学校教育を考える

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国際数学・理科教育動向調査(TIMSS(ティムズ))結果報道の不思議

2020-12-09 | 教育

2019年の国際数学・理科教育動向調査(TIMSS(ティムズ))の結果についての朝日新聞12月9日朝刊の記事を読んでいて、その分析に首をかしげてしまったので、久しぶりに投稿します。

記事には、小学校4年生の理科の平均得点が低下したことを報じている。砂漠にラクダがいたりサボテンが生えていたりする絵を見せて、「絵にえがかれている生き物を2つ答えてください」「絵の中で、生き物ではないものを2つ答えてください」という問いに答える問題で、シンガポールが84%、アルメニアが79%、カザフスタンが71%正解で国際平均値が45%なのに対し、日本では37%しか正解しなかったというのだ。

その記事には、「日常生活の言葉の力が落ちていることがうかがえる」とあり、「生き物という言葉に、虫も草も木も入るということが理解できていない」とある。

はて、日常生活の言葉で「生き物」とはどういう意味だっただろうかと、辞書を引いてみる。「命のあるもの」という意味と並んで、「おもに動物をさす」とあるではないか。私の感覚とぴったりである。日本語の「生き物」にサボテンはふつう入れないだろう。「生き物」という言葉に虫も草も木も入れる言語感覚は、日常生活に用いられる言語感覚ではなく、生物学的な、つまり特殊な用語法なのである。

小学校4年生の子供が、こんな問題を出されたら、「生き物」という言葉をそれこそ日常語として理解するだろう。これは生物学の問題だな、と認知するものだろうか。間違えて当然である。

さらに、朝日新聞デジタルでは「「虫は動物じゃない」という子も 国際調査で浮かぶ課題」という見出しが出てくる。

はて、日常生活の言葉で「動物」とはどういう意味だっただろうかと、辞書を引いてみる。はたして、「とくにけもののこと」という一項がある。私の感覚とぴったりである。日本語の「動物」に虫はふつう入れないだろう。「動物」という言葉に虫を入れる言語感覚は、これまた日常生活に用いられる言語感覚ではなく、生物学的な、つまり特殊な用語法なのである。

このような講評をしているのが、小学校の教育関係者であるならば、ちょっと大丈夫かと言いたくなる。

このような国際調査の結果を分析する際には、言語の違いをきちんと見極めないと危うい。日本語で「生き物」とされているのは、英語では何という単語なのだろうか。少なくともこの問題に関しては、言語による意味内容のずれが得点を大きく左右している可能性が高いと言えるのではないか。正解率の極端な違いからしても推測できることなのではないか。

結局、言葉の力があやしいのは子どもではなくて大人の方だと言わざるを得ないだろう。