岩 藤
東北地方まで入梅したようです。雨の季節の女王紫陽花が一斉に咲いて安らぎを与えてくれております。
6/6、宗方のT.Fさんが急逝され8日に葬儀が行われました。Tさんは先日5/26日の降誕会法座にもお参りされ喜んでおられましたし、昨年の4月にはご本山での親鸞聖人750回大遠忌法要にもお参り出来たことを喜ばれました。ご主人が数年前にご病気で車椅子生活を余儀なくされるようになられ、その介護に献身の毎日の中を団体参拝に参加されたのでした。ご自分の辛いことや難儀なことは全く口にされず嬉しかったことや有難かったことを素直に喜ばれる方でした。
葬儀が終わり最後のご挨拶をご長男の信吾さんがされました。その中に母はいつも「今が一番幸せ!」と云っておりました、と謝辞の中に申された言葉に会葬者は涙と感動の波が起こったことでした。
心悼むことでございますが、お法(みのり)のみ光の中に悲しみも辛さも抱かれてあることを身心に受け止めさせていただきます。和南
鉢植え山あじさい
4日日曜に故人から、珍しく電話がありに万福寺にお参りした話で、聴聞させて頂き良い時間が過ごせた云々との、元気な声を聴いた直後であり、驚き以外の何物もありませんでしたが、御文章での<はかなきもの>とのこと、理解できていた心算でしたが、心に残る言葉になりました。
それにしても「また、会う世界」、お浄土をしっかりとお解き下さってあることをほのぼのと嬉しく思います。
母との別れがあまりにも突然過ぎて、心の整理もできぬままに、今日まで過ごして参りました。晩年、口癖のように「私、今が一番幸せ。本当にそう思うとるんよ。」という、電話越しの母の声を、今ようやく、しっかりと思い出せた気がいたしております。法要後にいただきました御言葉、大変ありがたく、胸に染みました。
母の人生は一見、苦労ばかりで、幸せとはかけ離れたものに思えておりましたので、何一つ孝行できなかったことを悔やみ、これからしてあげたかった事を思っては、涙する毎日でした。
しかし、空を見上げても、鳥のさえずりを聞いても、紫陽花の花を見ても、不思議と目に浮かぶのは「笑った母の顏」ばかり。
母の言葉は決して強がりではなく、父と寄り添って過ごした穏やかな日々や、5人の孫の成長を純粋に楽しみに過ごした毎日を、本当に『幸せ』に感じていてくれたのではないかと。今、ようやく、そう思えるようになりました。
最期の言葉を伝えることができず、誰よりも母が一番戸惑ったことでしょう。お世話になった皆様一人一人に、『ありがとう』と伝えたかったはずです。
母に代わりまして、生前賜りました皆様からの御厚情に感謝しつつ、これからの日々、母を見習って、明るく、真っ直ぐに、前向きに過ごして参りたいと思います。
『母の遺したもの』14日に拝読し、大変衝撃を受けましてから、万福寺様のブログは拝見しておりましたのに、母について触れて下さった過去の御文章には気づかず。今日。どなたかのお導きでしょうか。