学校教育を考える

混迷する教育現場で,
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教員の資質能力向上策の提案

2011-11-06 | 教育
教員の資質能力を向上させる前提として,
教員の「資質能力」という言葉を解体しなければならない。

まず,教員の「資質」は向上しない。
「資質」とはその語義からいって,「生まれつき」のものである。
「資質」と「能力」をいっしょくたにして,
「後天的に形成可能」などという詭弁はやめてもらいたい。

では,教員採用の段階で,すぐれた「資質」をもつ教員を選べるであろうか?
おそらくは不可能である。すぐれた「資質」を見極めるのであれば,
1年ぐらいは現場に立たせてみて,そのあとで判断しないと無理であろう。
そもそも,「興味」と「適性」は別のものであって,
教職に就きたいと思っている者に適性があるとは限らないのである。
では,教員養成に携わっている大学が学生の適性を見極めて
ふるいにかけているかというと,
開放制原則の下ではまあそれは無理であろう。
さらに,一度教員として採用されてしまえば,
そのあとで「資質」を理由に退職させることなど,
試用期間制度をフル活用すれば別であるが,
事実上ほとんどできないのである。
教員免許更新制度も,
不適格教員排除のためのものでないということは,
文部科学省自らが明言しているので,
「資質」のない教員排除のためには機能しないのである。

したがって,「資質」のある者が,教員になるとは限らず,
「資質」のない教員が教育現場には多く存在し,
かつ,「資質」のない教員を排除することも事実上不可能であるということは
前提条件となる。

では,「能力」についてはどうであろうか。
こちらについても,「資質」と同様,
「能力」のない者が採用される可能性が高いが,
「資質」よりは開発可能性が高いと思われる。
ここで気をつけなければならないのは,
我が国では,「意欲」があれば「能力」があるかのように,
受け取られがちなことである。
実は,「意欲」と「能力」もまた別物である。

「能力」開発のためにはどうすればよいか。
それは,教員の専門性を開発しようとするのではなく,
教員としての基礎訓練により,
教員としての身体性を身につけさせることである。
つまり,子供の前でどう動きどう話すかを
体に覚えこませるのである。
そのためには,緻密なマニュアルをつくることも可能である。
実は,教員にはこの基礎訓練が欠けているのである。
教職は専門職であるという言辞に甘え,基礎訓練がおろそかになっている。
そのため,
子供の前でどうふるまえばよいかが本当にはわかっていない教師が多いのである。
だから,教育が安定しないのである。
この基礎訓練は,強制的に行わないと,
プライドの高い教員たちが自主的に行う可能性は極めて低い。
「研修」などでは,「能力」開発は不可能である。
したがって,
現職の教員の能力開発はOJTを組織化する以外に方法はないが,
もともと学校が内在的に持っていたOJT機能は,
昨今の教育改革でずたずたにされているので,
ほぼ絶望的である。

これから教員になる者については,まだ基礎訓練が可能である。
この基礎訓練の最大の目的は,教員個々の我執を断たせ,
子供のために生きる自覚をもたせることにある。

どのような職業であっても,
この基礎訓練のうえに,専門性が成り立っているのである。
この基礎訓練の機能を,
大学や大学院あるいは教育委員会にゆだねることは
おそらく無理であろう。
国がお金をかけて,教員用の職業訓練校をつくる必要がある。

本当に教員の能力向上を考えるのであれば,
教員になることを志望するものは,
免許取得後,全寮制の訓練校で,
一定期間の厳しい職業訓練を受けることを義務とし,
その間は国が給与を支給する,とでもしておけば,
今よりは少しはましになるであろう。