先日親鸞聖人の750回大遠忌のご門主様のご消息披露について記しましたが、万福寺に大切にされて来た茶碗があります。このお茶碗は明治44年に営まれた親鸞聖人650回大遠忌法要にまつわるお茶碗のようです。
「一文字茶碗」は本願寺伝来している名物茶碗で本願寺がかって大阪石山に営まれていた頃に織田信長公が本願寺に献上した云われる呉器茶碗です。一文字と呼ばれるゆえんは窯内で焼成時に隣の器が倒れて出来たものであると云うことですが、それが珍重され一文字の名がつけられ名物となり信長から本願寺と大切にされてきたのです。
本願寺では何時の頃からか「露山窯」呼ばれる窯が置かれ著名な陶芸家によって作陶されていた時代がありました。
万福寺伝来の一文字茶碗の箱書きを見てみますと、このように記されています。
本願寺秘蔵 一文字うつし
和合海とな都く
印飛雲閣茶寮
とあります。おそらく650回大遠忌法要の記念に本願寺より下附されたものではないかと思っています。
宗方で陶芸活動をされている村上俊山氏はこれを見られて「キッチリと作陶されています。焼きはおそらく赤楽の釉薬を還元焼成したものでしょう、所々酸化した赤いポッテンが見られますから」と云われました。専門家の目は些細なことをも見逃がさないことに驚いたことがあります。
今日は万福寺の「一文字茶碗」をご紹介いたしました。
「一文字茶碗」は本願寺伝来している名物茶碗で本願寺がかって大阪石山に営まれていた頃に織田信長公が本願寺に献上した云われる呉器茶碗です。一文字と呼ばれるゆえんは窯内で焼成時に隣の器が倒れて出来たものであると云うことですが、それが珍重され一文字の名がつけられ名物となり信長から本願寺と大切にされてきたのです。
本願寺では何時の頃からか「露山窯」呼ばれる窯が置かれ著名な陶芸家によって作陶されていた時代がありました。
万福寺伝来の一文字茶碗の箱書きを見てみますと、このように記されています。
本願寺秘蔵 一文字うつし
和合海とな都く
印飛雲閣茶寮
とあります。おそらく650回大遠忌法要の記念に本願寺より下附されたものではないかと思っています。
宗方で陶芸活動をされている村上俊山氏はこれを見られて「キッチリと作陶されています。焼きはおそらく赤楽の釉薬を還元焼成したものでしょう、所々酸化した赤いポッテンが見られますから」と云われました。専門家の目は些細なことをも見逃がさないことに驚いたことがあります。
今日は万福寺の「一文字茶碗」をご紹介いたしました。