フィクションて大事だと思う。
文学とか芸術が必要。
現実とフィクションを客観視して
知ることが大事だと思う。
現実の中では真実というものは捉えがたい。
時としてフィクションの中に
真実は描かれるものだとも思う。
フィクションを享受して精神的な弾力を
培わないと、生きる日々が些末な意味に
がんじがらめになり息苦しくなる。
直情的に攻撃的になったり、
悲観的になったり1つ1つに
過敏になりすぎてしまう。
良いものに囲まれていても猜疑心に満ちたり、
現実に狂気が入り込んでしまったり。
もっと可笑しくて、情けなくて、
でも頑張ってしまったり、弱かったり
急に立ち直れたり、立ち直れなかったり。
緩やかな時間が無理であるなら
深度を持った時間の中で、
あぁ~、なんて暖かい目で理解して
許しあったり助けあったり。
人間てそういう振り幅の中で成長していると思う。
それは社会が成熟していくことでもあり。
登りは良いのだけれど、
談笑したり励まし合ったり、先に行く人を
仰ぎ見たり、人の息づかいも聞こえてね。
でも、坂道は登ると下らなければいけなくて。
…坂道を走って下って行ってはダメと、
小さな子供に声かけるんだけど、
そんな感じがする。
自分もみんな余裕がなくて。
ありがとうございます。応援してネ♪
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知ることが大事だと思う。
現実の中では真実というものは捉えがたい。
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がんじがらめになり息苦しくなる。
直情的に攻撃的になったり、
悲観的になったり1つ1つに
過敏になりすぎてしまう。
良いものに囲まれていても猜疑心に満ちたり、
現実に狂気が入り込んでしまったり。
もっと可笑しくて、情けなくて、
でも頑張ってしまったり、弱かったり
急に立ち直れたり、立ち直れなかったり。
緩やかな時間が無理であるなら
深度を持った時間の中で、
あぁ~、なんて暖かい目で理解して
許しあったり助けあったり。
人間てそういう振り幅の中で成長していると思う。
それは社会が成熟していくことでもあり。
登りは良いのだけれど、
談笑したり励まし合ったり、先に行く人を
仰ぎ見たり、人の息づかいも聞こえてね。
でも、坂道は登ると下らなければいけなくて。
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