読解力は大切だとこのごろつくづく感じる。
読解力とは,
書き手の思考の流れを
なぞることのできる力だと考えている。
たとえ,書き手の考えが,
自分の考えと違っても,
書き手の思考に自分の頭を同調させて
理解に努めてはじめて,「読める」のである。
そうしてはじめて,
本当の意味で論評できるのであり,
その論評が書き手にも受け入れられるようになるのである。
もし,それができない場合は,
「読めない」わけであるから,
当然,論評することもできないはずである。
自分の思考の在り方を,
書き手の考えにあてはめようとすることは,
傲慢である。
よく批判的思考力ということが言われるようになったが,
相手の思考の流れに寄り添ってはじめて
意味のある批判ができるのであり,
自分の思考の枠組にしがみつきながら
発せられる批判は,
批判としての価値を持たないのである。
そのあたりが理解できないで,
相手の言葉を自分が批判しやすいように
言い換えたりすり替えたりしてなされる批判は,
批判ではなく,単なる暴力でしかない。
読解力とは,
書き手の思考の流れを
なぞることのできる力だと考えている。
たとえ,書き手の考えが,
自分の考えと違っても,
書き手の思考に自分の頭を同調させて
理解に努めてはじめて,「読める」のである。
そうしてはじめて,
本当の意味で論評できるのであり,
その論評が書き手にも受け入れられるようになるのである。
もし,それができない場合は,
「読めない」わけであるから,
当然,論評することもできないはずである。
自分の思考の在り方を,
書き手の考えにあてはめようとすることは,
傲慢である。
よく批判的思考力ということが言われるようになったが,
相手の思考の流れに寄り添ってはじめて
意味のある批判ができるのであり,
自分の思考の枠組にしがみつきながら
発せられる批判は,
批判としての価値を持たないのである。
そのあたりが理解できないで,
相手の言葉を自分が批判しやすいように
言い換えたりすり替えたりしてなされる批判は,
批判ではなく,単なる暴力でしかない。