今日から8月、四囲の樹木の蝉の声も一層盛んに聞こえます。二つの台風が接近中、猛暑の今朝、もう風が吹き始めています。
8月の法語カレンダーのお言葉は正嘉元年(1257)十月十日付けの性信房に宛てられた親鸞聖人のお手紙から選ばれていま
す。
信心のひとは その心 すでにつねに 浄土に居(こ)す
如来さまのやるせない大慈悲にいだかれてあることをお聞かせあずかった人は、この娑婆世界(忍界土)にありながらもすでに
浄土のおだやかな光と香りにつつまれているのです。
「浄土に居す」とは中国の善導大師の『般舟讃』(はんじゅさん)に見られるご解釈なのですが、性信房へのお手紙には続いて
意味の深重な内容の事をさらーっと申されるのです。
「居す」というは「浄土」に、信心のひとのこころつねにいたり、というこころなり。これは弥勒(みろく)とおなじという
ことを申すなり。これは等正覚(とうしょうがく)を弥勒とおなじと申すによりて、信心のひとは如来とひとしと申すこころな
り。
貴賤、男女、老若、人寿の長短、富の有無、学問の有無、徳の有無に係わることなく弥陀の本願に触れる人はお浄土に往生るこ
とは間違いのないことであることを常にどっしりと当然のように申されます。これは100㌫他力なるが故にこのような論理が成
り立つのです。