万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

叔母の来山

2010年04月12日 | Weblog
4/12(月)、1ヶ月前に広島県廿日市市に住んでいる住職の叔母博子から電話があり4月12日にお参りに帰りたい、そして中島千波さんの襖絵を見せてもらう旨のお話で、当日は息子哲司さん家族と一緒に参りますとのことでした。丁度その日は他に予定がなく楽しみに待ちました。私の父方、母方両方とも存命している伯父叔母は博子叔母ただ一人です。

 正午頃車が到着、昨秋脊椎の圧迫骨折で入院されたと云うことですが駐車場から自分の足でシッカリと歩いて来られました。

 実は今日が88才米寿の誕生日であるとのこと、私は驚きました。大正11年の春頃の誕生とは知っておりましたが今日が誕生日であったとは・・・・、長男の哲司さんは母の誕生祝いに実家の寺へお参りに連れて来られたことに私自身感動いたしました。

 叔母が生まれた数日後が現在も安置しております当山の巨大な須弥壇宮殿(横幅10尺、奥行き9.5尺、高さ1丈6尺)が新調されての入仏法要が営まれた時でした。大変多忙極まりない中に誕生されたようです。しかしもっと大変なことが起こったのです。その年の10月22日に当時の住職慈朗師(博子叔母の父)は38才で急逝したのでした。ですから博子叔母には父の想い出が一つもありません。生家の寺に帰って本堂にお参りする時、この須弥壇と宮殿を父と思ってお参りしてきたと何時も話してくれますし、叔母の年齢と須弥壇宮殿は同年なのです。

 今日は久振りに大火鉢に炭を入れ鉄瓶を懸けてお茶の用意をしておきました。博子叔母の父、慈朗師所持のお茶碗でお茶を点てて歓談しました。このお茶碗で頂くのは初めてだと云ってくれました。今日で88才に満ちた博子叔母よ、安かれかし、

 写真は襖絵の前に座る博子叔母、背が高かったのに脊髄の損傷のためか小さくなった感じです。

 お釈迦さまが親族の蔭は涼しいかな!と申されていますが、今日はそのような思いに浸りました。よき日かな、
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