学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

持ち物に名前を書く

2007-04-19 | 教育
4月に学校で子どもたちが行う
大切な作業に,
持ち物に名前を書くということがある。

小学校1年生で教えられた
「持ち物に名前を書く」という習慣が
いつまで生き残っているだろうか?

小学校の高学年は,
みんな教科書に名前を書いているだろうか?
あるいは,傘に名前を書いているだろうか?

中学校ではどうか?
高校ではどうか?
大学では?

ついでだが,学校段階があがると,
教科書に氏名欄がなくなるのである!

自分の持ち物に名前やあるいは
自分のものだとわかる印を書いておくということは,
人が集まって集団になるところでは,
必ず必要になることである。

自分のものと他人のものを区別するということは,
社会生活を営む上では,
とても大切なことなのである。

社会において,
この区別をあいまいにすることは,
トラブルのもとであるし,
極端に言えば,犯罪を誘発することもある。

このような大切な習慣を,
小学校低学年で
社会生活の基本としてきちんと教えているにもかかわらず,
その後の学校生活の中でなおざりにしてしまってはいないだろうか。
あるいは,そんなことはいちいち確認するまでもなく
当然やっていることとされているのだろうか。

一度,教室で確認してみて欲しい。
どのくらいの児童が,生徒が,学生が,
小学校1年生で習ったことを忠実に続けているかを。

そこに,学校教育の大きな問題が隠れている気がする。


最新の画像もっと見る

9 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
名前、大切にしたいですね (寧夢)
2007-04-19 15:05:27
高学年になるにつれ、自分の名前を大切にしないようですね。「別の自分」に憧れる年齢になるせいかもしれません。
持ち物に執着しない、ものを大事にしない世代が増えたということがあるかもしれません。自分のものだというよりも、自分にとって必要なものだという意識が働いていないのでしょう、学校に関する持ち物というものは。

名前も、名前が付けられるものも、その持ち物も、何故大切にするかということを年をとると忘れて、誰でもない1個人の中に埋没して、責任や自己管理や後始末から免れてしまいたいのでしょうか。

社会を生きる大人が、自分の名に恥じない行いをしているかどうか、振り返ってみると、そんな所も影響しているのかもしれません。「字が書いてあるものを、またぐな」なんていう家庭教育が、為されなくなっている現代ですから。

・・・でも、きちんと名前を書いて、ものを大切にして欲しい新学期ですよね。
返信する
要は、「社会性」の問題かと。 (ほり)
2007-04-19 22:58:55
こんにちは。新学期、お忙しそうですね。私もめいっぱいです。

「名前を書け」は、しょっちゅう言ってます。高校生にもなると、はっきり言って、かなり能力と関係すると思っています。或いは自己中心的なのか、社会性があるのかどうかと。

「自分が見て、それが自分のものだと分かるため」に名前を書くと思っている子がいます。だから、「ゆか」だけなど、下の名前しか書かない生徒が出てくる。そんな生徒にとっては、クラス番号を書くなんて、思いもよらないのです。
名前は本当は人のためにあるものなんですよね。でも、それがわかるというか、自分が社会の一員だと認識できるレベルの子は、ちゃんと名前を書く。「他人が自分の持ち物を見たとき間違われないように」など、「他人の存在」を意識できる社会性から書けるのではないのかな、と思います。

返信する
Unknown (madographos)
2007-04-20 02:14:06
>寧夢mさま。コメントありがとうございます。読ませていただいて,なるほどと思いました。社会と人とものとの関係の変質が背景にあるのかもしれませんね。そのあたりをさらに深く考えていきたいと思います。
返信する
Unknown (madographos)
2007-04-20 02:29:47
>ほりさま。ご無沙汰しております。コメントありがとうごさいます。「名前は本当は人のためにあるもの」,その視点は重要ですね。「「他人の存在」を意識できる社会性」という観点から教室を眺めてみるとおもしろいですね。以前教えられていることは,すでに身についたものとして扱いたいし,それができると一般的には考えられているにもかかわらず(だからこそ高校生は教科書に氏名欄がなくとも氏名を書くものと教科書会社は思っているのでしょう),学年が進んでも,社会性という意味では,小学校1年生で教えていることを何度も何度も繰り返しているのに定着しないというのが本当のところでしょうか。結局,大人になっても定着していないようではありますね。
返信する
深い!! (せきちゃん)
2007-04-21 19:14:34
奥深いですね。
高学年になればなるほど,習慣化されている子とそうでない子がはっきりしますね。
どこが境目なのか。
これは,どの学年においても,指導したい事柄だと考えています。
返信する
Unknown (madographos)
2007-04-22 16:28:16
>せきちゃんさま。コメントありがとうございます。「どこが境目なのか。」確かに疑問ですね。どこが境目で,何が境目なのでしょうか。その境目に大事な意味があるような気がします。
返信する
全国学力テスト (小心者)
2007-04-23 21:44:34
「持ち物に名前を書く」指導はあっても、「持ち物以外のものに名前を書くときは細心の注意が必要である」との、指導はなされているのであろうか?
まさに、人権教育である。
私の見たところ義務教育では皆無である。

ここに、平成19年度全国学力・学習状況調査[中学校]実施マニュアル[教室監督者用]がある。

教室監督者は、本実施マニュアルを必ず事前に熟読し、手順に沿って調査を円滑に実施してくださいとある。

解答(回答)用紙は表紙も含めて6枚セットでの使用となる。
表紙には組、出席番号、氏名を書かせる。
裏から順番に⑥⑤④③②(マ-クシ-ト)を時限ごとに切り離して使用し、表紙は調査実施後まとめて回収される。

個々の生徒の調査結果は各学校において解答(回答)用紙①表紙に記入された生徒の氏名等とあらかじめ印刷されている答案番号に基づいて個々の生徒へ調査結果を返却されることになる。

物議をかもしている解答(回答)用紙の仕組みを簡単にスケッチしてみた。

明日、誰か声を出して言ってくれないか!

「先生、名前を書かなければいけないんですか」

「先生、プライバシ-の侵害ではないのですか」

「先生、受けたくありません」

返信する
Unknown (madographos)
2007-04-24 00:17:47
>小心者さま。コメントありがとうございます。私のエントリーの趣旨とは違いますが,「名前」に付随するさまざまな問題がありますね。
返信する
名前を書く意味 (tsuguo-kodera)
2022-11-08 19:21:31
 成城学園はいい加減な自由な校風でした。70年前から12年間通いました。衣類、教科書、ノート諸々に名前を書きました。
 理由は簡単でした。罪を作らない生活をするでした。トランプや花札も修学旅行に持って行けましたが、箱には大きな字で名前を書きました。
 お金は絶対に身体から離すな、高価なものは持ってくるな、モノを置き忘れるな、落とすなと口を酸っぱく言われました。
 子供ができ、そのように教育しました。最近の親は子供の手を繋ぎません。私の親はセーターを掴んだり、手を放してくれませんでした。私もそのように子育てをしました。
 交通事故は被害者も加害者も悲劇です。罪を作り易い人が増えました。老人になり、犬を散歩させています。被害者にも加害者にもならずにあの世へ行けそうです。小学校中学校の先生、親のお陰だと思います。
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。