「チーム学校」,また,変な用語が登場したものだ。
教員を中心に多様な専門性を持つスタッフを学校に配置して,学校の教育力・組織力を向上させるのだそうだ。教員は授業など子供への指導に一層専念できるそうだ。そのあたり,校長が適切にマネジメントするそうだ。実に結構なことである。しかし,よくもこんな危なっかしい提案がなされるものだ。
教員が何でもやっていたものを,いろいろな専門スタッフを配置して,教員の負担を減らすということは,もともと中小企業でアットホームにやっていた会社が,野放図な業務の多様化のためにたちゆかなくなり,大企業に転換しようとするようなものである。これが成功するためには,莫大な資金が必要であることは,中学生でもわかる理屈であろう。
そもそも,中小企業が,業務多様化でたちゆかなくなった場合,こんな転換をはかれるものであろうか? この転換がはかれるのは,その企業が,業務多様化の成果が上がって莫大な利潤をあげていて,企業規模を拡大する余裕がある場合に限られる。
いまの学校の現状は,逆である。仕事は増えたが,成果はあがらず,資金的な余裕もない状況である。株主たる国や自治体も大規模な資本を投入するつもりはなさそうだ。それどころか,専任教員数は減らそうとする意図が見え見えである。あたりまえである。少子化が進み,財政状況がはかばかしくない状況で,学校に対して,資金投入する余裕など,我が国にはないのである。
かくして,学校の問題の解決策は,「チーム学校」などではない。業務多様化でたちゆかなくなっている学校がやるべきことは,ただひとつ。業務そのものを減らすことである。そのためには,「学校ではやらない」ことを国が明確にすればよいだけである。例えば,「義務教育学校は,学習指導要領に定められた内容だけを授業するところであり,他のことはやらないところである」とでもしておけばよいのである。まずは,所定の勤務時間外は電話は「本日の業務は終了いたしました」というメッセージを流すだけにすればよい。研究開発指定も煩瑣な事務書類提出も地域連携も特色ある学校づくりも保護者対応も部活動もやらなければやらないですむのである。また,授業についても,宿題をしなさいと言って宿題をやらない子供,教師の指示の守れない子供に授業を聞かせる義理はない,そもそも授業を聞いて学力をつけるのは自己責任であるということにしておいて,到達度の低いものは義務教育であっても進級できないことにすればよいだけである。逆に言えば,出席日数が足りなくても到達度が高ければよいということにしておけばよい。学校が本来勉強するところであるとするならば,それでよいのである。質問しにくれば答えるが,こちらから補習に呼び出すなどという甘いことをする必要はない。
学校がさまざまなサービスを取り込んだまま,「チーム」化するのでは問題の解決にならない。
学校がさまざまなサービスを排除して,そのサービスが本当に社会的に必要ならば,社会にそのサービスを行う者があらわれるであろう。
めざすべきは,「チーム社会」である。
教員を中心に多様な専門性を持つスタッフを学校に配置して,学校の教育力・組織力を向上させるのだそうだ。教員は授業など子供への指導に一層専念できるそうだ。そのあたり,校長が適切にマネジメントするそうだ。実に結構なことである。しかし,よくもこんな危なっかしい提案がなされるものだ。
教員が何でもやっていたものを,いろいろな専門スタッフを配置して,教員の負担を減らすということは,もともと中小企業でアットホームにやっていた会社が,野放図な業務の多様化のためにたちゆかなくなり,大企業に転換しようとするようなものである。これが成功するためには,莫大な資金が必要であることは,中学生でもわかる理屈であろう。
そもそも,中小企業が,業務多様化でたちゆかなくなった場合,こんな転換をはかれるものであろうか? この転換がはかれるのは,その企業が,業務多様化の成果が上がって莫大な利潤をあげていて,企業規模を拡大する余裕がある場合に限られる。
いまの学校の現状は,逆である。仕事は増えたが,成果はあがらず,資金的な余裕もない状況である。株主たる国や自治体も大規模な資本を投入するつもりはなさそうだ。それどころか,専任教員数は減らそうとする意図が見え見えである。あたりまえである。少子化が進み,財政状況がはかばかしくない状況で,学校に対して,資金投入する余裕など,我が国にはないのである。
かくして,学校の問題の解決策は,「チーム学校」などではない。業務多様化でたちゆかなくなっている学校がやるべきことは,ただひとつ。業務そのものを減らすことである。そのためには,「学校ではやらない」ことを国が明確にすればよいだけである。例えば,「義務教育学校は,学習指導要領に定められた内容だけを授業するところであり,他のことはやらないところである」とでもしておけばよいのである。まずは,所定の勤務時間外は電話は「本日の業務は終了いたしました」というメッセージを流すだけにすればよい。研究開発指定も煩瑣な事務書類提出も地域連携も特色ある学校づくりも保護者対応も部活動もやらなければやらないですむのである。また,授業についても,宿題をしなさいと言って宿題をやらない子供,教師の指示の守れない子供に授業を聞かせる義理はない,そもそも授業を聞いて学力をつけるのは自己責任であるということにしておいて,到達度の低いものは義務教育であっても進級できないことにすればよいだけである。逆に言えば,出席日数が足りなくても到達度が高ければよいということにしておけばよい。学校が本来勉強するところであるとするならば,それでよいのである。質問しにくれば答えるが,こちらから補習に呼び出すなどという甘いことをする必要はない。
学校がさまざまなサービスを取り込んだまま,「チーム」化するのでは問題の解決にならない。
学校がさまざまなサービスを排除して,そのサービスが本当に社会的に必要ならば,社会にそのサービスを行う者があらわれるであろう。
めざすべきは,「チーム社会」である。