詩の現場

小林万利子/Arim 「詩のブログ」 詩をいつも目の前に
小林万利子/Arimの詩とエッセイと音楽Arim songs

悲しみの終わらない世界に立つ木の話。

2015-05-22 | interest
悲しみの終わらない世界に
とうとう大きな木は
一本となりました。

ここをねぐらにしている鳥たちが
おりました。
月の明るい晩になると
3羽4羽
5羽6羽と
帰ってくるのでした。
空に続く点線のような長い列は
いつまでも途切れずに
空の裏側までとどいているのでした。

色を失くした葉陰には
葉をめくってみますと
1枚に1羽というように
そっと小さな体が
うずくまっているのでした。
時々、ホーっとひと声鳴いては
目を光らせて眠るのです。

月夜の晩は、夜じゅう
ホーっという声音が
かわりばんこにひびきあい
点滅する赤い光が
残された大きな1本の木に
ひかりつづけているのです。



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愛の言葉を

2015-05-21 | ショートPoem
言葉が現実を掴むことが
できなくなったら
立ち止まれ

言葉が
未来を志向できなくなったら
立ち止まらせなさい

力強く沈黙せよと
言葉たちは 戸口にせめぎあい
出口を封鎖する

暗闇のなかで
秘密の言葉が生まれ
ひかりだそうとするとき
口元から
言葉は 深く深く
包み込まれ
心の奥底に
降りていく

眠りについてのち
いつかいつか
過去という
長い裾を持つ衣装を
持ち出して
言葉は 扉をあけて
出かけていくだろう
閉ざされていた
何千という日の朝陽が
なだれ込んできて
語られるだろう

今日なのか 明日なのか
未来永劫の何処かで


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円空仏と木喰仏

2015-05-21 | 気になる人、ことば
先日山梨県立博物館にて、
「円空・木喰展」を観た。
250体余の仏像が展示されていた。
円空仏と木喰仏。
何度も見てはもう一度、
会場を3巡してしまった。
ずっとそこにいたかった。
なぜここまで仏を彫るのか、
という問いが、胸奥に迫ってきた。

円空は、生涯に12万体の神仏を彫ると
いう誓願を立て、そのうちの5400体が
確認されているという。
また木喰は、61才から像を彫り始め、
80才で1000体、90才で2000体の造像を
誓願され、720体が現存しているという。

円空も木喰も、廻国しながら
像を彫り続けた。
昔も今も、生きるとは厳しい。
二人が歩かれた日々も、当然、
決して楽な道ではなかっただろう。
なのになぜ、これほどまでに
笑みを湛えた仏の像を彫り続けたのだろう。

"木端仏"といわれる仏像…。
捨て去られそうな小さな木片にまで、
柔和な仏を見いだし彫り続ける心は
どこから来るのか。

円空仏の優しい微笑み。木喰仏の慈しみに
惹かれ続ける。
貧困や、争いや絶望や…
生きなければならないどんな境遇にあっても、
人間には笑顔を作る力が秘められている、
と教えられているようだ。
いのちのなかには、こんなにも柔らかな
美しい心地よい形が宿されていると。
繰返し、思い出させてもらい。
生き抜くために。
微笑みの先に、また続けられる一歩がある。
笑顔は絶望のなかの光である、と思った。

笑顔は移る。笑顔を追う心の形は学ばれる。
微笑みの像を彫り続けた円空と木喰。
仏のお顔に宿る微笑みこそ、
衆生を救うものであると信じていたのだろう。
二人の作仏聖の心の形、祈りの形に
思わず涙が出てきてしまった。
人の心の形というのは凄いものである、
と思ったのだった。


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Flow -ひかりのみえなくなって…

2015-05-16 | フリー Poem
ひかりのみえなくなって
しまう世界がきたら
わたしたちは
立っていることも
できないのだろうか

生まれでた日が
すでに闇のなかで
あったとしても
産声をあげないわけには
いかなかっただろう

月のない晩に
風にゆれうごく
木々の葉擦れの
音だけをたよりに
けものたちのあとを
ついていった
ひかりの世界からの
追手を逃れるように
わたしたちは
ついていった

恐れるものは
闇のなかに溶けだす
海のような空のような
形を形成しない暗闇のなかへ
道はつながり

雨がふりだす
消え入りそうな境界に
自分の肩を
浮かび上がらせてくれる雨
救いの仏は
ひかりのただ中に
現れるものではないと
急激に信じられるようになり
闇を凝視する
闇をもっと知るために
目をさらにかたくつぶり
闇を見つづける

希望とか不安とか
絶望とか夢とかが入り混じり
ほどけて溶け合い
1つだけの感情を抽出することが
不可能になる場所へ
辿り着き
終わるかと思えば終わりはしない
無声の音のみが
たしかに深く
たゆたっていて

もとよりわたしたちは
外からきたもの
内からきたもの
橋のむこうからやってきて
今は見えない世界を
本当は よく知っていて
少しのあいだ
ひかりの世界を歩いたものだから
忘れかけてしまっているだけ

ふたたび 
暗闇に包まれればいい
輝きをはらむ始まりの場所
そこにいつだって戻ればいい
母のお腹に戻り
宇宙の暗がりに
戻り
手をのばす
のばしていく

誰かの手に触れる時も
あるだろう
深閑とした暗がりのなか
闇のなかに生きつづけるもの
につながり
次の時間をひらくための
通り道となって



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夢のつづき

2015-05-07 | ショートPoem
きっと
夕涼みをするために
ここへきたのだった

夢を置き忘れてきたという
人の横にすわり
夢の話をはじめたかった

キリンも夢を見るって
知ってる?
蛇も さっきまで
夢を見ていたんだよ

そろそろと
陽が沈んでいくのは
皆が夢のつづきを
見るためさ

そして
陽が昇るころには
私もあなたも
夢を食べかけて
歩きはじめてる

1日の終わりに
夕涼みをするために
ここにきたのだった
昨日のつづきを話したくて
今日のつづきを聞きたくて
また明日



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届くか届かぬもの

2015-05-05 | トークタイム
人の世の淋しさを、
もののあわれにかえるなり…。
人は皆、届くか届かぬかわからない、
遠いものを想うものだなと思う。

人は、この世に生まれるときに、
離れてきたもの、失われたものが
あるのだなと思う。
どこかに置いてきたはずだから、
その記憶は微かに残っていて、
だから、遥かなものに、
届かぬ幻影に思いを馳せるのかなと。

人の世は淋しい。
生きることは淋しい。
誰もその人に代わって生きることは
できないのだけど。
…星の下に立ち、そんな一人二人が、
一緒に生きているのだとわかり、
ささやかな話などできることが、
なぐさめになるのかもしれないね。
文学や芸術に焦がれる理由も
そこにあるのかな…。
そして音楽はストレートだね。



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時は光の住みか

2015-05-05 | 詩を歩く
時間について考える…。
時の流れというものは、
川の流れのようでもあるが、
だが、水とは違う。
高いところから
低いところへ流れる一回性の
ものではないし、一方向でもない。
時は心の中にも流れるものである。

時は記憶であり、
時はすべてを未来へ向かわせる。
逆流もする、
日常の法則を飛び越えることもできる。
時は何度でも訪れる。
希望を紡いでいく流れ。

時は、いのちの夢に向かいながら、
心に注がれていく光。時は光。
どんな傷口にも届き、
そこから僅かな希望の種が
深く深く根をおろしていくのを見守る。

時は光…。時間に抱かれているという
ことは、光に包まれているということ。
時は光の住みかである…。



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