詩の現場

小林万利子/Arim 「詩のブログ」 詩をいつも目の前に
小林万利子/Arimの詩とエッセイと音楽Arim songs

今日、世界には何が生まれたか、とか

2015-09-19 | フリー Poem
そろそろ寝ようかと思う時間になると
独り言をいう神様がやって来る

今日はな、どこから来たかっちゅうのは
どうでもええんや、
それよりもな、
たくさん
集まっていよった
夜だっちゅうのんに
鳥がな、鳴いておる
あの林の中におる鳥達じゃがな…

そんな話からはじまるのだ

独り言だから
一人にしておいても
きっと良いのだろうけれど
何となくそうはいかない
神様の言葉だから
その先を
ずっと
聞いている

ふと
明るくなっていく窓の外に
目を移す
そのあいだに
急に
独り言をいう神様は
帰ってしまわれる

神様の独り言で
今日、世界には
何が生まれたか、とか
何が失われていったか、とか
私は夢の細部を見るように
知る

森をわたる風のような
神様の独り言を



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素敵な朝を

2015-09-17 | 小林万利子/Arim songs 歌&歌詞

素敵な花を手折って
貴方の窓辺にとどけておきたくて
鳥たちにそっと託したわ

朝に鳴く鳥は
何を貴方に届けてくれるだろう

犬や猫や鳥や
森に住む動物たちは
皆 貴方の優しさを知っていて
笑いながら
任せてよって言ってくれた
頼まれなくっても
いつも最上級のプレゼントを
彼には届けることになっているんだと

でも明日はさらに素敵な朝を
届けようって 鳥たちは
相談していたの


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探していた

2015-09-17 | 小林万利子/Arim songs 歌&歌詞

どこからはじめたらいいというのだろう

きみに話しかける言葉を
ずっと探していた

そして月が中天にさしかかる

いっそ、きみの心を追いかけないでおこうかと
思ったけれど
もうそんなことはできないよ

眠れない夜のなか
きみに話しかける言葉を探していた
きみを
探していた♪



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なんてブルーな月曜日

2015-09-17 | 小林万利子/Arim songs 歌&歌詞

言葉が大事な現実を壊していく…
週はじめだというのに
今朝はなんてブルーな月曜日
こんな日は仕事エスケープしてね
絵の展覧会観に行って
どこかの街のカフェで 通りを眺めてね
ゆっくり過ごした方がいい
電話したら
誰か 来てくれるかな
言葉を失っていく
ずっと座り込んでいる
誰かに電話すらできないんだ

人と話すのは好きなんだ
角度を変えられるからね
いつもだったら何でもない
笑い話なんだけど
ああ
今日はなんてブルーな月曜日♪


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My dear

2015-09-17 | 小林万利子/Arim songs 歌&歌詞

My dear
宝箱をひっくり返して
見せあった日があった

あれからどれほど
月日は流れたのだろう

貝殻10枚
石ころ数えきれないほど
鳥の羽数えきれないほど

My dear
きみは 私の子供
きみは 私の恋人
きみは 私の涙
きみは  私の空
きみは 私の雨
きみは 私のfriend
きみは 私のdear

星のかけら6個
鳥の卵5つ
とかげの尻尾7個
とんぼの羽3枚

またいつか
きみと見せあうことが
できたら♪



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いつかのSaturday

2015-09-17 | 小林万利子/Arim songs 歌&歌詞

雨が降りだしそうな空を
見ているの
雨を待つのって
何かを 待ち焦がれているのに
似ているわ

子供の頃の恋は
あっけなく終えることが
できたけれど
大人の恋は
そうはいかないものね  

失われた時の中を
いったいどれくらいさまよえば
いいのだろう

窓の開かない部屋に閉じこもり
ノックする雨音を
いったい何度聞いたのだろう

いつかのSaturdayが来ないかしら
祈ってみるのよ
雨を待って
ときおり横を通りすぎる風に
木立から飛び立つ鳥に
祈ってみるの♪


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雨に歩く

2015-09-17 | 小林万利子/Arim songs 歌&歌詞

明日から ほんの少し上を向いて
歩こうとおもう

何でそんな悲しい顔をしているの?
って
久しぶりに会った友達に言われたの

涙が溢れないように
溢れないように
歩いてきたの

誰にもわからないように
わからないようにと
過ごしてきたわ

でも 今日はもう限界ね…
今にも降りだしそうな雨
空を見上げて
鳥の声探して
気をまぎらわそうと
してきたわ

でももう限界ね
外に出て雨に濡れて歩くの

いつまでもいつまでも
雨に手を引かれて
雨は優しい母のように
雨は優しい貴方のように

涙の跡が消えるまで
一緒になって歩いていく

明日は もう少しだけ
上を向いて
歩いていこうとおもうの♪


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運命なんて知らなかった

2015-09-17 | 小林万利子/Arim songs 歌&歌詞

運命って あるとき突然
やって来るものかと
思っていたわ
でも 違うのよ
運命ってね もう始まっていたのよ

あれから何度
あなたと別れを経験したかしら
そのたびに  私たちは心の中で
お互いに
呼びあっていたわ

運命ってなんだろう
一緒に質問しあったわね
二人とも運命なんて
知らなかった
それで充分だった
ただ あなたのことを思えばよかったの
それが始まりの合図だったの♪


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Lyrics 詞のポケット はじめます

2015-09-17 | 小林万利子/Arim songs 歌&歌詞
新カテゴリー "Lyrics 詞のポケット"を始めます。

詩をずっと書いてきております中で、
時々、感じていること、伝えたいことをもっとラフに、
あるいはいろいろな形で、歌のための゛詞゛の言葉と
して書きとめてみたいと思うようになりました。

今まではそのような気持ちに蓋をしてきたところが
ありますが、改めまして、その時の気持ちに素直に
なりたいと思います。

詞については、書きたいと思ったときに、
また浮かんできた言葉を書き留めていければと
思っています。

どこかで、ハル・デヴィッドとバート・バカラック
のような世界に憧れていますし、また例えば、
洋楽などではたまに、曲のイメージに
オリジナルと違う別の歌詞のイメージが拡がってきて、
言葉を書きだしてみたり。

このカテゴリーでは自由な詞の言葉の世界を、お読み頂ければと思うのです。
また子供の頃より、折に触れシューベルトの歌曲のフレーズが口をついて出てきます。そのような詞もそのうち試みて、書いていってみたいと思うのです。

いずれの詞も、曲がついているわけではないので、
リフレインは自由な詞の言葉の形の中でしているだけ
です。シンプルな詞の言葉として感じて下さい。

そしてこれらの言葉から、読んで下さった方の心に
何か曲が流れてきて頂けたら、素敵ですね。
その時は、どうか真っ先にご連絡を下さいね…。
Twの @Kobayasi_mari へでも結構です。

…言葉というのは皆のものですが、私のフィルターを
通して出てきた言葉は、とても大切に紡ぎ外に送り
出していくものです。
ここに詞(詩)の無断使用転用を固く禁じさせて頂きます。どうぞ、宜しくご理解をお願い致します。



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詩と詞について

2015-09-16 | 小林万利子/Arimの詩と音楽について〜お知らせ
日頃から感じていることを抜きには、
自分の立ち位置や、"詞を書きたくなったよ"、
という気持ちを伝えられないのだろうな…、
と思いまして、少し書くことにしました。

日本語の現代の詩は、「現代詩」と言われるようになって
から、より言葉の難しい方向へ歩いていってしまい、
多くの市民権を得ているとは言えません。
現代詩がなくとも、皆生きていける…。
現代の詩の言葉が、同時代人の心の支柱になれてない、
ここがいつもとても残念に思えてならないところなの
です。
その代わり、ポップスをはじめ、歌の詞が心に
共感を呼び、勇気をもらったり、日々の気持ちの支えに
なったりしているのです。

例えば、日本の詩人で誰が好き?などと質問すると、
いまだに宮沢賢治や金子みすゞや、中原中也が出てきて
しまう、もちろん素晴らしい詩人に違いない、
だけど生きている時代が違いすぎるのです…。

PCや携帯、瞬時に情報が飛び交う時代、
人の苦悩や詩に書かれた感受性は共通かも知れないけれど、私たちに覆い被さってくる時代の感覚は異なります。
共感を呼ぶ過去の詩人たちが、もしこの時代に
タイムトンネルをくぐりテレポーテーションしてきたら、
別の形の今の時代にあった詩を書かれるでしょう。

また現代詩人といえばいつも谷川俊太郎さんとなりますね。谷川さんは本当に素晴らしい大詩人だと思いますし、
同時代であることに大きな喜びを感じます。
ただ絵や美術の世界と違い、詩の場合は、取り上げられる
詩人の層が薄いことも確かです…。
だから現代の日本に「詩」の力が弱くなってしまったのだと思っています。
優れた芸術家がたくさんいらっしゃるように、
たくさんの詩人が活躍できればいいと思うのです。

ところで過去においては、明治時代になり言文一致運動が
起こりました。
讃美歌の翻訳詩や上田敏の「海潮音」から始まり、
藤村、有明、露風などの詩人が、短歌でも俳諧でもない、
新しい自由な詩の形を模索していきます。
詩の言葉により、近代人の憂鬱ともいうような心の内面へ
下りていった時代のように感じます。

…そして、日本語の口語自由詩は、なんと言っても
萩原朔太郎が確立し、さらに日本語での詩的思考と
詩的表現を自由自在な次元に拡げたのは、
西脇順三郎の偉業だった、と思っています。
戦争の時代を経験したために、モダニズムは形を
変えざるを得なかったが、その後「荒れ地」を始め、
戦後詩を経て、60年代辺りからより実験的な詩の形を
とる現代詩が生まれていきました…。
それは時代的な意味があることだったと思います。
しかし平成の今、現代詩はいまだに難しい迷路を
歩いているように思えるのです。…

半面、異論も覚悟の上あえて言ってしまえば、
朔太郎、順三郎…の日本語詩への大胆な実験とも
言うべき跡を継ぎ、…日本語の詩の世界の可能性を
現代に拡げたのは、"歌詞"の世界だと、
私は思ってもいるのです。
果敢だし、実験的だし、共感できるし、さらに新しい
言語感覚や詩的思考を経験させてもらえる…
乱暴な言い方だけど、ユーミン、陽水、桑田さん…
そして心に響く日本の歌謡の詞が、人の心にたくさんの
花を咲かせているのです。
歌は多くの人の心を捉える。happyでもunhappyでも、
人の心には歌があります。
そんなより自由で、人の心に寄り添えるような歌の詞の魅力に惹かれます。
そしてより直接的に心に届く、時には"詞"の言葉となるものを書いてみたくなったのです。


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ある人への手紙

2015-09-16 | 小林万利子/Arimの詩と音楽について〜お知らせ
"種をこぼして歩く…"そんな比喩の似合う人から、
私は様々なインスピレーションを頂いたことがある。


ジブリの「もののけ姫」の中の、
シシガミが歩くそばから足元に花が咲き、
枯れていき…、という場面を思い浮かべました。
多くを語りかけてくる場面です。

とても美しくてはかなくて、生命というものの輪廻を
感じます。時は移ろいゆき、その変化こそが生命その
ものであると知るのです。

時の中で、消えていくものと生まれてくるものは
隣り合わせにあるものなのかもしれない。
そしてそれは、深い根で結ばれていると感じます。
詩が生まれてくる場所でもあるかと思います。

…詩とはいたるところにあるものだと思います。
とても大事なものです。
…詩は偉そうなものではないし、大袈裟なことでも
ない。いろいろな言葉として生まれてくるものです。
時代の中で、時にはメッセージ性を強めたものも
ありますし。詩そのものを手渡すものもある。

人が日々生きている日常は辛辣なものかもしれません。
でも、いのちを頂きここに生きているということは、
変えがたい素敵なこと。
そういうことって、わからなくなってしまうものです。
目の前にある小さな花を、
"ほらこんな素敵な花があるよ"って、
誰かに手渡してあげられるもの、それが詩でしょうか。
習慣のなかに埋没してしまうものを、生まれてはじめて
見たときのように、輝かせてあげられるものが、
詩の力でしょうか。そんなことを思っています。

詩作品は、その時その時の産物。
この「詩の現場」というblogは詩のお店のように思って
頂ければと思っているのです。
お店とは、"見せる"場所です。旬もの八百屋さんのようにです。…天候によったり、だから不出来もサービス品も
いろいろありますw。

よくお金にならなければ書かない、見せない、という詩人の方もいらっしゃいますが、詩自体は、そのようにお金に執着したものではないと思っています。
お金を頂く詩は、受注生産か、気に入って頂いた詩をちゃんとした形に整えてお渡しするときでいいじゃないかと私は思っています。
逆にお金を頂かなければ書かないなんてことは、詩にたいしては失礼とw。実際詩の場合は、参加費を払って発表する場合とか、或いは原稿料はありませんが1、2冊贈呈、が多いでしょうか。

…詩は、詩そのものであり、書き手は自分を通して詩を実現するだけと思っています。詩がうまく生まれ出れるように、産婆さん役でもあると思ってしまう…。

詩に対してのご意見は皆さん1人1人異なる立ち位置で書いているものだと思いますが、偉そうじゃないものが好きです。優しくって、凛として、美しくて。
そんな詩を、1篇でも書いていきたいと思います。
でも、詩の花はいろいろあり…がいいです。詩ですものね。詩は時の花ですから…。



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小林万利子プロフィール

2015-09-16 | 小林万利子/Arimの詩と音楽について〜お知らせ
16才から詩作を始め、学生時代には故慶光院芙紗子氏
主宰の無限アカデミーに参加し、1980年代現代詩の最前線
に学ぶ。又大学の卒論では西脇順三郎「Ambalwaria」に
現代詩の精神の一考察を試みる。
卒業後、信州にて詩人宮沢肇氏に師事する。
作家窪島誠一郎氏主宰の美術館「信濃デッサン館」に
勤務し、収蔵作家や近代現代美術について深く学ぶ機会
を得る。
1991年、言葉による絵画的視座を意識し、イマジネーションにより詩の場面を現出させることを試みた第1詩集
『月がまるみをおびる地点まで』を上梓。好評を得て、
詩人平林敏彦氏に高く評価される。

その後山梨に移り、以後陶芸の家業と子育てに従事する。1999年、人の心に届く詩の言葉を目指し、第2詩集『ひかり』を出版。同時に、言葉の立体化を意識して、陶とのコラボレーション展「はるかな糸」を共催。

3.11以後は、さらに詩がより多くの人の心に届く言葉
であるように、...誰かの言葉になれる詩の言葉でありたい、と思い、2013年、第3詩集『永遠のポンプ』を上梓。 

『永遠のポンプ』には52篇の新作詩を収載。斬新な装丁、発想の新鮮さとたしかな言葉。人へのやさしさや生きる希望が充ち溢れている詩集、との好評を得た。

常に、自分の求める詩の形を追い続け、詩を書き続けていくなかで、‥ブログ「詩の現場」では、小林万利子が日常の只中を歩きながら、日々のPoesyの予感を言葉で捕えて、新作詩、エッセイなどを更新している。
又ツイッター小林万利子では、美なるもの、国や時代を越えて大事にしたいことや、楽しいことなどを時々呟いている。
・詩集に『 月がまるみをおびる地点まで』『ひかり』
『永遠のポンプ』がある。

尚、第一詩集は在庫切れですが、「ひかり」 「永遠のポンプ」はまだ残部が手元にございます。御希望の方は、
tw小林万利子(@Kobayasi_mari)迄ご連絡を下さい。)

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祖国の記憶とは

2015-09-01 | トークタイム
"祖国とは、記憶のこと…"という言葉を知ってから、
ずっと、祖国という意味合いを考えていた。
日本人は血縁に連なる土地に住み、
日本人としての歴史を一つの国土に繋いでくることが
できた…。もちろん時の為政者の変遷の影響が
多々あったなかで。

だが、私達の国は継続されているし、
国民は亡国の憂き目にもあわないでこれたのだから、
"祖国"といわれても、あまりピンとこないというのが
正直なところだと思う。
外国に出た方は、日本を違った時間の軸で捉えて
こられたのかもしれぬが。

戦後70年経った今、私たち日本人は、
この国土で戦争を知らぬ時間を生きてきた。
素晴らしいことだったと思う。
だから、戦後生まれの私たちにとって、
祖国の記憶と言ったら、平和そのものなのだと思う。

国を失くした民族、国を追われた人たちは世界中にいる。
その人たちが、祖国を想うとき、何を心に浮かべるだろう。
今は失われて焼土と化した土地かもしれぬ…、
永遠にとっておきたい美しい山河の風景だったり、
家族との懐かしい時間の記憶だったり。

私たち戦後日本人の"祖国"の記憶は、
平和な世の中なのだと思う。
国土に70年間戦争が起きなかった。
毎年、広島、長崎の原爆投下の日に、平和の尊さを祈る。
それ以外に"平和"という言葉さえ、口にするのが不思議な程、平和な暮らしをしてきた。

ところが今、私たちは日常的に毎日、"戦争"という言葉、
"平和"という言葉を口にして、平和を願っている。
戦後の"戦争を知らない子供たち"だった私たちの子供世代、
…戦争を知らない第2世が、平和のためのデモに声をあげている。

祖国の記憶とは、平和を続けてきた国、
そして平和を手離さないと願う人々の心がある国のことだと、刻印されたい。
…連日のデモ、若者、母親たち、文学者、法曹界、弁護士、
ミュージシャン…日本人の心に根付いた平和を願う気持ちを、尊いと思わずにいられない。



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