2月の法語は
阿弥陀仏は光明なり
光明は智慧のかたちなり
今月のお言葉は親鸞聖人の著された『唯信鈔文意』(ゆいしんしょうもんい)から選ばれています。『唯信鈔文意』は親鸞聖人が東山吉水の法然聖人の膝下にあられた頃、いろいろとアドバイスを受けられたた先輩安居院(あぐい)の聖覚法印(せいかくほういん)が著された『唯信鈔』を後に注釈されてより分かりやすく懇切にまとめられた書です。他力念仏のみ教を実に時代を超えた分かりやすい言葉でもってまとめて下さってあります。高度な論理性と、しかも柔軟な言葉の表現は希有であるとうかがえます。
この抽出されている法語の前のご文をも挙げておきます。合わせて味読させていただいておりますと親鸞聖人の体温と息づかいに密着さしていただいているような錯覚におちいります。
(前略)微塵世界に無碍の智慧光を放たしめたまふゆゑに尽十方無碍光仏と申すひかりにて、かたちもましまさず、いろもましまさず。無明の闇をはらひ、悪業にさへられず、このゆゑに無碍光と申すなり。無碍はさはりなしと申す。しかれば阿弥陀仏は光明なり、光明は智慧のかたちなりとしるべし。
『唯信鈔』も『唯信鈔文意』も聖人が縁ある方々に読むことをお勧めになられた指南書でした。(注釈版『浄土真宗聖典』に所収されています)
2月のご絵伝の徳力さん刻の版画図は聖人の9才の折り青蓮院での得度図です。
『唯信鈔』を撰述し法然聖人門下生として親鸞聖人の善き導き者であった聖覚法印の京都での里寺であった「安居院」が現在浄土真宗の寺院に天台宗から転宗して営まれていることは意外と知る人は少ないようです。(大宮通リ鞍馬口下ル)
10年くらい前に高校時代からの友人、河原町今出川の西円寺のご住職佐竹正澄師の案内
で鞍馬口の「安居院西法寺」をお訪ねしたことが昨日のことのように思い出されます。ご住職から案内されて境内の左奥に保存されている安居院聖覚法印の墓塔にお参りいたしました。その墓石は笠石が網代笠の形状をしている大きな五輪塔であり、初めて拝見する形状に心惹かれるものがあったことを思い起こすのです。
阿弥陀仏は光明なり
光明は智慧のかたちなり
今月のお言葉は親鸞聖人の著された『唯信鈔文意』(ゆいしんしょうもんい)から選ばれています。『唯信鈔文意』は親鸞聖人が東山吉水の法然聖人の膝下にあられた頃、いろいろとアドバイスを受けられたた先輩安居院(あぐい)の聖覚法印(せいかくほういん)が著された『唯信鈔』を後に注釈されてより分かりやすく懇切にまとめられた書です。他力念仏のみ教を実に時代を超えた分かりやすい言葉でもってまとめて下さってあります。高度な論理性と、しかも柔軟な言葉の表現は希有であるとうかがえます。
この抽出されている法語の前のご文をも挙げておきます。合わせて味読させていただいておりますと親鸞聖人の体温と息づかいに密着さしていただいているような錯覚におちいります。
(前略)微塵世界に無碍の智慧光を放たしめたまふゆゑに尽十方無碍光仏と申すひかりにて、かたちもましまさず、いろもましまさず。無明の闇をはらひ、悪業にさへられず、このゆゑに無碍光と申すなり。無碍はさはりなしと申す。しかれば阿弥陀仏は光明なり、光明は智慧のかたちなりとしるべし。
『唯信鈔』も『唯信鈔文意』も聖人が縁ある方々に読むことをお勧めになられた指南書でした。(注釈版『浄土真宗聖典』に所収されています)
2月のご絵伝の徳力さん刻の版画図は聖人の9才の折り青蓮院での得度図です。
『唯信鈔』を撰述し法然聖人門下生として親鸞聖人の善き導き者であった聖覚法印の京都での里寺であった「安居院」が現在浄土真宗の寺院に天台宗から転宗して営まれていることは意外と知る人は少ないようです。(大宮通リ鞍馬口下ル)
10年くらい前に高校時代からの友人、河原町今出川の西円寺のご住職佐竹正澄師の案内
で鞍馬口の「安居院西法寺」をお訪ねしたことが昨日のことのように思い出されます。ご住職から案内されて境内の左奥に保存されている安居院聖覚法印の墓塔にお参りいたしました。その墓石は笠石が網代笠の形状をしている大きな五輪塔であり、初めて拝見する形状に心惹かれるものがあったことを思い起こすのです。