詩の現場

小林万利子/Arim 「詩のブログ」 詩をいつも目の前に
小林万利子/Arimの詩とエッセイと音楽Arim songs

植物のなまえ

2014-07-27 | Photo-ry (写真)


ヘクソカズラという名の植物。
    (別名 ヤイトバナ(灸花))

路傍や、他の草の群れに混ざり
いつのまにか葉を大きくし、
気がつくと、綺麗な花をつけている。
触ると、独特の匂いを放ちます。

植物は、人の生活に根ざして名づけられている、
としみじみと実感するのです。

形あるもの、ないものも、一度名づけられると
その瞬間から、今までの時間とは別の時間が
流れだすように思います。

夏を代表する雑草、ヤブガラシ(藪枯らし)も
そうですが、人間の都合にとって
少し手を焼く植生を持つ植物の名前は、
それ以前のイメージを、忘れさせます。

本当は、もっと美しい名前を持って
生れ出てきているのに、と思いながら。
名前のまだつかない花を見るように、
時々、心のなかで
その可憐な姿に、ありがとうといってみるのです。
さわやかな涼風が吹いてきて、この花に
フと、美しい名を置いていってくれるようにと。

植物の名前を知る時、その背景に思いを巡らすと、
目の前の花が、さらに愛おしくなったりするのです。


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青空に近づくために

2014-07-18 | Photo-ry (写真)


どこまでも行こう とおもう
どこへでも行けるだろう とおもう

植物は
地面に深く根を下ろし
陽の光や
雨粒や
虫の亡骸を
抱きかかえながら
この地上の時間をいつくしみ
ようやく花を
ひらいてみせる
一刹那
私たちはその花の
美しい横顔をみる
種が
風に吹かれて
舞い上がる日
地中にのびる根は
なおも何百、何千の夜を
費やしていくだろう
あの青空に近づくために
つぎの離陸のために



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鳥の方角

2014-07-13 | フリー Poem
雨も風も 私たちに
いのちの種を届けている

地球という回転する生命体に
いのちの螺旋が伸びつづけて
だが
このまま 回転する地球に
進化の足跡を残していけるだろうか
このまま 鳥たちとの王国を
つづけられるだろうか

空の中の
鳥の姿や声に
気づけなくなっていく人間たち
私たちは 
昨日までと同じように歩きだすしかない
明日はどこへむかって

鳥の指し示す方角を
見失ってしまわないように
古代の鳥が
水先案内の末裔に 
息吹きを吹き込みにくるという
夜明けまぢか



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信濃デッサン館の絵のこと ー靉光

2014-07-08 | interest
昔信濃デッサン館という美術館にお世話に
なったことがある。
夭折画家のデッサンを集めた窪島誠一郎氏の
設立した個人美術館。
村山槐多の代表作「尿する裸僧」関根正二、
野田英夫、戸張孤雁、靉光、松本俊介らの
デッサンが主に展示されていた。

お客さんの見えない時間に、私はよく彼らの
デッサンを繰り返し見つめて歩いた。
一枚ずつ作品に対峙しながら、
絵の向こうの声に耳を傾けて、対話にならぬ
対話を心の中で繰り返していた。
あえて、言葉にしなくてもいい時間を発酵
させながら。
簡単に絵の答など出さなくていいのだという
心境のまま、時間が積み重なっていた。

今思い返しても、あの時間は自分の奥底に
光っているように感じる。
ストイックな美術館の壁にかけられた絵や、
木レンガの床。
開館前の、入口の大きな木のドアの合わせ目の
隙間から、流れ落ちる一筋の光が、今も
まざまざと、呼吸するような生き生きとした
感覚で甦ってくる。

このところ、当時の私の心には一番遠かった筈の
「靉光」のデッサンが、なぜか急激に意識に上る
ようになった。

『…「池袋モンパルナス」と呼ばれた界隈で、
独自の画風を追求。
戦争中、戦争画を一枚も遺さなかったことから、
「抵抗の画家」「暗い谷間の画家」とも。
…戦時下の状況から、戦争画を描く事を当局
より迫られ
『わしにゃあ、戦争画は(よう)描けん。
どがあしたら、ええんかい』と泣くように
いったという。陸軍一等兵で中国で戦病死」…』

靉光のデッサンは細密で、他の収蔵画家のものとは
異なるパッションが漂っていたかもしれない。
リアリティの向こう側のドアに通じる、強い理想の
意思のようなものを感じた気がする。

有名な『眼のある風景』は「日本におけ るシュール
レアリズム絵画の記念碑的な作品のひとつ」と言われ
ている。

‥そうだ。靉光の描いていた眼だ。
靉光の眼が見つめていたものが、時代が変わろうとする
今、私の中に甦って来たのだと思い当たった。
本当に久しぶりに、デッサン館収蔵の夭折画家の絵の
ことを思い出す。
戦没画学生たちの遺作を集めた「無言館」も
知られている。

無言館・信濃デッサン館
もの書きを目指す人びとへ 岩垂 弘




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「No More War 」という詩を ふたたび

2014-07-01 | フリー Poem
十五夜の あの美しい夜から
それほど 時間は過ぎてはいないというのに
もうひとつの螺旋階段があるように
別の時間が 忍び寄ってきていたのだろうか

「No More War 」という詩を 
なぜ 書かなければならなくなったのか

自分が 
自分の愛する人たちが
戦場へ行かなければならない朝を
想像してみて

戦争がおきていいと思う人なんて
本当は いない

   (「No More War 」という詩を)より


昨年、12月28日に投稿した詩です。
再投稿はしたことはないけれど今回は特例…。

この詩を書きあげたのは、
昨年、特定秘密保護法案が強行採決された12月。
心がとてもザワザワして書きあげた。
ふだん、社会的な詩をあまり発表しない私が、
戦争という言葉を自分の詩に書くことは、
驚きでもあった。
しかし、「No More War 」という言葉を
書かないわけにはいかなかった。

あの時は、戦争という言葉がまだ日本人にとって、
現実味を帯びて迫ってきていなかった。
私の感覚が妄想、取り越し苦労であることに
越したことはないと思い、
勘違いなら尚いいではないか、
そんな覚悟を持って発表した。

今日、集団的自衛権の行使が、閣議決定された。
官邸前は前夜から抗議行動する人々で、
埋め尽くされている。
…武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。…
…国の交戦権は、これを認めない。(憲法第9条)

平和憲法第9条を掲げる国。
戦争をしない、と最高法規に宣言している国が、
戦争をする国になろうとしている。
戦争をする日本を、国民は望んでいない。
人々は平和を求めている。

「No More War 」という言葉を
何度でも繰り返す。
子供たちのために
「Love and peace」
心からの叫びを、何度でも繰り返す。



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