万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

10月の法語

2011年10月01日 | Weblog
                     
                    10月の法語

     雑行(ぞうぎょう)棄てて
      本願に帰す

 このご文は『教行信証』「化身土巻」(けしんどかん)に親鸞聖人が法然上人を訪ね比叡山の行学に決別し、法然上人の説かれる専修念仏のみ教えを懸命に修学、そして念仏停止と云う朝廷の無謀な裁断により師弟ともに流罪となるという所謂承元の法難のことなどが聖人自らによって記述されています。法然上人のみもとでの6年の浄土教修学時の行実の要所々々が端的に記述されているその中にご自分のいのち、精神の大いなる転換を記しておられるお言葉なのです。
 「雑行を棄てる」とは「さとりに向かおうとする全ての自力の実践は遠く遠く及ばない」その私が阿弥陀如来の大慈大悲からのご本願に抱かれてあったことを法然上人のみもとで目覚められて行かれたのでした。(注釈版『浄土真宗聖典』p472)

 京都の出版社法蔵館発行の冊子『ひとりふたり』に当院若院の「如来のはたらき」と題した一文が掲載されています。その中に今病床にあられる恩師を見舞った時のことが述べられています。病床の先生に「浄土真宗とは何ですか」と云う問いを恐る恐る訊ねると先生は「(浄土真宗とは)己をなくすこと、それがまったく如来のはたらきによってなされる」と応えてくださったと述べられていました。
 南無阿弥陀仏とは如来さまのやるせないご本願からの呼び声、悲しみや辛さを一杯抱え、背負っているこの私をそのまま抱いていて下さりこの私の人生の歩みと共に歩んで下さってある。ご本願は常に私(おのれ)をうながし続けてくださってあります。
南無阿弥陀仏とお念仏申すしか云いようがありません。

 この法語の前後のご文も記しておきます。
    
   しかるに愚禿釈の鸞(親鸞)、建仁辛酉(かのとのとり)の暦、雑行を棄てて本願に帰す。
       
 建仁辛酉は西暦で1201年、聖人29才の時です。恵信尼さまのお手紙に依れば比叡山から中京の六角堂に百日の参籠を決行され、95日の朝聖徳太子さまの示現を受け、その足で東山吉水の法然上人の庵室を百日間聴聞に通い続けられ、法然上人を師とすることに決せられたその前の一大宗教体験が「雑行を棄てて本願に帰す」であったことがうかがえます。  
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