詩の現場

小林万利子/Arim 「詩のブログ」 詩をいつも目の前に
小林万利子/Arimの詩とエッセイと音楽Arim songs

悲しみの終わらない世界に立つ木の話。

2015-05-22 | interest
悲しみの終わらない世界に
とうとう大きな木は
一本となりました。

ここをねぐらにしている鳥たちが
おりました。
月の明るい晩になると
3羽4羽
5羽6羽と
帰ってくるのでした。
空に続く点線のような長い列は
いつまでも途切れずに
空の裏側までとどいているのでした。

色を失くした葉陰には
葉をめくってみますと
1枚に1羽というように
そっと小さな体が
うずくまっているのでした。
時々、ホーっとひと声鳴いては
目を光らせて眠るのです。

月夜の晩は、夜じゅう
ホーっという声音が
かわりばんこにひびきあい
点滅する赤い光が
残された大きな1本の木に
ひかりつづけているのです。



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涙壺を見つけるまで

2015-04-29 | interest
雨のように
涙も 天からそそがれた一滴の
連続だとしたら
静かに 花びらを
涙受けにして
その滴を
いただくことにしようか

涙壺というものが
流行った時代があった
誰しもが
家の棚に
しまいこんでいた
涙が出そうになると
家族が順番に
壺を持ち去り
外へ出た
集めた滴は
壺を美しく磨いた

暮らしに困ったら
光を夜空に乱射する
その壺を売るように
言い伝えられていた

だが
誰も売りはしなかった
涙壺は
時代が変わると
消えていった
新月の夜に
軒下に埋められて
土に帰っていった

そこには
林檎が育ち
葡萄が実り
私たちの涙も
乾いていった

今、涙壺を
探している
骨董屋にも
器屋にも
注文が多いという

涙壺を見つけるまで
はらりと落ちた花びらに
悲しみを知る詩人を真似て…
涙を掬ってみる



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talk about you

2015-04-21 | interest
そう ちょうど 
桜の花びらみたいな
蝶が飛んできて
…talk about you
というんだ
勘弁してくれよ、と思うよ
もう 何日もつづく徹夜明けなんだ
自分のことをずっと書いていたんだ
なのに これ以上話すことなんてないよ
まして なんで蝶々みたいな君に
話さなければならないんだい
取りつく島もないくらいに
言い放ってみた

ひらりと舞い上がり
…talk about you
蝶々みたいな君は
繰り返すばかりだ
…talk about you
(素敵な未来がやってくるというのかい)

…世界は物語に満ちていて
みんなの時間の糸を
必要としていると喋りだす
イソイデル
…talk about you

色鮮やかな鱗粉をまき散らし
(それは散華のように)

肩に降りかかったせいかな
…talk about you
君の気分が移ったようだ
とっても大事なことのような気がしてきて
…talk about you
悪いけど、少し
分けてあげてよ 貴方の話
…talk about you
未来はみんなの過去からつづくらしい
毎日 夜から朝が明けていく
闇が光を包みこみ 
何度でも光は闇の中ではじけでる
それは奇跡ではないらしい
未来とは光の方角に見えるものであり



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森のウサギ

2015-02-02 | interest

急いでいる
いつになく急いでいる
林道を抜けて近道を行く
カサカサと足元にうごめく音
目の前に躍りでる影
2本耳の…
「やあ、穴から出てきたウサギ」
「きみは、いつかのハンプティ・ダンプティと
話していた、きみだね」
走りながら話そうか
「きみとは、いつかゆっくりと話したいと
思っていたんだ」
「きみは、反対語をしゃべるウサギだね…」

「どうしてついてくるんだい?」
―ついていかない―
ウサギが呟きながら 懸命についてくる
梢に止まる小鳥が話しだす
…なんでそんなに急いでいるのか知りたいのよ…
「ああ、友達に届けなければならないものがあるんだ」
「とても必要なものなんだ、陽が沈む前にね…」

ウサギが言う
―もう、陽がのぼっている―
―必要なものなんてないさ―
「そうさ、人間には必要なものがあるんだよ」
ウサギは黙ってしまった
「せっかくだから、ねえウサギ、
涙の反対語を教えておくれ…
憎しみの反対語を教えておくれ」
僕は 何だかたまらなくなってきて 聞いてみた

「今日は、僕は今にも泣きそうなんだ…」
―笑うんだ―
「本当は恐怖と怒りで胸が一杯なんだ…」
―愛する気持ちで胸が一杯なんだ―
「きみは、
穴の中にいて、何を知っているんだい」
―失望だよ―
「きみの言葉で、それは希望という、ことだね…」

「…僕はきみに涙なんか見せている場合じゃないんだ」
「もう夜が近づいている…」
「そろそろ僕は行く」
「僕は、きみに感謝する、反対語を話すウサギに…」


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聞こえる音

2015-01-27 | interest
狂気の時代がきた
ナオミよ
ジャックよ
苦悩の時代は閉じられることなく
きみたちの歩いた道がつづいている
後ろ姿が見えなくなるほど
遠くなり
おびただしい足跡
深い轍ができている道を
足元をとられながら進んでいく

―無用な意味よ
葬られよ 葬られよ
この橋を渡るのだ‥
シャイクが
よみがえったという報せに
急いで
言葉が 纏わされた汚れた衣装
素顔を隠す衣装を剥ぎ取っていく
―この世は意味に包まれすぎている‥

言葉は 言葉
原色の蝶が繁殖地の一木に群がるように
意味が 1つの言葉の息を止めようとしている
言葉の息づかいが世界から
消えていこうとしている
助けて 助けて
ジャックのいるあの町へ

むき出しの言葉
むき出しの心
むき出しの肉体
陽は脳天めがけて射し込み
地上の物体は 影を失なう
意味を失う
言葉も 影を失う

必要なのは 意味ではない
言葉 羽のはえない言葉
愛するという言葉も
音の中に沈み
心に沈み
地表に落下する 音 音 音

"What's in a name"
―名前が何なの‥
人間の影を連れにきたシャイク
言葉の意味を食べ尽くすのであれば
この世の悪夢をも 連れ去ってくれ
残された 私 という名前に
あなた という名前に
ただ ひざまずくだけ シャイク


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未来形で話したい

2015-01-27 | interest
ネコの詩を書いていられるような
やすらかな時があった

夜中に恋文をしたためられるような
美しい時間が流れていた

いとしいものに囲まれて
この地上には
そんな人間らしい幸せが
あふれていた

未来形で話したい
誰かに思われることがあろうか
誰かを思うことができようか
愛することは 傷つくこと
深いいのちのしじまを知るために
開けられた光さす隙間

その傷は
いつまでも 人間のDNAの螺旋階段に
刻まれて 残されていくといい
そうして
青い光の星が いつまでも輝くといい


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信濃デッサン館の絵のこと ー靉光

2014-07-08 | interest
昔信濃デッサン館という美術館にお世話に
なったことがある。
夭折画家のデッサンを集めた窪島誠一郎氏の
設立した個人美術館。
村山槐多の代表作「尿する裸僧」関根正二、
野田英夫、戸張孤雁、靉光、松本俊介らの
デッサンが主に展示されていた。

お客さんの見えない時間に、私はよく彼らの
デッサンを繰り返し見つめて歩いた。
一枚ずつ作品に対峙しながら、
絵の向こうの声に耳を傾けて、対話にならぬ
対話を心の中で繰り返していた。
あえて、言葉にしなくてもいい時間を発酵
させながら。
簡単に絵の答など出さなくていいのだという
心境のまま、時間が積み重なっていた。

今思い返しても、あの時間は自分の奥底に
光っているように感じる。
ストイックな美術館の壁にかけられた絵や、
木レンガの床。
開館前の、入口の大きな木のドアの合わせ目の
隙間から、流れ落ちる一筋の光が、今も
まざまざと、呼吸するような生き生きとした
感覚で甦ってくる。

このところ、当時の私の心には一番遠かった筈の
「靉光」のデッサンが、なぜか急激に意識に上る
ようになった。

『…「池袋モンパルナス」と呼ばれた界隈で、
独自の画風を追求。
戦争中、戦争画を一枚も遺さなかったことから、
「抵抗の画家」「暗い谷間の画家」とも。
…戦時下の状況から、戦争画を描く事を当局
より迫られ
『わしにゃあ、戦争画は(よう)描けん。
どがあしたら、ええんかい』と泣くように
いったという。陸軍一等兵で中国で戦病死」…』

靉光のデッサンは細密で、他の収蔵画家のものとは
異なるパッションが漂っていたかもしれない。
リアリティの向こう側のドアに通じる、強い理想の
意思のようなものを感じた気がする。

有名な『眼のある風景』は「日本におけ るシュール
レアリズム絵画の記念碑的な作品のひとつ」と言われ
ている。

‥そうだ。靉光の描いていた眼だ。
靉光の眼が見つめていたものが、時代が変わろうとする
今、私の中に甦って来たのだと思い当たった。
本当に久しぶりに、デッサン館収蔵の夭折画家の絵の
ことを思い出す。
戦没画学生たちの遺作を集めた「無言館」も
知られている。

無言館・信濃デッサン館
もの書きを目指す人びとへ 岩垂 弘




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未来を手渡したい

2014-06-26 | interest
戦後文学、戦後詩というジャンルのことが、
近年いつのまにか話題に上らなくなり、
戦争、戦後という時間自体が
社会の中で風化していった。
それは、大変幸せな時間の進行であったとも
いえるし、危険なことでもあったのだと思う。

私の大学時代の頃には「詩とは何か」よりも、
「戦後詩とは何か?」等が活発に議論されていた。
詩は「現代詩」と名付けられ、この言葉には
様々な角度から問題提議される実体があり、
現代詩を書く尖鋭な詩人たちがたくさんいた。

戦後活躍した詩人たち、「荒地」「列島」
「歴程」等…そして第二次戦後派「櫂」などへ
連なる詩人たち。
鮎川信夫、田村隆一、中桐雅夫、黒田三郎…
関根弘、長谷川龍生、黒田喜夫…
吉野弘、茨木のり子…
戦後の感受性を担った鋭敏な詩人たちは、
そしてほとんどが鬼籍に入り、いなくなった。

戦争時代を経験していない私の中では、
早い時期からもはや「現代詩」という言葉に
自分の詩が違和感を持ち始め、「詩」でいいでは
ないかと思いだしていた。
いつしか、残された私達の中で、
戦争は遠い時代のものになった。それも仕方ない。
1945年。終戦の年に生まれた方が70才になっている。
どんどん生れてくる若い世代と戦後文学が共通語を
持たなくなっていったことは事実だ。

かろうじて、社会の中では原爆が投下された夏に
戦争体験が語られ続け、小中学生の義務教育の
夏休みの課題図書には、戦争を主題にした書籍が
選定され続けた。

子供たちは、毎年繰り返し原爆投下された時の
戦争体験の本を読み、感想文を書いた。
戦争の悲惨さを知り、命の尊さ、平和の大切さ
を感じた。「戦争なんて二度とないように」と。

子供たちは、そして戦後に生まれ育った私たちも
日本は二度と戦争をしない国だと信じてきた。
このような主張ができる唯一の国であることを
誇りに思ってきた。
経済成長は停滞したり、外国に抜かれていくことは
あっても、平和を貫く国として、平和を世界に発信して
いける国は他にないと思えた。

日本には平和を実現するために、継続してきた努力がある。
真摯に戦後を生き、平和憲法に守られてきた時代がある。
それを何故、今急激に国民の声を無視し、国の根幹を
変更しようとするのか。多くの人は納得できない。
そして子供たちに命の尊さ、平和の尊さを教えないわけ
にはいかない。地元の学校の先生たちは、授業や
生活場面で、子供たちに命の尊さを教え続けている。

戦争など知らないで育った子供たちが、戦場に立ち
殺しあいに参加し、戦争のプロたちに銃撃されなくても
すむように。子供たちに平和な未来を手渡したいと、
こんなに思う日々はない。



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絵を見るのは、楽しい。

2014-04-05 | interest
絵を見るのは、楽しい。
若い時、最初は抽象画の方がしっくりきた。
具象画があくまでも、一方向の世界観と感じられたせいか、
何となく真正面から対峙できない照れがあったように思う。

抽象画は、いろいろなニュアンスを感じることができ、
日常の意味を解放してくれる。
五感を研ぎ澄まし、あれこれと想像を巡らし続けることができる。
わからないまま「感じる」という観賞が許される。

だが、急にある時から具象画にも惹かれるようになった。
具体性のインパクト、力強さに引き込まれるようになった。

良い展覧会に出会い、本物を見れたせいもあっただろうが、
時代を含めた画家の背景への興味というものが、かなり影響
していたように思う。
個性豊かな画家。ロートレック、ユトリロ、フリーダ・カーロ、
ジョージア・オキーフ‥そして、以前は、敬遠していたにも
拘わらず、アンリ・ルソーの絵がとても好きになった。
具象でもない、抽象でもない、幻想の世界でありながら、
絵に描かれている空気がこちら側に、流れ込んできそうな
不思議なリアリティ。

これを機に、いろいろな画家の具象画にも惹かれるように
なったのは、優れた具象画の奥に、抽象性をみることが
できるようになったからだと思う。
少し乱暴かもしれないが、私にとって抽象とは、
リズムであり、色彩であり、揺れ動く形であり、
拡がる意味だといえる。
そう考えると自然の風景というのも、限りなく抽象的だ‥。

だんだん両方の境界線が私の中では、滲んで無くなって
きそうなのだが、好みは抽象と具象とをいったりきたりする。
絵を見るとは、時計の振り子のように大きく振れる私の中の
価値観、未知と既知、様々なアンビヴァレンツの往復運動の
軌跡上に、あそばせてもらうことのようにも思う。

アンリ・ルソー(HenriRousseau) 異国風景-原始林の猿



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ギンズバーグと今

2012-04-21 | interest

部屋へ行く通路に本棚があって、
家族の荷物を抱えながら通りかかる度に、
アレン・ギンズバーグの詩集のタイトルが
目に入ってくる。

ビート詩人の言葉を読みたくなって、
何十回目かに通りかかった時に、
やっと手に取り、本を開いてみる。

ビート・ジェネレーションの世代は、
私の世代ではないが、
その匂いは色濃くて、
ガラッと時代が変わって見える。

今、読んでみると、ビートといわれる、
あの時代のリアリティのようなものは、
時間の下で続きながらも、だいぶ姿を変えて
しまったように感じられる。

ギンズバーグの詩には、裸になって人間が生きていく力、
詩を吐きながら、真の人間回復を摑んでいこうとする
インスピレーションと、詩の構築性に満ちた
すさまじいエネルギーがある。

世界中で絶えない紛争、災害、
そして9,11と3,11を経験してしまった現在。
それでも、原発問題や世界情勢の不安や混沌は続き、
格差社会はひろがり続ける。
救いの道のりはまだまだ遠く、
人間がそれぞれの価値観の違いを認め合い、
平和のために協力し合わない限りは、
理想の秩序など保たれはしないだろう。

又、個人というものを考えると、
一方で、ネットなどで、
瞬時に個人が様々な情報とつながりながら、
「個」が確立されていくような時代になったとも、
感じられる。

「個」とは、一人の人間の心の奥に
茫洋と揺るぎなく存在する世界と対社会との葛藤の中で、
時間をかけて確立されるもののように思われるが、
情報社会の中では、
個人の感受性をオープンにして他者と関わり、
見えないつながりの中の複数の共感者と、
共同作業をしていきながら、個が確立されていく‥、
そんな一面もあるように思える。

人間の生きる速度や環境が、一変してしまったように思う。
だが、もし、今、ギンズバーグがここにいたら、
この情報社会の中でも、やはり身をそぎ、詩を書き、
詩をしゃべり、行動を起こしていただろう。

時代の形式こそ変化してしまったが、
人間が抱える問題、それを超えて構築されなければ
ならない社会秩序の困難さは、
マックスに到達しているとさえいえる。

ギンズバーグの時代の詩は、遠いようで、
本当はちっとも遠くない。
ビート・ジェネレーションのような、
人間が人間であろうとする新たな強い精神が、
必要な時がきているように思える。

カテゴリー「ホットタイム」に入れる記事にしようと思い
書き出したのだが、
ギンズバーグの詩は、そうさせてくれなかった‥。
難しいことを書くことになってしまった。



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