学校教育を考える

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論理国語?

2019-09-21 | 教育

「論理国語」という科目ができるそうだ。学習指導要領もここまで馬鹿げたものになってきたかと感慨深いものがある。

そもそもネーミングセンスが奇抜である。「論理」と「国語」をそのままくっつけるという国語センスに呆れ返る。

まあ、「生きる力」あたりからネーミングセンスは崩壊しているのであるから仕方がないとも言えるが、末期的である。

一つだけ言えることは、漱石の作品を味読できる力のある人間が、取扱説明書とかマニュアルとか契約文書とかを読みこなせないなどということは想定できないということである。

国語の場合、文学作品を通してでも日本語の論理は十分身につくはずであることは、しっかりと国語を勉強したことのある人間ならば当然、分かることである。文学は情緒だけと考えている人がいるのだとしたら、義務教育からやり直したほうがよい。

そもそも、歴史的に見て、文学的な文章と論理的な文章は分けられるものではない。言葉で表現されたものすべてを扱うのが、西洋のlitteratureあるいはlettersであり、日本でいう文学である。言語で表現されたものは総体としてある洗練された表現を駆使した論理であり、論理をレトリカルに表現したものでもある。

教育行政に影響力をお持ちの方に、古今の文学を味読する時間的余裕を与えてあげてほしいものである。