学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

公立義務教育学校の不平等

2010-10-26 | 教育
最近とくに目につくようになったことだが,
公立の小学校や中学校で,
自治体によっては,
すばらしく立派な施設をもつ校舎が建てられる場合がある。
単に校舎が古い,新しいというのではなく,
古い校舎の学校との差がありすぎるのである。

どの学校に通うかが,学区制によって原則的に定められ,
学校選択制を導入していたとしても,
すべての希望がかなうわけでもない公立学校のシステムの中で,
この学校施設の差というのは,
本当は大問題なのではないか。

すべての校舎,施設を平等に保つ努力をするか,
もしくは,
老朽化した校舎に通わざるを得ない地域と,
すばらしい校舎に通う地域とで,
税負担に差があってしかるべきではないか,とさえ思うのである。

学校教育に成功なし

2010-10-02 | 教育
学校教育に成功はない。

たまたまうまくいったということがあっても,
いつもうまくいくわけではない。

ある子どもに対してうまくいったとしても,
他の子どもに対してうまくいくわけではない。

また,
うまくいってとしても,
それは,教育が成功したとか成果をあげたとか
いうべきものではなく。
子ども自身が学習に成功したとか成果をあげたとか
いうべきものである。

教師の側に「成功」の栄誉が帰せられるべきではない。

このように考えると,
教師は,
自らの仕事から
「成功」体験を感じることの許されていない職業なのである。

その意味では,教師は「聖職」であるべきである。
すなわち,
教師は見返りを求めず,
常に子供の成長をただ祈り,
祈り続ける人であるべきである。