詩の現場

小林万利子/Arim 「詩のブログ」 詩をいつも目の前に
小林万利子/Arimの詩とエッセイと音楽Arim songs

鳥が遠くへ

2016-01-29 | ひとひらのPoetry
何度も傷ついて
傷つけて
生きている
仕方がないことなのだろうね
本気で歩いているのだから

鳥が遠くへ   そして
高く飛べるのは
羽にたくさんの傷を
持っているからだと思うよ



ありがとうございます。応援してネ♪
にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へ
にほんブログ村

永遠のことを、考えていたのだけれど…

2016-01-29 | 詩を歩く
永遠のことを、考えていていたのだけれど、
風邪っぽいから、論旨の繋がりが悪くて、
フローになってしまう。

…「古池や蛙飛び込む水の音」芭蕉の句を
時々思うけれど、
水の音が宇宙にポーンと響くような句。
すべてはこの宇宙の中の出来事。
時間に抱かれ、私たちは変化としか捉えないけれど、
それこそが永遠の姿であって、と思うのだ。

永遠を追いかける。
永遠はいつも開かれている、と思えるようになった。
誕生や死や、出会いや別れや。
風貌も景色もどんどん変わるし、
二度と同じ瞬間はないが、
また別の角度の永遠がつながっていて。

瞬間が永遠の扉を開けてしまうような、
永遠の顔を垣間見るような時、
そこには、美が介在することが多いのだろうと思う。
美しいと思う気持ちは、とても深いものだろうなと思う。

心地よいと、美しいなと思う気持ちは、
少し違うのだろうね。
美しいと感じる心は、どこか永遠を思慕する感情に
つながっているのかもしれないなと思う。

日本人は、もののあわれを感じ取る。
四季の移ろいが手助けをしているのだろうね。
移ろいゆくものに、美しさと淋しさを感じる。
変化こそ本当のことなのだとどこかで悟りながら。
カタチの移り変わりを見つめ耐え忍ぶ力も備わり。

もののあわれを感じ取る心は、
だから決して弱々しいものではないのだと思う。
また移り変わりの景色に佇んで、
時を過ごすことの豊かさ。
そんなところに 、諦念と希望を含む弾力のある心が
育まれる所以があると思う。

曖昧とか。これはコミニュケーションにおいては、
まずいこともあるけれど 、移ろいゆくものの深さを
見知っているからであったりもする。

…だから、はい。いいえ。の中間に佇んでいられたり
するようにも思う。白と黒の、両極端にならない、
時間のあわいのようなモノトーンの世界には、
様々な豊かなニュアンスが溢れていて、
決して分裂しない宇宙的な永遠が流れていると思える。



ありがとうございます。応援してネ♪
にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へ
にほんブログ村

Pom Pomという名前の鳥

2016-01-23 | フリー Poem
Pom Pomという名前の鳥が
今日もやってきた

私は鳥の名前をよく知らないから
通りがかった誰かがそっと教えていってくれるまで
私の目の前に飛んでくるこの鳥はPom Pom

Pom Pomは
しょんぼり一人ぼっちの人のすぐ側に
飛んでくる
なんといっているのかはわからないけれど
たぶん、大丈夫だよっ、て鳴いている

Pom Pomは
二人がすわるベンチの横の木の梢に止まっている
たぶん、大丈夫だねって、囀りながら

Pom Pomは小学校へ行くのも
駅に寄ってみるのも 好きだった
鏡のような窓ガラスが光る ビルの間を
すり抜けていくのも たまらなく好きだった

葡萄畑にも水辺にも
ストリートにも 仲間を見つけに飛んでいった

それから、公園で鳩におやつを分けてもらい
そうだ、今日は本当はTちゃんのおばあちゃんの
御見舞いに行ってみたかった、と気づいたみたい

公園で遊ぶTちゃんにも、おばあちゃんにも
大丈夫だよって、今日1番大きな声で鳴きたかったから

ああ、きみは、
本当はなんていう名前の鳥なのだろう Pom Pom…
カザルスの鳥は、きみの友達なの?



ありがとうございます。応援してネ♪
にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へ
にほんブログ村

美しいものは、

2016-01-20 | トークタイム

美しいものは、至るところにある。
美しいものを見つけながら
歩いていくのが好きだ。

社会情勢や環境問題や、
心痛むことがあふれているけれど…、
悲しみや抱える問題がなくなるわけでは
ないけれど、美しいものに接すると、
心は少しだけ自由になり、
宇宙の根っこに触れるような
柔らかな時間を取り戻すことができる。

美しいものは、心を整えてくれる。
習慣にまみれてしまう心の目を、
拭いてあげるようなものだろうか。
自然への畏敬の念や、優しい気持ちを
取り戻していく。
夕陽の美しさ1つ思ってみても…。
手に届かない憧れの世界が私たちを
取り囲んでいるのだと知ったりする。

ところで、美しいものや可愛らしい動物
画像など、たくさんNSN上Twなどされる
方がいるが。
凛とした勇気と暖かな人の心を手渡される
ように感じている。
忘れてはいけないこと、大事に育てなければ
ならない花の種を分けてもらっている。

そういえば、種はこぼれる、というけれど。
この言葉はいいな。…
…1つの果実からたくさん生まれでるもの。
希望の光みたいに、土に隠れながら、
朽ちて変わり果てていく花や葉の蔭に
結ばれて。
綺麗な鈴の音が響きだすように
列を作っている。
枯葉の下に眠ったり、
出番を待っているのだね。



ありがとうございます。応援してネ♪
にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へ
にほんブログ村

時間を飛行する

2016-01-17 | 詩を歩く
鳥は、何故飛ぶのか…、
目の前を飛び立つ鳥を見てはいつも思うこと。
では、人間は何故歩くのか、
この問いと同じであることだと知りながら。

中には空高く飛ばない鳥もいるけれど、
飛行できる鳥は、飛ばないでは生きていけないだろうね。
人も1所にじっとしては生きていかれない。
歩いていかなければ生きていかれない。

考えてみたら、生まれたての鳥の赤ちゃんが飛べた時、
人間の赤ちゃんが歩きだす時は、
誕生の次に祝福される時だ。

鳥は飛びつづけ 、人は歩きつづける。
これが生きるための姿なのだと教えられて。
時間を飛行する。
いのちが纏う色を変化させながら。



ありがとうございます。応援してネ♪
にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へ
にほんブログ村

宇宙のかけら

2016-01-17 | フリー Poem
そう。魚は海である。
魚は空である。
魚は宇宙である。
魚は海という水をくぐり抜け、外界に姿を見せてはじめて
海の姿をまとった勇者となる。
海の伝説を、一身によみがえらせる。
地球に海が生まれた物語をたずえている。

では にんげんはというと、
にんげんは海である。
にんげん空である。
にんげんは宇宙である。

とはじめてみる。
そして
にんげんは、誰かのために
2本の足で歩いていくことができる。
自分以外の誰かと言葉を交わし
笑いあったりすることができる。
誰かの奏でる音楽を聴くことができる。
誰かの描いた絵を
ずっと見つめていたくなることもある。

そんなふうに
宇宙に時間を刻める生きもの
宇宙の話さえできるいきもの
空も海も愛することができる宇宙の子供

だから
にんげんは海に愛され
にんげんは空に愛され
にんげんは宇宙に愛されたいきものであって。



ありがとうございます。応援してネ♪
にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へ
にほんブログ村

鳥の羽は、そのものであろうか…

2016-01-17 | 詩を歩く
言葉に力をもらう。
人間は、言葉によって進んでいける生きものだと思う。
だからいろいろな角度で物事を捉えて、
思考を巡らしたい。
言葉は、ある1つのことを言い当てることが
できるだろう、
だけどすぐ横で、別の言葉も生まれている。

1つの言葉の背景には、様々な意味が眠る。
言葉は真理を1つの側面から抽出する記号であり。
魚釣りのようであるなと思っている。
ある部分では、イメージ的な言葉の方が、
真理に近づけるものかもしれない…。

林檎、という言葉で、リンゴを言いえて
しまえるだろうか。
リンゴから立ち上る世界は、沈黙するだろうか。

花や鳥の名前のように、そのものの名前に安心を得て、
満足することもある。
そういう種類の言葉で組み立てていく伝達方法もある。

…一言で名指す言葉に憧れる場合と、
それでは飽き足らず、心の深奥に
少しの哀感と苛立ちを感じる場合がある。

現実には可能かわからないけれど、
一言で名指す種類の言葉で組み立てていく物語が
あったとしたら、
それは私たちの世界を再現するだろうか。
鉄骨が露な建築物のような、どこまでも無機質な、
そしてどこかシュールな世界になるのかもしれなくて。

そして一方で、言い表したい対象の、
もっと柔らかな空気までをも掬い取れるような、
言葉の城のような世界もあると思っている。

鳥の羽は、そのものであろうか。と思ってみる。
そのものを名指すことができそうな言葉は、
天使の羽、鳥の羽 、昆虫の羽、陽炎の翅、…。
と追っていってみる。
…蝶の羽となって、少し立ち止まる。
1匹の美しいいのちの佇まいが、羽という言葉の
外側にはみ出てくるような感覚を覚える。
…言葉としてのほんの印象であるけれど。

そんな感慨をここのところ持っている。
1つの真実の側面として、
…1つの言葉は全てを表せない。
海に糸を垂らし、引き上げる魚、それが言葉。

海にはたくさんの生き物がいるし、
まして1匹の魚で海すべてを語りつくせない。
しかし、海で生まれた魚は、海その物でもあるのだ、
1匹の魚が、海をすべて持っていると言って
過言ではないという仮設が成り立ってもいい。

魚は海である、と。それが詩であり。
詩の言葉は、魚を海にもすれば、空にもできる。
魚は宇宙であるという紛れない真理に、
超特急で到達するのだ。
仏教的な境地みたいになるけれど。
詩の言葉も仏教的真理も宇宙も、
到達点が似ているように思えてくる所以が、
この辺にありそうな。…


ありがとうございます。応援してネ♪
にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へ
にほんブログ村

キース・ジャレットを聴いている…。

2016-01-11 | トークタイム

キース・ジャレットを聴いている…。

キース・ジャレットの
「The Melody At Night, With You」は、
優しい愛に満ち溢れたアルバムだ。
…キースは、難病を克服し復活を遂げたが、
その闘病をずっと支えた夫人Porgyのために
書かれ、自宅で録音されたアルバムだそう
です。どこまでも優しくて、美しくて。

キースのアルバムを繰り返し聴きながら、
こんなにも、優しいものが作りだせたら
いいなと思う。

キースを襲った失望や苦しみや悲しみや…。
それを越えることができたから生まれて
きた音楽であるのだ。
どんな時も陽が差してくるような、
必ず朝が巡ってくるような 、
花がほころぶような、
人が奇跡を生きるような。

悲しみや憎悪や諦めや混乱や…
人間を覆う苦しみの数々が消え去るようね…。
虹がかかるように、心にひとときでも、
そんな優しい風が吹いていく時間というのは
作り出せるものだと思う。

一瞬かもしれない、
でもこんな優しい音楽を聴いていると、
聴いている数十分、そして数時間は、
心は優しさや勇気や感謝に満ち溢れる。
音楽や絵や、芸術…、
人が作り出すものの力って凄いと思う。


ありがとうございます。応援してネ♪
にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へ
にほんブログ村

ことはじめ …め、ぬの調べ…

2016-01-07 | ひとひらのPoetry
ねむるめのねのねむりは
らせんのねむり、
たゆたふまだこぬみなもにうつる
いちりんのすいれんの
めざめにつらなるめのねのねむり…。

眠る眼の根の眠りは
螺旋の眠り。
たゆたふまだ来ぬ、水面に映る
1輪の睡蓮の
目醒めに連なる眼の根の眠り。


(*To Dear. y・w)

ありがとうございます。応援してネ♪
にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へ
にほんブログ村

「ジョン・レノンNewYork」のこと

2016-01-07 | 気になる人、ことば
…お正月2日の深夜にTVでやっていた
「ジョン・レノンNewYork」は、
とても素晴らしかった。
…調べてみたら、DVDも出ているようでしたが…。
・・・
「ジョン・レノン、ニューヨークDVD」
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%8E%E3%83%B3-%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AF-DVD/dp/B005FI5UZW

ジョン・レノンとオノ・ヨーコが、
NYへ移り住んでから、ジョンが亡くなるまでの
ドキュメンタリーだった。
ジョンがNYで平和活動に入っていった様子や
音楽シーン、曲が生まれていく場面など、
とても興味深かった。

「失われた週末」と言われるジョンの
ロサンゼルス時代。ジョンはヨーコと離れ
ロサンゼルスに住むことになる。
…でも、いかにジョンにとってヨーコが必要で
あったかがとても理解できた。
ジョンとヨーコはお互いがなくてはならない存在
だったのだと改めて思った。

1974年、ジョンはヨーコと再びNYで暮らすように
なる。そして翌年子供ができるとジョンは音楽活動
を休止し主夫に専念する。
…ショーンを育てた5年間が、ジョンにとって
どんなに満ち足りた豊かな時間であったかと思えた。

その後、「ダブルファンタジー」を発表し
音楽活動を再開した矢先、ジョンは殺されてしまった。
1980年12月8日。あれから35年経った今でも、
まだ尚本当に悲しく残念なことだったと思う。

ドキュメンタリーを見ていて、
ジョン・レノンは天才だったと思った。
素晴らしい曲がジョン・レノンを通して降りてくる、
そんな感じを受けた。

たくさんの誤解や中傷を受けなければならなかった
ヨーコ。ジョンを理解し支えたヨーコは、
素晴らしい女性だと思った。
ジョンもヨーコも、ますます好きになった番組だった。

「ジョン・レノン、ニューヨーク」
http://www.johnlennon-ny.jp/


ありがとうございます。応援してネ♪
にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へ
にほんブログ村

Image(イマージュ)は…

2016-01-07 | 詩を歩く
Image(イマージュ)は、架空の世界と
現実の知覚を繋ぐものであるなあと思う。
…最初は架空の世界のものであるが、
現実の知覚へ直截的に呼びかけてくるもので
あると思う。

…Artや文学的な意味合いであるけれど、
現実にはありえない幻想的なものにも、
現実以上の真実を感じられる時がある。
心が感じとれるもの、それは心にとっては
実体であるのだと思う。

心が動くというのは、不思議な感覚である。
考えてみれば、現実に見て触れて感じるもの、
3次元的な知覚も、その時が過ぎれば残像であり。
…心が捉えるものは、現実の世界と
想像の世界の両者があり、
心の知覚の深度が大事になるのだと思う。

心はイマージュも現実の実体も、
常に別の言葉に翻訳して知覚し直すのだと思う。
1つの核として取り込み 、宇宙的な膨らみを
作っているようでもある。

物事を深く理解し感動できる心。
深度を持ち、現実を超えていく感覚というべきか、
この超現実はリアルな感性に息づくものと思うが、
その(詩的)真実は、心が感じ取る世界にこそ
実体としてあるのだ、と思ったりする。



ありがとうございます。応援してネ♪
にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へ
にほんブログ村

面白いことが好き、…

2016-01-07 | トークタイム
面白いことが好き、というと多少誤解を
招く時があるが…。
もちろんお笑いは好きだけれど、
そういうものばかりでなくて、
"可笑しみ"というものである。
アイロニーでもペーソスでもなくて…。

緊迫した空気が漂う時でも、
ひらりと発動してしまうような、
思わず相手の笑顔を誘うような可笑しさが
好きだ。サービス精神というか、
生きることへの愛のようなものだろうかね…。

だから、可笑しみというのは、どんな時も
平和的な気分を作ってくれる大事なもの…、
そんな角度が好きだ。…
たぶん、それがなければ大変苦しいし、
可笑しみを至るところに見つけられれば、
元気になれる。思わず力が出てくるのだ…。



ありがとうございます。応援してネ♪
にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へ
にほんブログ村

マルセル・デュシャンのはなしをしてくれた人、から

2016-01-07 | 詩を歩く
時々、以前に書いた自分の詩のフレーズを
思い出すことがある。
書いたばかりのものより、時間が経って
詩が違う人格をもって生きているw作品に、
そんなことはあるように思う。

今日は、"わからないから  すきなんだ"…
という始まりの
「マルセル・デュシャンのはなしをしてくれた人」
という詩を思い出していた。
懐かしすぎるのだけれど、言葉は生き物のように
時間を越えてやって来る。

人は、人を好きになるように生まれてきたのだと
思う。なぜ好きなのかとか、後付けの理由など
当てにならなくて、本当の理由などわからない、
というのが正解かもしれないね。

人に限らず、生きて出会えるもの全てに、
本当はなんて奇跡に満ちているのだろう、って
思えたらいいと思う。
世界が慈しみに充ちて、
優しくなれる方法だと思うよ…。

わからないから すきなんだ
といった人のことを
私も わからないから すきになった
すきという感情は
絹の糸よりも やわらかくて 強い
空中に 生みだされる 糸
糸をたどる
つぎつぎに 糸は 光の七原色を
はらみ 変化する
マルセル・デュシャンのなぞのように
あの人の 心へ はなしかける

     詩集「月がまるみをおびる地点まで」より

(「マルセル・デュシャンのはなしをしてくれた人」)
 http://blog.goo.ne.jp/mamika4183/e/e0fb1d9dd415c5cc9e9b3b07b49f343a


ありがとうございます。応援してネ♪
にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へ
にほんブログ村

新年、あけましておめでとうございます

2016-01-01 | トークタイム
謹賀新年

新しい年が明けました。
いつもご高覧頂きまして、
誠にありがとうございます。
皆様にお訪ね頂くことがとても嬉しく、
励みになっております。

今年もいろいろなものを書いていきたいと
思っております。
いつでもお気軽にお立ち寄り頂けますよう、
本年も、どうぞ宜しくお願い致します。

皆様のご多幸を、心よりお祈り申し上げます。
そして、平和で創造的な年でありますようにと
願っております。


ありがとうございます。応援してネ♪
にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へ
にほんブログ村