学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

すべての教育は強制である

2009-08-18 | 教育
すべての教育は強制である。
そのことに自覚的でなければならない。

その時代時代に応じて,
最善であると思われた内容を,
最善であると思われた方法で,
強制的に被教育者に植え付けていくのが
教育である。

学校教育の場合は,特にその傾向が顕著である。
あくまでも,
その時点で「最善と思われた」内容や方法を
用いるわけであるから,
それが最善でない場合も多々ある。
その失敗の犠牲になるのは,子どもである。

よく,子どもの自主性を尊重するとか,
子どもが自発的に学習するとかいう言い方があるが,
これとても,そのような方向に,
子どもをいやおうなく導いている点で,
強制力が働いている。
ただ,強制であるということに教師が無自覚なだけである。

ともあれ,
学校教育は,どのような理想的な学校であっても,
大人の子どもに対する善意による強制と,
大人の子どもに対する善意による失敗から
まぬかれることはないことを,
少なくとも,教師は自覚しているべきだと思う。




批判ゴッコ

2009-08-06 | 教育
教師は批判がすこぶる好きである。

他の教師の実践を批判したり,
他の学校のやり方を批判したり,
社会のあり方を批判したり,
小学校の先生が中学校を批判したり,
中学校の先生が小学校を批判したり,
研究授業を参観して
自分の授業観にしがみついた批判をしたり,
とにかく,批判が大好きである。

でも,これらの多くは,
批判ゴッコに過ぎない。

ゴッコであるからして,
これらの批判が建設的な価値をもつことは
まれである。

要するに,
他人のやり方や考え方が気に入らないという思いが
根底にあるような批判は
批判ゴッコに過ぎないという意味である。

批判が意味をもつためには,
志を共有している必要がある。

目指すものが一致していてはじめて,
批判が建設的な意味をもってくる。

目指すものが一致しているわけでもないのに,
批判しあったところで,
何も得るところはないばかりか,
双方に不快感を与えるか,
あるいは闘争の種をまくばかりである。

「批判」そのものに価値があるかのような
主張をする方が教育界にはおられるが,
それは間違いである。

ある達成すべきめあてや理想があって,
それがお互いの間で共有されている関係であってはじめて,
すなわち志を同じくする者であってはじめて,
お互いのお互いに対する批判が価値をもつのである。

批判ゴッコは意味がないのである。


学校教育目標を問い直す

2009-08-03 | 教育
学校教育目標というものがある。
その学校の教育の根本の指針である。
ところが,この学校教育目標というものが
果たして機能しているのであろうか,はなはだ疑問である。

そもそも,その学校の教員や児童生徒が,
学校教育目標を覚えているだろうか。

もし,覚えていないとすれば,
その学校教育目標は無価値である。

なぜ,覚えていなければならないのか。
それは,学校教育目標が学校の根本の目標であり,
学校におけるすべての教育活動がその目標のもとに
行われなければならないからである。

なぜ,覚えられないか。
学校教育目標が,すべてを語っているからである。
だいたい,学校教育目標は,3項目であることが多い。
それはつまり,知と徳と体の健全な成長という,
学校教育そのものの意義と全く同じことを繰り返し
すべてにわたって述べているからである。

学校教育目標が,
「我が校は学校教育を行っています」という以上の内容を
ほとんど持ち得ていないから,覚えられないのである。

本来は,学校教育目標は,
その学校の独自性を示した行動規範であるべきだと思う。

その意味では,
学校教育目標が真に実効あるものとするためには,
次のような指針に従うのがよいと思う。

1.学校教育目標は,年々変えるべきものではない。
   変えてよいのは年度目標である。それらをきちんと分けるべきである。

2,学校教育目標は,1項目とすべきである。
   その下に,いくつかの実行項目が入るのはやむを得ない。

3,学校教育目標は,10文字以内とすべきである。
   誰もが印象的に覚えているというのが何より大切である。

4.学校教育目標は,覚えるに値する印象的な言葉であるべきである。

5,学校教育目標は,校舎内の目に付く至るところに掲示されているべきである。

6.学校教育目標については,折に触れて児童生徒に語られるべきである。

7.学校教育目標は,校歌や校章にも反映されるのが望ましい。

そういった意味では,
公立学校より私立学校に,
新しい学校より古い学校に,
より印象的な学校教育目標が多いように思われる。