八月のカレンダーの法語は
本願を聞きて 疑うこころなきを 聞(もん)というなり
と、掲げられています。
このご文は親鸞聖人のご撰述『一念多念文意』(「一念多念証文」とも)の中の一節です。法然聖人の高弟寛律師(りゅうかんりっし)が著された『一念多念分別事』を親鸞聖人が詳しく注釈をされたのが『一念多念文意』です。
法語のお言葉はこの著書のなかの本願成就文(諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転)を深くご解釈されたご文です。
「聞其名号」というは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこ ころなきを「聞」といふなり。信心をあらはすみのりなり。
(注釈判「浄土真宗聖典」P678)
私と云う存在を知るということは如来さまの願いのおまことが名号となり私に至りとどいている、その名号のおいわれを聞かせていただくことであります。聞かせていただくままが疑う余地のない、やるせないみ心に包まれる。そのことを信心の身ともすがたとも云われるのです。お念仏を申さずにはおれない身ともお育てにあずかることであります。
暦の上では立秋が過ぎましたが、まだまだ猛暑が続きそうです。この暑さに喘ぐこの私の一刻一刻に南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と歩をともにしてくださってあることをフツと味わうことがありす。
本願を聞きて 疑うこころなきを 聞(もん)というなり
と、掲げられています。
このご文は親鸞聖人のご撰述『一念多念文意』(「一念多念証文」とも)の中の一節です。法然聖人の高弟寛律師(りゅうかんりっし)が著された『一念多念分別事』を親鸞聖人が詳しく注釈をされたのが『一念多念文意』です。
法語のお言葉はこの著書のなかの本願成就文(諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転)を深くご解釈されたご文です。
「聞其名号」というは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこ ころなきを「聞」といふなり。信心をあらはすみのりなり。
(注釈判「浄土真宗聖典」P678)
私と云う存在を知るということは如来さまの願いのおまことが名号となり私に至りとどいている、その名号のおいわれを聞かせていただくことであります。聞かせていただくままが疑う余地のない、やるせないみ心に包まれる。そのことを信心の身ともすがたとも云われるのです。お念仏を申さずにはおれない身ともお育てにあずかることであります。
暦の上では立秋が過ぎましたが、まだまだ猛暑が続きそうです。この暑さに喘ぐこの私の一刻一刻に南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と歩をともにしてくださってあることをフツと味わうことがありす。