万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

義山書(ぎざんしょ)

2010年09月13日 | Weblog
 画像の書は足利義山(あしかがぎざん)和上の一軸で父の代からしばしばお掛けするお軸です。
善導大師の撰述『玄義分』からの御文で、

 ただねんごろに法に奉(つか)へて、畢命(ひつみょう)を期として、この穢身を捨てて、すなはちかの法性(ほっしょう)の常楽(じょうらく)を証すべし。

 と揮毫されています。渇筆でいて香気馥郁(こうけふくいく)とお徳が伝わって参ります。
 義山和上は文政7年に備後光円寺に生まれられ、勝願寺の住職を勤められましたが明治43年に87才でご往生になっておられます。青少年期に備後甲山正満寺慧海和上の学心館に学ばれ慧海和上に続いて勧学となられた学徳高い和上であられました。
 京都女子学園の基を築かれた甲斐和里子先生は義山和上のご息女、勧学となられ龍谷大学の学長を務められた足利瑞義和上はご長男、また、自照舎を主宰された足利淨圓先生は孫にあたられます。淨圓先生のご筆跡もまた渇筆であられて義山和上と同じ味わいが湧いて参ります。
 
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