少し前から「辞書引き学習」というのがクローズアップされ,小学校などに取り入れられているようだ。小学校低学年から辞書を引かせ,見つけた言葉の箇所に付箋をはっていくというものだ。膨大な数の付箋を貼った,すでに辞書の形が損なわれている辞書をご覧になった方もおられるであろう。
私はこのやり方がどうも腑に落ちない。書物に対する姿勢ということに対する理解が根本的に間違っていると考えるからだ。
書物に対しては,一方で,大切に扱い,決して汚してはならないという考え方がある。かつての学校は,この考え方をとっていた。辞書を使うときは,まず手を洗い,汚い手では触らないようにする。辞書を開くときは,必ず真中からひらき,決して端から開いてはならない。変な折り癖をつけないようにである。書き込みなどはすべきではないし,もしも備忘のために線をひくにしても,ごく控えめにすべきである。このような考え方である。夏目漱石の『三四郎』の「偉大なる暗闇」のモデルといわれる旧制一高教授であった岩元禎は「書物というものは,相当な見識を持った著者が心血を注いで作ってあるんじゃ。それに対しては相当の礼を以てするのが当然で,書物を汚すなどは怪しからん。線を引いて,ここが良いのあそこが面白いのと,学生の分際でかれこれいうのは,僭越の至りじゃ」(高橋英夫『偉大なる暗闇 師 岩元禎とその弟子たち』(新潮社,1984年)p.43)と言ったそうである。ここには,書物をただ金銭で購える物として捉えるのではなく,書物を著者や編者の刻苦の結晶とみて,それらの人々への敬意を大事にする考え方が表れている。
一方で,書物を神聖視せずに,勉強のためには,どんどん汚してよいのだという考え方もある。線をひいたり,付箋をはったりして勉強の跡を記していくべきだとする考え方である。もちろん,古来から洋の東西を問わず,書物の余白などに,さまざまな書き込みをしたり,注釈をほどこす習慣があったことを思えば,これもまた学問の姿勢としては,見識のひとつであろう。ただ,このような考え方を取る者であっても,もとの形を損なうほどに書物を痛めつけてもよいと考える者は少ないであろう。
書物の読み方,使い方については,このような異なった方向性があるのであり,どちらの考え方にも歴史的背景があり,道理がある。文化の基礎基本を教えなければならない小学校低学年においては,このような書物に対するさまざまな考え方を丁寧にすくい取った教育が行われるべきである。少なくとも,書物の形を損なうほどに付箋を貼ることをよしとするような教育を行っては,教師の見識が疑われるのではないだろうか。
私はこのやり方がどうも腑に落ちない。書物に対する姿勢ということに対する理解が根本的に間違っていると考えるからだ。
書物に対しては,一方で,大切に扱い,決して汚してはならないという考え方がある。かつての学校は,この考え方をとっていた。辞書を使うときは,まず手を洗い,汚い手では触らないようにする。辞書を開くときは,必ず真中からひらき,決して端から開いてはならない。変な折り癖をつけないようにである。書き込みなどはすべきではないし,もしも備忘のために線をひくにしても,ごく控えめにすべきである。このような考え方である。夏目漱石の『三四郎』の「偉大なる暗闇」のモデルといわれる旧制一高教授であった岩元禎は「書物というものは,相当な見識を持った著者が心血を注いで作ってあるんじゃ。それに対しては相当の礼を以てするのが当然で,書物を汚すなどは怪しからん。線を引いて,ここが良いのあそこが面白いのと,学生の分際でかれこれいうのは,僭越の至りじゃ」(高橋英夫『偉大なる暗闇 師 岩元禎とその弟子たち』(新潮社,1984年)p.43)と言ったそうである。ここには,書物をただ金銭で購える物として捉えるのではなく,書物を著者や編者の刻苦の結晶とみて,それらの人々への敬意を大事にする考え方が表れている。
一方で,書物を神聖視せずに,勉強のためには,どんどん汚してよいのだという考え方もある。線をひいたり,付箋をはったりして勉強の跡を記していくべきだとする考え方である。もちろん,古来から洋の東西を問わず,書物の余白などに,さまざまな書き込みをしたり,注釈をほどこす習慣があったことを思えば,これもまた学問の姿勢としては,見識のひとつであろう。ただ,このような考え方を取る者であっても,もとの形を損なうほどに書物を痛めつけてもよいと考える者は少ないであろう。
書物の読み方,使い方については,このような異なった方向性があるのであり,どちらの考え方にも歴史的背景があり,道理がある。文化の基礎基本を教えなければならない小学校低学年においては,このような書物に対するさまざまな考え方を丁寧にすくい取った教育が行われるべきである。少なくとも,書物の形を損なうほどに付箋を貼ることをよしとするような教育を行っては,教師の見識が疑われるのではないだろうか。