詩の現場

小林万利子/Arim 「詩のブログ」 詩をいつも目の前に
小林万利子/Arimの詩とエッセイと音楽Arim songs

タイム・オーバー

2009-11-29 | My詩集から
「よいどれ」 がいってしまった飲み屋のイ
スに 何日も何日も 腰をかけていたいと
おもう 日が暮れるたびに パチパチと破
裂しそうな薪ストーブに 手や足を近づけ
暗い闇からの足音をきくために
 入口の扉があき 風が吹きぬけると つ
かれた老人のひたいは しだいにコップの
影にみえなくなる
 こわれた時計は動きだし 音楽隊はまだ
こない
 壁や棚 机やボトルが 風のなかにかき
けされ 残されたストーブが  いつまでも
あかあかと燃えあがり 二つの瞳は閉じる
こともできず乾ききり  今夜も 天井には
焼けあとのような空が  ひろがるだけ

        詩集「月がまるみをおびる地点まで」より


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谷川俊太郎 

2009-11-26 | 気になる人、ことば
11月25日付の朝日新聞、19面オピニオンに
谷川俊太郎氏のインタビューが、掲載されていた。
「詩はどこへいったのか」というタイトルで、
詩の危惧を受けとめ、話しておられた。

インターネットの情報網は、高速で世界をつなぎ、
ここ10年位の間に、日本の社会構造も激変させたと
感じるこの頃だ。

私が谷川俊太郎さんの詩を知ったのは、高校生の時だった。
授業で、教科書の詩の感想文を書くのに、
萩原朔太郎、谷川俊太郎、鮎川信夫の3氏の詩の中から、
どれにしたらいいか、とても迷ったあげく、
朔太郎と、谷川さんの詩のどちらか一つを選ぶことが
できず、感想文を2つ書いて提出したのだった。

その後、上京し、池袋や渋谷のどこかで、詩のイベントが
あると出かけて行き、40代後半の谷川さんを、何回も
まじかで見た。
インドコットンのシャツを着ておられ、洋もくを吸っている
姿が、憧れの谷川俊太郎の詩人像だった。

そして意外だったが、当時、谷川さんは「ことば」から
少し離れ、(或いは別の角度から詩を考え)、会場でも
ビデオを持って歩き回っている姿が、印象的だった。

あれから、時代は変わった。
インタビューで谷川さんも言っておられるが、
今は、身の回りに、「詩的なるもの」が多い。
昔は、苦労して、「ことば」以外に詩的なるものを、
構築しようとする試みが、多々あったが、
今は、「詩的な」「詩みたいな」ものが、あふれている。

時間と共に、流されないような、
人の心に刻印できる絵、ことばを見たいと思う。
だがもはや、人間の心に焼きつくような芸術、抽象性のある
事象の出現というのは、もう時代が、許してくれないのだろうか。

立ち止まって考えられるもの、確実な人間の心の成長を促す
ものに、時間がとどまってほしい。
損得勘定や、欲望ばかりが優先するのではなく、
言ってみれば「もののあわれ」を感じ取り、理性を磨きあげて
人間として思索できるような、人間が人間になれる時代が
きてほしい。




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黄金の大地 (連詩 1)

2009-11-18 | フリー Poem
天照らす 黄金の大地に 立って
静かに 息を 吸ってみる
静かに 息を 吐いてみる

地面に 影をおとすもの

私と あなた の
深い つながりを 想像してみる

窓によってくる 羽虫の
色濃い 影

風のゆくえを 教えるように
木の葉 草の葉が
細長い 影を ゆらす 

陽をさえぎる 雲の大群
が それさえも
街並みに 涼しい陰を生む

どこから きたの
小さないのちに きく

ママの おなかには 光は
とどいたの    

天照らす 黄金の大地を
夢みて いたわ




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マルセル・デュシャンのはなしをしてくれた人

2009-11-15 | My詩集から
わからないから すきなんだ
といった人のことを
私も わからないから すきになった
すきという感情は
絹の糸よりも やわらかくて 強い
空中に 生みだされる 糸
糸をたどる
つぎつぎに 糸は 光の七原色を
はらみ 変化する
マルセル・デュシャンのなぞのように
あの人の 心へ はなしかける


     詩集「月がまるみをおびる地点まで」より




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未 来

2009-11-11 | My詩集から
夜の街路を もう一つの影と歩く
ポプラ並木は 風にゆれながら
しずかに 目を閉じている
ガス灯もなく ときおり車が
ヘッドライトをながして
とおりすぎる
地球は 星々と 遠くはなれ
私たちの投げる放物線は
とりとめのない会話をするほど
近くなった
未来はどこからやってくるのか
私たちは ときどき 立ちどまって
かんがえた そして ふたたび
世界のはじまりのように
歩きだすしかなかった


    詩集「月がまるみをおびる地点まで」より




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「詩と陶によるコラボレーション」について

2009-11-10 | 詩と陶によるコラボレーションの記録
「詩と陶によるコラボレーション」に寄せた詩篇は、
1999年に、陶芸家田村六鵬氏とのコラボレーションに
出品した作品群の一部です。

展覧会は、私の詩篇に対し、氏が陶作品を作ったもの。
逆に六鵬氏のオブジェの一点一点に、そこから得たイマ
ジネーションによって私が詩を書いたもの、というような
2部構成で行ないました。

六鵬氏のオブジェ群からは、太古の匂いが、放たれて
いました。
古くさいものではなく、太古の、繰り返された生死。
生命のダイナミズム。又、裏腹な静かなる沈黙。
そのエネルギーが、命あるものの影を支えるように、
私の足元まで届いていること、さらに、未知なる先まで
続いていることを、強烈なインスピレーションとして
感じたものでした。

展覧会の内容というのは、手元に残らないので、ここに
数篇の詩を、再録しました。

美術でも音楽でも、又いつか、コラボレーションを
してみたいなと思います。
‥何かが、生まれます。




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驟雨のあと

2009-11-07 | 詩と陶によるコラボレーションの記録
驟雨のあとの
せみの声を
あびるように きいていた

何年も 何年も
ききつづけた

せみは ある年
私に ききとれるような
ことばで はなした
土の奥深くに 生きつづける
祖先について

父や母
またその父や母
そして その上の父たち母たち
の話を

地下に のびる根
見ることを許されない 根のつづき
私まで届く水脈について

私はいつか 私も
物語の登場人物になって
語られる日がくることを 夢みた

それは それ程遠くはない日




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ペルセポネの夏

2009-11-04 | My詩集から
 いまはいない彫刻家の ギリシャ神話につ
いて かんがえていると  足音をひきずる男
が一日に四回 五回と 部屋をたずねてくる
ようになった  ハーケンを右手にもち  一つ
一つの岩間にうちつけて 海岸線を 星座の
ように見わたす  この地上まであがってくる
ことが どれほど 骨のおれる仕事であるか
を  とはずがたりにしゃべりだす
 英雄ペルセウスのように 西へ 東へ 南
のはてへ 死者のむらにたちより 骨をつぎ
たし 毒蛇をのみこみ 歩きつかれる道のり
こそは  くもが糸をはきつづけるよりも  人
間が眠れぬ夜をかさねるよりも 実に たい
へん偉大である そのうえ 岩は 底なし岩
で ハーケンを 沈みこむ寸前にひきあげて
つぎの岩にうつさなければならない この緊
張の連続は プロメテウスの苦痛よりも  イ
エス・キリストの受難よりも  はるかに尊く
感謝されるに値する
 あいている片方の手には バーベルをもち
上下運動をくりかえしては  たえまなく腕の
筋肉を強化して  咳きこみながら 古いアル
ファベットの変形語を  ならべかえる
 ところで、ビールを一杯、もらえないだろ
 うか。
 私の見知らぬ記憶の分子は 体内をあわた
だしくかけだし  森の老婆が通りぬけるよう
に 声帯を奇妙な音色にふるわす
 あいにくだね。
 ここには、おいてないんだよ。
 深夜 アフロディーテの出現を夢みつつ
白く泡立つコップの底を  手のなかにつつみ
こんでいると そのたびに  私の耳のあたり
には  竹の子の頭のような花が咲きだして
窓ガラスにうつってはきえていく


詩集「月がまるみをおびる地点まで」より


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階 段

2009-11-02 | 子供のこと、子供のことば
子供は、階段が好きだ。

子供は、後先のことを考えず
どんどん、のぼっていく。
きっと、終りがなければ
どこまでも、どこまでも
次の一歩を、のぼっていくのだろう。

たまに、下にいる大人の元まで
かけ足で戻ってきて
また、まわれ右をして、さっさと
のぼりだす。

少し、啓蒙的になるが
子供があることに、つっかかり
それ以上、進めなくなっている。

自分の階段を、のぼるように
話した。
一つのぼると、また
神様が、次々に、用意してくれる
きらきらした、階段をのぼるように。
どこまでも、高くのぼるように。

本来、人間は、階段をのぼるのが
好きなのだ。

階段は、のぼるようにできているのだ。
子供には、子供の。
大人には、大人の。
年老いた人には、年老いた人の。
一歩づつ、新しく。




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