学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

デモシカ教師の価値

2010-06-10 | 教育
最近,デモシカ教師が少なくなった。
これが学校の活力を奪っているのではないか。

まず,デモシカ教師について考えてみよう。

デモとシカではちょっと違うのである。

まず,デモ教師は,
もともと学校や教師というものに対する
自分のなかでの価値付けが低い。
だから,学校の論理や教師至上主義を
盲信することがない。
なにを上から言われても,
「なにいってんだい,へっ」てなものである。

次に,シカ教師は,
能力は低かったかもしれないが,
教師にしかなれないという
本人の自覚のもとで,
自分なりのやり方で,
必死で教師であろうと努力して
教師である自分に逆に喜びを感じるように
なっている人も多い。

もともと教師にあこがれて教師になった者だけでなく,
デモやシカが混在した学校が,
多様な大人モデルを子どもたちに提供していたのである。

そして,
教育万歳,学校万歳の教師たちが
陥りがちな偏狭な教師意識に
風穴を開け続け,
本当の意味で学校を支えてきたのは,
これらデモシカ教師たちだったのではないか。

いまや時代は変わり,
デモシカ教師という言葉さえ
あまり聞かれなくなった。

今無気力に陥っている先生は,
デモシカ教師などではなく,
もともと,まともに教師になりたかった先生たちが
多いのではないか。

ともあれ,本当は,
生涯一教師を看板にしている先生や,
教師なんて仮の姿で
本当の俺はこんなんじゃないぜという先生や,
とにかく俺には教師しかないんだ,
ここをくびになったらいくとこないよという先生や
まあまあ人生こんなものよという先生や,
その他いろんな経験を持ち,
いろんな価値観の先生が混在しているのが
いちばんいい学校なのではないのだろうか。