詩の現場

小林万利子/Arim 「詩のブログ」 詩をいつも目の前に
小林万利子/Arimの詩とエッセイと音楽Arim songs

美しい一行の流れを

2014-06-28 | フリー Poem
とぐろ巻くヘビをまえに
牙むく動物をまえに
子供を守るために
自分の体を投げ出す
母とは そういうもの
本当は
女も男も
大切ないのちを愛して
そんな覚悟をもって生きている
誰もが
(そうやって)
守られて育った子供

忘れないで
大人になった全ての人よ
人は 誰かを大切にする時間を
生き続けるのだと

気がつくことができたら
いのちを得たお礼に
美しい詩の一行を
そこに置いて行きなさい
誰もが触れることのできる
美しい一行の流れを
大きな河の流れのなかに
ひとしずくの輝きをふやして
立ち去っていく
次の人へ また次の人へ
この美しいペイズリーは
胎児のように 宇宙の時間に
つながっていく



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光のすみか

2014-06-27 | ショートPoem
人の心のなかには
光が住む
一筋の希望が
往ったり来たりする
光のすみかだ

2つの水晶球を通して
心に届くものは
透明なかたち
色もなく匂いもない世界から
ふたたび
彩色を浴びて
羽ばたかせるために

発酵する
光の時間は
そして
思考の矢を射るだろう
世界の時間を
はじまりの輝きへと
ろ過するために


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未来を手渡したい

2014-06-26 | interest
戦後文学、戦後詩というジャンルのことが、
近年いつのまにか話題に上らなくなり、
戦争、戦後という時間自体が
社会の中で風化していった。
それは、大変幸せな時間の進行であったとも
いえるし、危険なことでもあったのだと思う。

私の大学時代の頃には「詩とは何か」よりも、
「戦後詩とは何か?」等が活発に議論されていた。
詩は「現代詩」と名付けられ、この言葉には
様々な角度から問題提議される実体があり、
現代詩を書く尖鋭な詩人たちがたくさんいた。

戦後活躍した詩人たち、「荒地」「列島」
「歴程」等…そして第二次戦後派「櫂」などへ
連なる詩人たち。
鮎川信夫、田村隆一、中桐雅夫、黒田三郎…
関根弘、長谷川龍生、黒田喜夫…
吉野弘、茨木のり子…
戦後の感受性を担った鋭敏な詩人たちは、
そしてほとんどが鬼籍に入り、いなくなった。

戦争時代を経験していない私の中では、
早い時期からもはや「現代詩」という言葉に
自分の詩が違和感を持ち始め、「詩」でいいでは
ないかと思いだしていた。
いつしか、残された私達の中で、
戦争は遠い時代のものになった。それも仕方ない。
1945年。終戦の年に生まれた方が70才になっている。
どんどん生れてくる若い世代と戦後文学が共通語を
持たなくなっていったことは事実だ。

かろうじて、社会の中では原爆が投下された夏に
戦争体験が語られ続け、小中学生の義務教育の
夏休みの課題図書には、戦争を主題にした書籍が
選定され続けた。

子供たちは、毎年繰り返し原爆投下された時の
戦争体験の本を読み、感想文を書いた。
戦争の悲惨さを知り、命の尊さ、平和の大切さ
を感じた。「戦争なんて二度とないように」と。

子供たちは、そして戦後に生まれ育った私たちも
日本は二度と戦争をしない国だと信じてきた。
このような主張ができる唯一の国であることを
誇りに思ってきた。
経済成長は停滞したり、外国に抜かれていくことは
あっても、平和を貫く国として、平和を世界に発信して
いける国は他にないと思えた。

日本には平和を実現するために、継続してきた努力がある。
真摯に戦後を生き、平和憲法に守られてきた時代がある。
それを何故、今急激に国民の声を無視し、国の根幹を
変更しようとするのか。多くの人は納得できない。
そして子供たちに命の尊さ、平和の尊さを教えないわけ
にはいかない。地元の学校の先生たちは、授業や
生活場面で、子供たちに命の尊さを教え続けている。

戦争など知らないで育った子供たちが、戦場に立ち
殺しあいに参加し、戦争のプロたちに銃撃されなくても
すむように。子供たちに平和な未来を手渡したいと、
こんなに思う日々はない。



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風にさそわれて

2014-06-24 | 詩を歩く
なぜ、こんなに植物に惹かれるのだろう。
雲や風のことを知りたいのだろう。
鳥を探すのだろう。

いまはいない彼らの声を
もう一度聞いてみたいと思っているから。

彼らが、もう一度遊びたいと
そばに来てくれていると思う時があるから。

人は、大切ないのちとの別れを
いくつも経験しなければならない。

愛犬や愛猫たちとのさよならも。
いなくなってどんなに年月が経っても
淋しさは消えない。
一緒にいた時間は永遠に
すぐそこに、光の中に置いてあって。

彼らの深いまなざしは
時々、記憶の中からあふれだし
私たちを包む大きな光の中に
風となっておとずれる。

だから、いつも光さす場所の
草花の茂みに腰をおろしながら
やさしい風がまたやってくるのを待っている。
雲が風に流れていく様子を
しずかに見守り続けたりする。




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星のない夜のむこうに

2014-06-19 | フリー Poem
私たちは歩きまわり
暗い夜ふけに影をおとす

地上におとす影は
私たちの歩みとともに
どこまでも暗く
夜の中から起き上がる

散歩にでたまま
今夜は犬を連れて
このまま どこまでも
行ってみようと思った

私たちの
星のない夜のむこうに
暗い高みが底知れず拡がっているように

どこかで寸断される道が
山中のけもの道につながっているように
この閉塞感から抜け出るための道は
つづいているだろう

犬の耳元には 昨日までのように 
虫や鳥がささやきにくる
陽が昇ったことを知りながら
私たちの道は なおも細くなり
どこまでもつづいていくと思えるだけ
そして唯一の希望の確実性を持って 
朝から夜につながる一日が
足元を照らしてくれると思えるだけ 今は




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はじめるために

2014-06-17 | フリー Poem
空のなかには鳥の声がかくれている
その木のむこう側に
耳をそばだててごらん
どこまでも遠くへつづく青空から
低く垂れこめる雲間からも
鳥の声がきこえている
鳥の声は空を覆い尽くしている

空の色には
たくさんの時間がかくれている
伝えきれなかった想いも
涙が止まらない理由も
言葉にならない言葉を知っている
空は地上を見渡しながら
波頭が防波堤にぶつかる水の爆音を
虫の静かな寝息さえ映しとって

空に一番近い森の木の梢から
夜の沈黙は拡がりだす
歩きまわる誰かの最後の足音まで
のみこみながら
人々を寝静まらせていく

鳥は暗闇から無言で飛び立ち
目の前の水辺に降り立つ
鳥が飛ぶのは
空からの伝言があるからだ

空のなかには鳥の声があふれ
昨夜の風の記憶のなかにも
霧のなかにも
青空がかがやきだす朝をつれて
飛んでくる
新しい一日を
はじめるために




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ホタルブクロ

2014-06-15 | Photo-ry (写真)


ホタルブクロ 
 ーbellflower(鐘の花)ー

ホタルの飛び交う時期に
咲く花。
釣り鐘型の花をつける。

赤紫色や白色などをよく見かける。

ホタルが
花の袋に入って光る美しい姿を
愛でた昔人。
そんな日本人の美意識が
名前に残されているのだろうか。

または提灯「火垂」の形に似ている
ことから名づけられたとも。



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The war is death, sorrow, destruction.  

2014-06-14 | 詩を歩く
The war is death, sorrow, destruction.  
We want to live in peace. 
Effort to peace!

ジョン・レノンと共にオノ・ヨーコさんは、
私たちにとってSuperstarだ。
そして常に平和を呼びかけてきたGreat artist。

彼女がMusicやArtを通じて“Peace!“を叫ぶ時、
戦争を知らずに育った私たちの世代は、
この国は二度と戦争をしない国、
平和であることが当たり前だと思いこんで生きてこられた。

平和の中に暮らしてきた私たちは、
彼女の平和への希求と努力を、
本当には身近に実感できなかったともいえる。
でも今はPeace!でありつづけることが、
いかに大事なことかを痛感する。
Peaceでありつづけることを、心底願うことが必要な時代だと。

“We should make every effort to maintain world peace.“
 私達は世界平和を保つためにあらゆる努力をすべきだ


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「人間は考える葦である」というパスカルの言葉が

2014-06-04 | 詩を歩く


雑草の佇まいに惹かれていたら、
「人間は考える葦である」というパスカルの言葉が、
心に甦ってきた。

子供の頃に、授業でよく耳にした言葉。
どういうことをいっているのか、
採点で○をもらう以外のところ、
本当の回答への道のりは、自分の中に
長い年月、宿題となって残っているように思う。

「人間は考える葦だ」‥
人間は考える役割を許されている生き物。
思考し、目の前の壁を越えて未来へ向かう力を
与えられている。

1+1=2は自明の法則。
しかし、1+1=2と諦めない、という想像力も
同時に持っている。
1+1=2の背景に拡がる世界を思考する。
「習慣」に埋没するレンズを磨いて、いつも
何故だろうと出発点に立ってあれこれ考えてみる。

それにしても、時々思うが、
現代人の便利さをあたり前のように享受して
過ごしているのだが、電気が消え、道がなくなり、
通信機能を断たれ、水の供給が止まった時、
私たちは、どう前へ進めるというのか。

自然災害がこのところ頻繁におき、このようなことが
本当になってしまうことがある。
1+1=2になった理由、無限の可能性を秘めている0の
秘密を、思考しておかなければ生きていかれなくなる。
本当の意味で、「人間は考える葦だ」と
一人思考の原野に立ち想像をめぐらし、
人間力を取り戻さなければと思うのだ。



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