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未来を手渡したい

2014-06-26 | interest
戦後文学、戦後詩というジャンルのことが、
近年いつのまにか話題に上らなくなり、
戦争、戦後という時間自体が
社会の中で風化していった。
それは、大変幸せな時間の進行であったとも
いえるし、危険なことでもあったのだと思う。

私の大学時代の頃には「詩とは何か」よりも、
「戦後詩とは何か?」等が活発に議論されていた。
詩は「現代詩」と名付けられ、この言葉には
様々な角度から問題提議される実体があり、
現代詩を書く尖鋭な詩人たちがたくさんいた。

戦後活躍した詩人たち、「荒地」「列島」
「歴程」等…そして第二次戦後派「櫂」などへ
連なる詩人たち。
鮎川信夫、田村隆一、中桐雅夫、黒田三郎…
関根弘、長谷川龍生、黒田喜夫…
吉野弘、茨木のり子…
戦後の感受性を担った鋭敏な詩人たちは、
そしてほとんどが鬼籍に入り、いなくなった。

戦争時代を経験していない私の中では、
早い時期からもはや「現代詩」という言葉に
自分の詩が違和感を持ち始め、「詩」でいいでは
ないかと思いだしていた。
いつしか、残された私達の中で、
戦争は遠い時代のものになった。それも仕方ない。
1945年。終戦の年に生まれた方が70才になっている。
どんどん生れてくる若い世代と戦後文学が共通語を
持たなくなっていったことは事実だ。

かろうじて、社会の中では原爆が投下された夏に
戦争体験が語られ続け、小中学生の義務教育の
夏休みの課題図書には、戦争を主題にした書籍が
選定され続けた。

子供たちは、毎年繰り返し原爆投下された時の
戦争体験の本を読み、感想文を書いた。
戦争の悲惨さを知り、命の尊さ、平和の大切さ
を感じた。「戦争なんて二度とないように」と。

子供たちは、そして戦後に生まれ育った私たちも
日本は二度と戦争をしない国だと信じてきた。
このような主張ができる唯一の国であることを
誇りに思ってきた。
経済成長は停滞したり、外国に抜かれていくことは
あっても、平和を貫く国として、平和を世界に発信して
いける国は他にないと思えた。

日本には平和を実現するために、継続してきた努力がある。
真摯に戦後を生き、平和憲法に守られてきた時代がある。
それを何故、今急激に国民の声を無視し、国の根幹を
変更しようとするのか。多くの人は納得できない。
そして子供たちに命の尊さ、平和の尊さを教えないわけ
にはいかない。地元の学校の先生たちは、授業や
生活場面で、子供たちに命の尊さを教え続けている。

戦争など知らないで育った子供たちが、戦場に立ち
殺しあいに参加し、戦争のプロたちに銃撃されなくても
すむように。子供たちに平和な未来を手渡したいと、
こんなに思う日々はない。



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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あの頃はよかった (金さん)
2014-06-28 12:36:09
私も「戦後詩」を読んで、10代を過ごしましたが、いつしかその後の世代の詩は読まなくなりました。
何故だろう。
そもそも戦後詩は戦争の時代の否定から、始まった、多彩な詩群だったと思います。

21世紀になって、所謂思潮者詩人たちは、何を書いているのだろうか。今はそれさえもはっきり見えない。

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