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東九条上殿田町の通り、2階の窓からいつも眺めていた今も変わらない家並み。
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下宿していた家。左の家は無くなり、右の家は建て変わっていました。
この2階に3年半過ごしました。
2月12日、末弟徳正唯生(尊丸)の長女絢子の結婚式披露宴に出席すべく昨夜から京都に来て駅のホテルに泊まりました。
実は京都駅の新幹線口、八条通りの近くの上殿田町に50数年前、私は下宿していたのです。16才から19才の秋までの3年半。
ふと、その下宿を訪ねてみたいと云うかきむしるようなノスタルジアが沸き起こり、カメラを持って向かいました。八条通りはホテルや様々なビルが建って昔の面影はありません。多分下宿していた家も通りもないかも知れないと云う思いを巡らしながら南に向かったのです。歩きながら四つ辻を左に見ると懐かしい家並みが現出したのです。向かい合ったわずか10数軒の通りのみが昔のままで残っていたのです。
10代の頃の記憶が鮮明によみがえって来ました。あの頃の人達や子供たち今はどうなっているのだろうと想いながら下宿の前に立ちました。昔に変わらず入り口の木戸も格子窓も雑巾がかけられていました。お世話になったMおばさんはもう他界されているだろうから長女のKさんが家を守っておられるのだろう、・・・・。早朝だから今回はご挨拶はしないで置こう、と写真を撮ってホテルに帰りました。
下宿人は高校生の私一人、三食を賄って下さり、洗濯も掃除までして下さった下宿だったのです。そのご恩を今思い、非礼に過ぎ去った年数の永きことに悔恨の情がしきりに湧くことでした。
50数年前にタイムスリップした不思議な早朝の体験は私の青い青い時代への図らずも憶昔(いくじゃく)となったのです。