学校教育を考える

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教員の資質能力への疑問

2010-06-09 | 教育
 「教員の資質能力」という言葉に前からどうも引っかかるものを感じていた。

 例えば,1997年の教育職員養成審議会・第1次答申「新たな時代に向けた教員養成の改善方策について」で「教員の資質能力」を定義した次の文が私には理解できないのである。

  教員の資質能力とは、一般に、「専門的職業である『教職』に対する愛着、
  誇り、一体感に支えられた知識、技能等の総体」といった意味内容を有する
  もので、「素質」とは区別され後天的に形成可能なものと解される。

 その理由のひとつは,この文は,「資質」や「能力」という言葉のもともとの意味を無視して書かれているように思えることにある。広辞苑によれば,「資質」とは,「うまれつきの性質や才能。資性。天性。」であり,「能力」は,「物事をなし得る力,働き。」である。なぜ,もともと先天的な性質や才能を意味する語である「資質」という語を用いて,ほぼ同義語である「素質」と区別し,さらに「後天的に形成可能」などという原義とは正反対の意味づけを与えているのであろうか。

 さらに,この文では,修飾語を取り除くと「教員の資質能力」とは,「知識・技能等の総体」という意味だということになる。この文構造がわからない。もっと省略すると,「資質能力とは知識・技能等の総体である」となってしまうのである。資質能力と知識・技能ではもともと意味するところが全く違うのに,それがイコールで結ばれているのである。

 このような文で定義される「教員の資質能力」とは,一体何なのであろうか?
私のような素人の言語感覚では到底理解不能である。どう考えても,この定義文はアクロバティックすぎる。私には,まるで,「りんごとは,一般にぶどう・ももの総体といった意味内容を有するもので,ひめりんごとは区別され,じゃがいものようなものと解される」とでも言っているかのように聞こえてしまうのである。

 かくして,根本のところでこのように定義される「教員の資質能力」というものは,どのようなものなのか,その実体がつかみきれないのである。摩訶不思議である。