます。
この対談集の後書きの中で、五木さんはこの対談をこのように語っておられます。
この一冊のなかでふれているように、親鸞と道元の立場は大きくちがう。それにもかかわらず、宗教の根本精神において両者は火花を散らせて交錯する一瞬がある。
それは究極の救いと悟りを、人間と宇宙の深い闇を照らす光として直感している点である。親鸞は「無碍光」(むげこう)という。道元は「一顆明珠」(いっかみょうしゅ)という。両者は全宇宙と自己とが無限の光にみたされる瞬間を思い描くのだ。
ご一読をおすすめいたします。
画像の紅葉は「錦木」(にしきぎ)の紅葉です。小さな葉っぱですが名前のようにしぶい紅葉です。錦木は枝にも特徴があって、枝の四方にコルク質の羽が付いています。それで「矢筈錦木」(やはずにしきぎ)とも呼ばれています。床の花材に使っても格好です。今年の紅葉は意外と綺麗であるとの声が聞かれます。
に急逝され驚いたことでした。昨年までに両氏の対談は何回にもわたり今後もエンドレスに行われる予定であられたようですが、
和平さんの急逝で終わってしまい今回発行のタイトルに編集して単行本となったようです。
鎌倉時代と云う日本の地盤が大きく変革した時代に個の救いについて厳しく求め続けられた両巨人についてグローバルな考えと
思いを熱っぽく語られて、内容は生々しくて各所に両氏の血涙が滲んでいるように感じられます。
この対談集の後書きの中で、五木さんはこの対談をこのように語っておられます。
この一冊のなかでふれているように、親鸞と道元の立場は大きくちがう。それにもかかわらず、宗教の根本精神において両者は火花を散らせて交錯する一瞬がある。
それは究極の救いと悟りを、人間と宇宙の深い闇を照らす光として直感している点である。親鸞は「無碍光」(むげこう)という。道元は「一顆明珠」(いっかみょうしゅ)という。両者は全宇宙と自己とが無限の光にみたされる瞬間を思い描くのだ。
ご一読をおすすめいたします。
画像の紅葉は「錦木」(にしきぎ)の紅葉です。小さな葉っぱですが名前のようにしぶい紅葉です。錦木は枝にも特徴があって、枝の四方にコルク質の羽が付いています。それで「矢筈錦木」(やはずにしきぎ)とも呼ばれています。床の花材に使っても格好です。今年の紅葉は意外と綺麗であるとの声が聞かれます。
日本人は 銀杏などの 黄色く染まる葉 も
紅葉などとひっくるめて 紅葉 と言ってしまいますが、さすがに住職さんは植物がお好きなのでちゃんと分けていらっしゃいますね。
南半球のニュジ-ランドなどは 紅くなる葉を持つ木が無いそうで、秋(日本の春ですが)には黄色一色だそうです。ある旅行者が黄葉を見るツア-を組んで宣伝していたのをみたことがあります。一度行ってみたいところであります。
おたより有難うございます。寒冷の頃となりましたが、ご健勝のことお喜び申し上げます。
寺庭の落葉樹が少しづつ紅葉、黄葉しパラパラ散っております。しかしかたや山茶花や椿は花を咲かせ始めていますから自然の営みはたくましい限りです。
ご自愛くださいませ、大三島へも一度お越しください。お待ちしております。