今の子どもは読書離れが進んでいるので,
もっと読書すべきだと言われている。
一方,講義形式の授業は好まれず,
体験的な活動的な授業を工夫すべきだとされる。
この主張は互いに矛盾するように思われる。
本を読むことと講義を聴くことは,
視覚と聴覚の差はあれ,とても似通ったものである。
すなわち,両者共に,
きわめて受身的なものであるということである。
とかく,生徒の主体性や意見表明を重視しがちな昨今であるが,
生徒の主体性を発揮させるよりも前に,
受身に徹して,己を空しうして,
読み,かつ,聴く経験が必要なのではないか。
自分がどう思うかやどう考えるかはしばらく措き,
著者が何を言いたいのか,講師が何を語りたいのかを,
虚心坦懐に受け入れる,その訓練なくして,
本当に実質のある主体性など生まれてこないのではなかろうか。
もっと読書すべきだと言われている。
一方,講義形式の授業は好まれず,
体験的な活動的な授業を工夫すべきだとされる。
この主張は互いに矛盾するように思われる。
本を読むことと講義を聴くことは,
視覚と聴覚の差はあれ,とても似通ったものである。
すなわち,両者共に,
きわめて受身的なものであるということである。
とかく,生徒の主体性や意見表明を重視しがちな昨今であるが,
生徒の主体性を発揮させるよりも前に,
受身に徹して,己を空しうして,
読み,かつ,聴く経験が必要なのではないか。
自分がどう思うかやどう考えるかはしばらく措き,
著者が何を言いたいのか,講師が何を語りたいのかを,
虚心坦懐に受け入れる,その訓練なくして,
本当に実質のある主体性など生まれてこないのではなかろうか。