詩の現場

小林万利子/Arim 「詩のブログ」 詩をいつも目の前に
小林万利子/Arimの詩とエッセイと音楽Arim songs

手紙というものを書きながら…詩、詞、絵本の言葉ですが

2015-12-27 | トークタイム
時々、手紙というものを書きながら、
いろいろな言葉に行き着くことがあるのです。

手紙というのは、おしゃべりするような会話とは
少し異なり、ある種の一方通行かもしれないけれど、
読んで頂く方に話しかけているのですから、
その方がいて始めて紡がれる言葉だったりするものです。
自分にとって大事な方向付けをするきっかけに
なることもあり。
大切な方への約束を形にするために、
自分に刻みこむ言葉だったりするのです…。
人は言葉によって、勇気づけられたり、
前へ進めたりします。
もちろん私信部分は、割愛ですが、
手渡した貝殻のかけらを大切に覚えておき、
そこから素敵な時間を始められるようにと
思っています。


詩の言葉は、ほんの一握りに人に伝わります。
宝物を一緒に見つけたような瞬間です。
歌の言葉は、美しいメロディーとともに、
もっと多くの人の言葉となり、
友達がたくさんできるような感覚でしょうか。
そして、絵本のお話の言葉には、
多くの夢がちりばめられています。
海辺で、砂を掘っては、
どんどん素敵な貝殻がでてきたり、
様々な色や形の小石に魅せられ集めだして
しまったり、その場に深く深くとどまって、
いつまでもそこにいたくなるような、
次々に素敵なことが拡がっていくような予感に
満ちている。そんなふうに感じます。
015. December mari

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鳥が、落としていった種

2015-12-27 | フリー Poem
風が吹いた日
鳥が、落としていった種

枯葉にかくれ
そっと土なかに
埋もれていったけれど
土深く眠る種

どこへ芽吹いていいか、
わからなくなって
鳥の囀りが聞こえてくるのを
待っているという

鳥は、落とした種を
探し歩くこともあるのだろうか
種は目を閉じて
一緒に飛んだ空を
鳥が歌ってくれた音色を
夢に見ていた

種は、根を伸ばし
葉をひらき
鳥に合図を送るのだろう
またあなたの歌を
冒険の話の続きを
聞かせてくださいと

太陽と
ときどき降る雨と
遠くから吹いてくる風、
鳥の優しい歌は
土なかの種の孤独を
拭うことができるに
ちがいなかった

冬枯れた道を歩く時
そっと声をかけてみて

眠る種
泣き虫の種
夢見る種
種は耳をそばだてている

そのうち
葉が生い茂り
綺麗な花になり

声をかけてくれた
太陽や雨や
時に嵐や
雪や
隣で眠る蟻や
カブトムシや蝉の子供たちに
種を運んでくれた鳥へ

あれからね、と
感謝を込めて
土なかで見た虹の話や
土なかで感じた空星(そらぼし)の
とぎれとぎれの物語の続きを
話しはじめるのだろうね


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ネコのペコリ 4

2015-12-21 | interest 2
ペコリは、大好きな絵本やさんのお店に
やってきた。
大きな花束と、一輪の大事な大事な花を
店の入り口に置いた。
「病気がよくなるまで、
僕たちが店番(みせば)をしてあげるよ。」
「心配(しぱい)しないで、ゆっくりしてにゃ」

すると、ペコリはおまじないをかけだした。
「ン」抜きのおまじない。
おしまいのないおまじない。
つづく、つづくのお話しやさん。
病気の治るおまじない。
願いがかなうネコのおまじない。
「さあ、元気(げき)になってね。」ペコリより

空に星が輝く時間。
絵本の中のお星さまとの約束。
3つめの流れ星にのって
絵本の世界に、戻っていく。
いつも一緒のペコリ。
絵本のネコは、たいていなんでも知っていて、
困っていると、助けにきてくれる。


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ネコのペコリ 3

2015-12-21 | interest 2
ネコは知っていた。
この病気に効くのはこの草、オオバコ
その病気に効くのはその草、ハコベ
あの病気に効くのはあの実、クコ
そしてご主人の病気に効くのは、
こっちの花だって。

ペコリは、昔聞いたことのある
ネコの国の700才になる長老の家に
行くことにした。
「この花で、間違いはないですか?」
「そうじゃ、そうじゃ、これだ、これだ。」
長老ネコは、ぺたっと、見事な肉球の
ありがたい足判を押してくれた。

ペコリは、大事な大事なこの花を
宝物のようにリュックにしまった。

そして、山を1つ、2つ越えながら、
世界中の色を集めたような
色とりどりの花を、
両手一杯に摘んでは摘んで
大きな大きな花束にした。


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ネコのペコリ 2

2015-12-21 | interest 2
ポトっと、雨が降ってきた。
それが、出かける合図だった。
ペコリには、絵本の世界を
抜け出さなくてはならない
大事な大事なわけがあった。

ペコリの家の大家さんのような、
いえ、ペコリの町の町長さんのような、
いえ、ペコリの国の王様のような、
大好きな絵本やさんのご主人に、
お花を届けにいきたかったから。

「ご主人は病気です。」
一週間前から、絵本やさんの店先には
張り紙がでていた。

絵本の中では、ちょっとした騒ぎに
なっていた。
象も虎もライオンも
ネズミも狸も
小さな女の子も男の子も
蜘蛛もコオロギも
鳩もアヒルも
とにかく、みんなが心配していた。

ペコリは、絵本やさんのご主人が大好きだ。
だから、1日絵本を抜けだして
きれいな花をたくさん摘んで
届けようと思った。


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ネコのペコリ  1

2015-12-21 | interest 2
絵本の中からでてきたネコがいる。
名前は、ペコリ。
ペコリンにしたかったのだけれど、
五十音のおしまいの「ン」がつくと、
なんだか縁起が悪いと、
この飼い主は考えていた。
だから、ペコリ。

謝るときは、ごめ。
返事は、う。
あんこは、あこ。
運だめしは、うだめし。
ごはんは、ごは。
こんばんわは、こばわ。
…飼い主から教わった言葉は、
すべてこの調子。

ンには、悪かったけれど、
ンがなくても、ネコたちは
あまり困らなかった。
「ン」、ごめね。
ペコリは、ペコッと
お辞儀をして、絵本を抜けでた。


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ストリートアートに、心惹かれることが多いのだが…

2015-12-15 | トークタイム
ストリートアートに、心惹かれることが多いのだが…。

深夜、ストリートアートのことを少し考えていた。
…芭蕉や山頭火や北斎や、山下清や…。
本質的に捉えるならば、皆ストリート詩人だったり、
ストリートアートだったのではないかと思った。

絵画や書物や音源の良質な保存を考えるならば、
整ったアトリエやスタジオが必要だけれど。
時を捉える瞬発力や気迫は、ストリートの生きた時間から
生まれたりするね、

ジョン・レノンは偉大だけれど平和活動や、
ギンズバーグらビート詩人の生き方というのも
ストリートの力を感じる。
この場合のストリートアートって、もっと広義な1箇所に
留まらない意味合いになるけれど。

…また、慈悲に輝くあの微笑みの仏の造形を、
芸術と言ってはいけないのかもしれないが…、
祈りの力に充ちた仏を生涯彫り続けた円空や木喰さんの
修行の旅の一生も、言わば究極のストリートに生きた姿と
言っていいようにも思える。

所有という枠を飛び越え、同時代を生きる人々の心に
鳴り響かせるエネルギー。ストリートアートって、
伝播する情熱だと感じるのだ。…


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オートマティスムと言葉のこと…

2015-12-05 | 詩を歩く
このところ変性意識についての記事を
時々目にする。シュールレアリスムの手法に、
自動記述、オートマティスムがあり、
そんなことを思い出していた。
無意識や意識下の世界に届くために、
意識をflow状態にし、書き留めていく。
何かを創造するときは、少なからず、
このflow状態に入ることはあるだろう。

flow状態は、確かに自分が制約しない意識下に
おりて、世界が拡がりを見せる。
自由で心地よい時間の住人でいられる。
言葉の場合、しかしその感覚を明晰な言葉で
掴んでいかなければ、つまらないと思う。

言葉は 、一方で理性が司る。
感情語をいかに排除していけるか、
そこにflow状態に入り、オートマティスムを
取り入れた場合の面白み、深まり、共感が
生まれるのだと思う。
詩の言葉は、常に研ぎ澄まされたいものだと願う。

仮想というものも、仮想としてのリアリティが
大事だと思う。
まず自分が信じ込み入っていく仮想の時空、
そこには手に当たる壁や手すりのような物象、
足の裏が感じる床や階段がいるのだと思う。



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はじめて歩いた道だった。雨上がりの石畳を…

2015-12-05 | ショートPoem
はじめて通る道だった。
雨上がりに光る石畳だった 。
歩いた時間は輝きに充ち
あまりにも美しく。
帰り際、もう一度振り向き、
景色を目と心の奥に焼き付けて
深く一礼した。
楽しい道だった。ありがとう。
美しさの記憶は、時間への礼儀だと思う。
心を彩る時の移ろいを、
美しいままにしておきたくて
このままで…本を閉じるように、
日常へ戻ろうか。



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エミール・メルモスへのオマージュ

2015-12-05 | フリー Poem
可愛い子供にkissをする
可愛い動物にkissをする
可愛い花にkissをする
そして  ひととおり
今日も  Kissの儀式が
終わるが

ふと  暗闇のほうから吹いてくる
風に、
貴方がたの中に隠れている
死という時間にも
そっと
口づけしたい

すると
闇のあちらこちらから
閉ざされていた時間の
口許がひらきかける

過ぎ去っていった時間が
負っている傷は
たまに
誰かがこうして
訪ねてくる晩に
深紅の薔薇を
一輪づつ咲かせるのだという

暗闇の足元に
どこに開きだしたか
わかるほど
薔薇は匂いだし
私達の底知れぬ傷は
花びらで覆われていく

夜の深まり
闇のさらに奥で響く
死と生を繋ぐkiss
花を呼び
傷口が塞がれていく
一つの真実

花を呼ぶ
花を呼ぶkiss


※この詩は、エミール・メルモスの作品からインスピレーションを頂き、生まれました。

…死者にkissというのは、究極のエロティシズムかもしれないけれど、生命というのは生と死が必ず内包しあっていて、
肉体はその境界線であるのだと思うのです。
その境界を破るのがkissだったりするのかなと、そんなイメージで書いてみました。
…深い闇へ、そこは死と繋がり、ここと繋がる。死者の魂が永遠の中では生きていて、手を再びとることもできる…。



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"サクマのドロップス"のこと

2015-12-05 | トークタイム
"サクマのドロップス"をご存じだろうか。
今風ののど飴とは、少しニュアンスが違うように感じるが、この飴は、昔のまま、缶に入って売っている。

見た目もさることながら、込み上げてくる懐かしさは、
パインとかハッカとかイチゴとかの味にあるのだろうか。
昔で言えばハイカラな味。昨今の人気飴競争の雰囲気とは
少し違っているかもしれない。
だから、どこかいつまでもキラキラしていて、美しい飴
なのだと思う。

ドロップス、という名前も好きである。
作家野坂昭如さん原作のあまりにも有名な「火垂るの墓」
の中で、このドロップスが出てくるが。
空っぽになった缶を逆さまにして、何回も何回も振って…
綺麗でとても切ない場面は、ずっと記憶に残っている。
サクマのドロップスって、人のドラマを作るものでも
あるなと思う。凄いなと思う。

ところで、1つ取り出して口に入れるとしたら、
何味を選びたくなるだろうか。
メロンやスモモもあった…。他にも、まだある。…

そして…雨の味、雪の味、虹の味、海の味、風の味、
月の味、星の味、こういう味もあったらいいが、
そんな時、味ってどうやって決めていくのだろうと思う。
…お日様の味、白い雲、青い空とか。

ドロップスって、夢がたくさん詰まっているのだなと
感じる。イチゴ味を選んだら、口に入れるまでドキドキ
するもの、…どんな味だろう、って。

特にこのドキドキ感というものが、サクマのドロップス
にはあるように思う。作り手、開発者の味への夢や
想像力が語りかけてくるような…。
今は工場生産でロマンは少ないかもしれないけれど、
でも、まだ何となくこのドロップスには
夢をもらえるかな、と思っている。

さあ、何味を選ぶ?
ワイン味とか、音符の味とか、考えたりしたくなる…。
とりとめのないドロップスの、楽しい話。


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人生って色(Color )だと思う時がある

2015-12-05 | トークタイム
唐突だが、人生って色(Color )だと思う時がある。
黄色や緑の次は、紅色とかブルーや紫色や。
人生の色に解釈はしない、虹の色を渡るように。

自分の時間にも確かに色はあったと思う。
そしてどんどん歩きながら、また別の色を得ていく
のだと思う。そういうものなのだと思う。

色の帯を渡っていくイメージ。
自分が道を歩いていて、触れていくものでさらに
生まれる色。
こんなふうに思うと、まだ残された時間が
この上なく美しくて大事にしなくてはと思えてくる。


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