詩の現場

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北園克衛

2016-08-14 | 気になる人、ことば
最近、本当に久しぶりに、改めて北園克衛を
読んでみた。昭和初頭のモダニズムの詩は、
私はとても好きな詩の時代である。
(もちろんその前後の、朔太郎の時代、
荒地の時代も惹かれるが。)
モダニズムの騎手春山行男さんの文章を久々に目にし、
学生の頃、安西冬衛、象牙海岸の竹中郁、佐川ちか、
滝口修造と彗星のような詩人たちの煌めく言葉に
魅せられたことを思い出した。
もちろん北園克衛も読んでいたのだけれど、
一際、眩しい詩だと受け取っていたけれど、
当時の自分には北園克衛の詩の言葉の存在感、
その独自の魅力がよくわからなかったのかもしれない。
文学的な想像力の向こうに伸びた、北園の芸術性への
理解が足りなかったのだなと思う。
その後は、西脇順三郎に傾倒していってしまったし。

物事に出会えるには、タイミングというものが
あるのだなと、よくよく思ったりする。

今回、出会えた北園克衛の印象を記録しておこうと思い。

北園克衛というSiroー白の詩人に出会う。
北園克衛の言葉は、オブジェ、なのだと思った。
一語一語が水晶の柱のように立ち上がるオブジェ。

北園克衛の詩の言葉は、白いサボテン、だと印象を持つ。
白いサボテンは、影を落とさないのです。
或いは、白い縁取りのオブジェ、だと。



「深夜、北園克衛の詩をひらいた」

深夜、北園克衛の詩をひらいた。
白い縁取りのオブジェ、
白いサボテン、の横を
歩きつづけた。

私には、影がある。
足跡がつく。
白いサボテン、のまわりを
何周も歩きつづける足跡。
古いもの、新しいもの
向きも入り乱れて。

白いサボテン、は
影を落とさない。
どこまで行くのだろう
白い砂漠のように

喉が渇いて、
水道の蛇口をひねる
白いサボテン、の
果汁のように
水道管から
透明な水が迸りでる。

水にも、
影はない、
白いサボテン、が
影のない水、を
確認したような、
一瞬の空気のゆらぎ。

隣の部屋から熟睡していた
子供が起きてくる
「喉が乾いた」

北園克衛の
白いサボテン、

とうに切り取られたはずの
へその緒の影を踏み、
この
透明な水を
飲ませなさい、
さぁ、白いサボテン、に
なりなさい

言われたような、
美しい深夜。



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