万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

12月の法語

2010年12月01日 | Weblog
今日は師走の一日、今年も残り一ヶ月となりました。法語カレンダーの11月をめくって12月を出しますと、

  浄土真宗は大乗のなかの至極なり

の御文が目に飛び込んで来ました。この御文は『末燈鈔』(まっとうしょう、聖人の御消息集)の第一通目の末尾に述べられてい

る聖人79才の折のお手紙の一節です。

 浄土宗のなかに仮あり。真あり。真といふは選択本願なり。仮といふは定散(じょうさん)二善なり。選択本願は浄土真宗なり、定散二善は方便仮門なり。浄土真宗は大乗のなかの至極なり。

と、述べられています。お念仏を拠り所としてお浄土への道を歩む教えに必ず実を結ぶ「真」(しん)の教えと中々実を結ぶこ

とが難しく「真」へのステップとなる「仮」(け)の教えがあります。

 「仮」の教えは「定善」(じょうぜん)と「散善」(さんぜん)に分けて云うことができます。「定善」とは心を集中させて無

心にお念仏を申すことを云います。また「散善」とは散り乱れる心で悪を行わないように善を行いお念仏を申す生き方を云いま

す。これら定散の二善は絶対他力のお念仏に目覚める縁になっても浄土往生を果たすことは甚難です。

 「真」とは選択本願(せんじゃくほんがん)のお念仏に帰入することにあり、その選択本願のお念仏を「浄土真宗」と申されて

います。浄土の真のはたらきに抱かれてあることを「浄土真宗」と申されました。そのことを「大乗のなかの至極なり」ともうさ

れたのです。このことは心ある人はみんなが救われる道を目指しているのですが悲しいことに出発点が自力心である場合はどうし

ても無我心から乖離してしまいます。今、「選択本願」と申されるお念仏は如来さまが私とともに歩んで下さってあったことを知

らしめられたことであり、この煩悩の深重の私が如何様になっていこうとも如来さまはこの私から離れ給うことはなく、抱いて捨

て放たれることはありません。このこころを「選択本願」と申し「浄土真宗」申すのだとお示しくださいました。最後の最後まで

中断されることなく完成されるはたらきの中につつまれた人生の日暮しであることを「浄土真宗は大乗の至極なり」と申されたの

です。


 徳力さんの版画も最後の図、「遷化還浄」(せんげげんじょう)。弘長2年11月28日(1262,1,16)、京都、押小路南、万里小路東の令弟尋有(じんう)上人の禅坊においてご往生になられました。90才と云う人寿であられました。その時から来年2011年~12年が750年になります。

コメント
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